2018年2月25日日曜日

枝垂れ梅にメジロ 東戸塚白旗神社 2018-02-24

2月24日
鎌倉散歩の帰りに東戸塚駅前の白旗神社に立ち寄った。
ラッキーにも境内の枝垂れ梅にメジロのワンペアがいた。
が、メジロはなかなかうまく撮らせてくれないね。




「戦争に負けたという事実をどう捉えますか」今、林家三平さんが国策落語に挑むわけ 林家三平さん 七十余年の時を超え、口演(石戸諭 BuzzFeed)



「先の戦争をどう考えるのか。若旦那は18歳から20歳だと思って、演じています。今なら選挙権を持つ世代ですよね。そんな若旦那が遺言を残した時代です。国のために戦争に行くのは嫌でも、家や会社、周囲の人が『非国民』と言われるのが嫌で行ったかもしれない。戦争に負けたという事実をどう捉えますか。いまの時代は平和でものも自由に言える。これからの社会を考えたいと思う人たちの前で、国策落語はまだまだやってみたいと思っています」

「『草枕』の那美と辛亥革命」(安住恭子 白水社)編年体ノート1 (明治元年~8年)


「はじめに」より

前田卓(つな)。明治元年六月十七日に、熊本県玉名郡小天(おあま)村(現玉名市天水町小天)に生まれ、昭和十三年九月六日に東京で亡くなった女である。戸籍名はツナ。明治時代の流行で漢字を当て、子を付けて卓子とも称したし、「つな」や「つな子」と書くこともあった。墓には前田卓と刻まれている。
日本の近代の夜明けとともに生まれ、明治、大正、昭和と生きた。表舞台で華々しく活躍したわけではない。多くの女性と同じように、その時代を懸命に生き、働き、死んでいった市井の人だ。
それでも歴史の表にわずかに顔を出す。一つは、夏目漱石の小説『草枕』のヒロイン那美のモデルとして、もう一つは、孫文や黄興ら中国の革命家たちが日本でつくった「中国革命同盟会」(通称「中国同盟会」)を支援した女性として。

・・・・・わずかに残る手がかりから浮かび上がる前田卓は、キラキラと輝いている。制度的にも社会常識的にも女性が男性の付属物とみなされた時代に、白面と平等を当たり前のこととし、傷つきながらも平然とそれを買いた女だったからだ。

少女のころから武術をたしなみ、花のように美しかった。誰に対しても同じように接し、誰にでもはっきり物を言い、誰とでも親しんだ。
自由と平等を夢見たが、声高に叫んだり主張したりするのではなく、私は私であると胸を張っていた。
闊達すぎる言動で、「新しい女」とされた。
三度結婚したが、いずれも長続きしなかった。
大人になっても柿の木に登った。
資産家のお嬢さんに生まれ育ったが、財産を無くしても平気だった。孤児院でも働いた。
ぐちはこぼさなかった。
・・・・・

明治元年6月17日
前田卓(つな)、熊本県玉名郡小天(おあま)村(現玉名市天水町小天)に生まれる。
父、前田案山子(かかし、当時は覚之助)はその藩主のそば近くに仕えていた。「明治維新の際、武術を以て藩主の側備に充られ、他行を許されず」(「衆議院議員候補者列伝一名帝国名士叢伝第二篇」、加藤豊子「熊本の自由民権家 前田案山子とその周辺」より)とある。「九州一」の名をとどろかせた槍の名手であり、藩随一の剣豪として、藩主のボディーガードを務めていた。
母はキヨ。熊本の街中に生まれ、「小町」と呼ばれるほどの美人だった。藩主の側にという話もあったらしいが、案山子と結婚した。
卓は、14歳年上の長女シゲ、9歳上の長男下学(かがく)、4歳上の次男清人(きよと)につづく、前田家の次女。

前田家は、代々小天村八久保の郷士であった。卓の祖父の代でさらに財をなし、卓が生まれた当時は、本邸を中心に4里(約16km)四方が前田家の土地で、熊本まで他人の土地を踏まずに行くことができたほどの資産家。八久保は、現在の玉名市の最南端で、熊本市との境に位置する。

維新後、父・寛之助は村に帰り、田夫として村人のために献身する決意を固め、名前も案山子と改めた。彼は、剣一筋だったことを反省して、まず学問を始めた。子供たちのための学校も作った。そして地租改正の理不尽さと闘い、やがて熊本の自由民権運動の中心的存在として奔走し、帝国議会議員になっていく。
卓が生まれたころ、父親は大きな転身を図っていた。

明治3年5月8日
細川護久が二代目藩知事となった。護久は、藩の儒学者横井小南の教えを受けて藩政改革運動を起こしていた実学党のメンバーとともに、矢継ぎ早に改革を断行する。
ともに横井小南の弟子で、姉妹を妻にしていた竹崎茶堂徳富一敬(徳富蘇峰、蘆花兄弟の父)が作った「改革意見書綱領」は次のようなものである。

①旧習打破、簡素を旨とし知事の生活を簡素化し、家族睦まじくする。
②知事自ら政治を行い、農商の声にも直に耳を傾ける。
③二の丸、宮内御殿、御城天守閣等外回りの門塀だけを残して取り壊す。
④上米・一分半米・口米三稜・諸出米銀など枝葉の雑税はすべて廃止する。
⑤鷹揚は解放する。
⑥出納は会計局一本に絞る。
⑦藩内に上下二院を設け、上院は知事以下の諸役人、下院は一般選出の議員で構成し、両院合議して政治を行う。
⑧役人は一切入札公選にする。
⑨諸拝借銀は一切廃止する。
⑩農工商生産を第一の務めとして、臨時急場のため戸数に応じて米銀を備え置く。
⑪惣庄屋以下村役人は入札公選とする。

更に、この綱領に基づいて出された知事布告には、
「中にも百姓は暑寒風雨もいとわず、骨折りて貢を納め夫役をつとめ老人子供病者にさえ暖に着せ、こころよく養うことを得ざるは全く年貢夫役のからき放なりと我ふかく恥おそる」
とある。
農民は厳しい環境の中でも身を粉にして働きに働きながら、年貢を納めてきた。そしてそのため、自分の老いた親や子供、病気の者を暖かく、気持ちよく養うことができなかった。それはひとえに、年貢や賦役が重かったからであり、そうしたことをさせてきたことを深く恥じると、わびている。

明治4年
洋学校と古城医学校を設立、開校。
洋学校は、アメリカ人のL・L・ジェーンズを教師に迎え、中等学校程度の教育を与える全寮制、4年制、男女共学の学校である。ジェーンズの熱い指導は、「熊本バンド」というキリスト者の集団を生み出し、そのメンバーであった徳富蘇峰らは、洋学校開校後、設立されたばかりの京都の同志社英学校に集団で転校し、この学校の内実を整える役割を果たした。
古城医学校は、オランダ人マンスフェルトや長崎の蘭学医を迎え、西洋医学の普及をめざした。病院も併設し、はじめは抵抗も強く、妨害もあったが、しだいに入院患者も増えていった。

案山子はこの護久の改革に強く共鳴し、小天でその一翼を担おうと決心した。
しかし、長男下学を洋学校に入学させ、自分も小天で同じことをやるのだと思い定めた頃、この藩主による改革はあっさり終わってしまう。
新政府が、熊本のそのような過激な路線を認めなかった。

まず、熊本藩同様の雑税廃止を求める一揆が、九州各地で起こった。また、藩内に根強く残る攘夷派の不穏な動きがあり、熊本藩兵卒がイギリス公使に斬りつける事件が起った。
その結果、護久藩知事は責任をとって、明治4年に政府に辞意を表明した。改革路線は、たった1年で終止符が打たれた。役人などの入札公選や、上下二院制などが現実に実施される前に、この実学党系の熊本県政権は挫折した。
そして廃藩置県によって政府は、中央から安岡良亮を知事として派遣し、実学党系の役人を一掃した。廃止された雑税は復活した。

藩主は地位を追われ、熊本から東京に行ってしまったが、案山子はその意志を継ごうとした。
洋学校ではないまでも、学校を作った。西郷軍にも官軍にも郷備金を渡さなかった。地租改正に対しては粘り強く闘った。

明治7年
板垣退助らが愛国公党を結成し、「民選議院設立建白書」を発表し、自由民権運動が始まる。維新の志士たちの新政府に対する失望と反撥が、生活の基盤を失った不平士族や、徴税にあえぐ農民の不満を吸収し、運動は全国に広がった。
熊本は、九州の自由民権運動の中心であった。横井小南の政治思想を受けつぐ実学党が県政権から追われた後も、実学党のメンバーは『熊本新聞』で論陣を張るなど、静かな潮流をつくっていた。

この年
明治7年(卓は6歳)、案山子は村に小天小学校を作った。小天小学校は、当初前田家の屋敷内にあった。また同年、小学校以上の高等教育の場として、私塾蒙正館をやはり屋敷内に開いた。竹添進一郎(後、東大教授)や志賀喬木ら、旧藩校系の優秀な教師を招いたため、九州各県から学生が集まった。

卓は設立されたばかりの小学校で学び、さらに、高等な学問を修める教授や学生を身近に見て育っていく。小学校終了後は、蒙正館で学んだこともあったらしい。同時に卓は、他の兄弟同様、父親の指導で剣術のけいこにも励んだ。剣や薙刀、小太刀を厳しく仕込まれた。案山子は卓に男女の区別なく、文武両道を授けた。卓は剣術の腕を上げた。

明治8年4月
宮崎八郎(宮崎滔天の長兄)有馬源内らが、鹿本郡植木町に、ルソーの『民約論』やモンテスキューの『万法精理』などを教える「植木学校」を開校。この学校は、近隣の町で演説会も行うなど、一種の結社のような動きも見せたため、半年後には安岡知事は閉鎖を命じた。
しかし、この学校は、人民主権などの種を熊本の地にまくことになった。この学校の教師と教え子の一部は、西前戦争のときに宮崎八郎率いる協同隊として西郷軍に参加し、一部は公選県会の議員となり、実学党や案山子らと共に、役人公選や民会開設を主張していく。さらに協同隊の生き残りは、東京で『中外新聞』などで論陣を張っていた池松豊記らとともに、愛国社の動きに連動する結社「相愛社」を熊本に結成する。
こうした流れの中で、案山子も独自の動きを見せていく。

この年(明治8年)
案山子は、地租改正に際し政府に対して農民の先頭に立って闘い始める。
まず、小天の農地の地価評価額をめぐって異議申し立て(*)をし、さらに、江戸時代から行われていた海辺の干拓地の免税問題で、その後20年近くにわたって農民側の要求を通す運動を進めていく。そこから案山子は自由民権家になり、国会議員になっていく。

(*)小天では、村民から選ばれた代表として、案山子が農民側の主張を通すことに成功し、地価の評価額そのものを減額させた。

(つづく)

働き方改革「悪夢再来か」 経済界が懸念(日経新聞);「「裁量労働や脱時間給制が削除されて他だけ残ったら最悪だ」(経済団体幹部)。政権が働き方改革を今国会のテーマに掲げるだけに削除の可能性は「限りなく小さい」と信じつつ、不安は尽きない」 / 第二の年金問題にも(読売新聞)





日本が生み出した「アンダークラス」の怖ろしい実態 この国の階級化は止められないのか(佐藤優 現代ビジネス); 橋本健二さんの『新・日本の階級社会』は格差が固定化し、貧困が深刻な問題になっていることを実証的に示した好著だ / 労働者階級に“アンダークラス”が激増 「ほかの階級のために犠牲に」と専門家〈AERA〉      




長妻議員「今回の最大の問題は、官邸の産業競争力会議という厚生労働大臣も正規メンバーではなく労働者も入ってないところで裁量労働制の拡大を決めて閣議決定でおろしてきた。そのひずみがデータ問題等の現実無視のものとして噴出している」







共産・笠井「実質賃金は16万の減、個人消費も22万の減。異次元の金融緩和というが、実態は異次元の株式介入。結果、ごく一部の人に資産が集中し、30%の国民が資産ゼロという異常な格差が生まれた。格差を是正する政策こそ必要」


2018年2月24日土曜日

今日は早く寝ようと思ってたのに、「マススタート高木菜那、金メダル」と「カーリング 女子の3位決定戦で日本は英国に5-3で勝利し銅メダル」だもの、1時間ほどグズグズしてしまった.....。もう寝る。それにしても、「メダル13個のうちスケート4種目5個が高木姉妹って…、凄いな。 — ハッピー」     











鎌倉 若宮大路と鎌倉市役所前の玉縄桜 本覚寺の河津桜と梅 大巧寺の木瓜と寒咲あやめ 鶴岡八幡宮の河津桜 お蕎麦屋さんの店先の盆栽梅 お昼は「あしなや」さんで 2018-02-24

2月24日(土)、はれ
今日の鎌倉駅は銀座線新橋駅さながらの混みようだった。
混雑と(多分)花粉の今年初洗礼とで、今日は駅周辺、本覚寺、大巧寺、鶴岡八幡宮に寄っただけで帰ってきた。
ま、玉縄桜、河津桜など期待したものの大凡は充たされたということもあるが。

▼玉縄桜
若宮大路の玉縄桜。
上から二つ目だけは鎌倉市役所前(こちらは少し遅い)。




▼本覚寺の河津桜と梅



▼大巧寺の木瓜と寒咲あやめ
(実は椿が咲き揃うのを待っている)


▼鶴岡八幡宮(旗上社)の河津桜

▼若宮大路のお蕎麦屋さんの店先にある盆栽梅

▼お昼、久しぶりに「あしなや」さんのサンマーメン
11時半の早昼だったけど満員。


スカートでもなければ、リボンやフリルもない。フランスの女子フィギュア選手の大胆な衣装に称賛相次ぐ(ハフポスト)


加藤大臣「私どもはデータに過ちがあったことはもちろん認めている。しかし、その上において出されてきた結論について、今それを変えなきゃいけないというふうには認識していない」 ← 理窟なんて無用、数のチカラでやり遂げるんだ、と!


【論風】安倍政権、目に余る「官邸主導」 民主的な政策決定に回帰を(一橋大学名誉教授・石弘光 サンケイビズ);「安倍政権の下で行われている官邸主導は、それ以外にもいくつかの問題がある。例えば、従来歴代の内閣が尊重してきた各省の下に置かれている政府税制調査会、中央教育審議会、社会保障審議会などの審議が、ほとんど形骸化していることだ。」






大都市・東京の貧困化 ; プア世帯が3割を超える区(都内23区) 1993年(2区) → 2013年(15区) 単身高齢世帯が増えていることによる




大学生 増える学費負担(読売新聞); 1989年と比べて、国立で20万、私立で30万授業料が上がってるのに、下宿生の生活費3千円しか増えてない。しかも仕送り額は減り、2割は午後10時から午前5時までの深夜時間帯にバイトしてると。「下宿生のアルバイト収入額は1970年以降で最も高くなっている」


(動画) 山口敬之に対する「準強姦事件逮捕状執行停止問題」。 福島みずほ議員「逮捕状請求➡発付➡高輪署が成田に逮捕に向かう➡一件記録も見てない中村格が執行停止を指示。中村格さんが決断するまでの時系列を作れ」 警察庁「この事件の捜査過程はお答え出来ない」 この会は四回目。宿題さえも答えない。


自主憲法制定は自民党結党以来の党是なのか? → (無所属黒岩)「55年の結党時の綱領には入ってないんですよね、その後の綱領改定、最近になって、盛り込まれたと思うんですが、.....」 (野田)「祖父の方から、.....と言うことを聞いて、それをずっと信じて、おった次第です」 ← 野田にしてコレか! ま、「結党以来」というのはウソだったということだね           






橋本聖子「五輪政治利用や大統領対応に苦言」(FNN) → ベルリン五輪を最大限に利用し、あらゆるメディアを総動員したヒトラーの手口はこうだった 独裁者が使う五輪利用その手口 日本人はよく知っておいた方がいい メダルラッシュに沸きかえる日本だが、20年東京五輪に向けた国威発揚の不気味さ、危うさ ナチスの手口に共鳴する安倍政権(日刊ゲンダイ)





▼自分、自分、これしかない!




東京 北の丸公園のカワヅザクラ 2018-02-23

2月23日、雨ののち、午後3時過ぎころから晴れ

北の丸公園のカワヅザクラが人目を引くようになってきた。

これサクラ? とか
これカンザクラ? とか
こんなとこにカワヅザクラ! とか
いろんな人がいる。

雨上がり直後のカワヅザクラと晴れてからのカワヅザクラ










2018年2月23日金曜日

つい三日ほど前のLe Mondeに電通が五輪を金で買った疑惑について捜査が進んでいて、国際的なスキャンダルになっているという報道があったけれど、日本のメディアはまったく報道していませんね。/ 記事の通りなら、東京五輪の開催権をディアク親子が暗躍して票を買い集め、その謝礼を電通がいろいろなかたちで(あのブラックタイディングスの他にも)キックバックしていたらしいですよ。 / 電通「東京五輪買収」の物証(FACTA); 仏検察が押収した電通と国際陸連前会長の極秘契約書。そこに不可解な1500万ドル。ル・モンドと共同取材で入手 








裁量労働制データにも不自然な数値 1日の労働時間が1時間以下の事業所が20件以上 / 山越敬一労働基準局長;少なくとも93事業所については精査が必要だ 同省は精査を急ぐが 調査では誤記や異常値が 多く見つかっており信頼性への疑問が噴出している






ホントに地下倉庫にあったんだ!(隠したんだろうね) → (画像)当初「ない」と言ったものの、厚労省地下倉庫に実はあった調査原票の入ったダンボール。次々と運ばれ合計32箱。既にデータ化されたものとの突合作業が行われる。 — たつみコータロー / 「なくなった」資料…実はあった!厚労省で野党確認 / 地下倉庫から32箱分の「原本」 / 厚労省地下に保管されていた調査票=裁量労働制    



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山尾氏挑んだ論争に答えられず “勉強不足”安倍首相の姑息 / 安倍「私が一石を投じたことで憲法議論が盛んになったのは事実」 山尾志桜里「一石を投じて明らかになったのは総理が憲法をほとんどわかってないということ」(動画)








メルケルとか、マクロンとかが、「国会に出したデータがデタラメだった」と追及されて、「だって、早朝直前レクでは1分くらいしか時間がないんだよ」って答弁するところとか、想像できる? — buu





2018年2月22日木曜日

春節の中華街を散歩 お昼は「いきなりステーキ」 2018-02-22    

2月22日、雨
生憎の雨であったが、春節の中華街を散歩。
朝、出かける時点では雨がミゾレに変わった。

ウィークデイでもあり寒い日でもあったので人混みはそれ程でもなかった。
関帝廟の隣の学校では日曜日の催しのための踊りの練習らしきもの(?)をやっていた。
天候イマイチなので写真撮りのテンションは低め。

お昼は元町の「いきなりステーキ」でサーロイン300g。
もっとお腹にドンとくるかと思ったけどそれ程でもなかったね。

中華街のカフェで中国茶と亀ゼリー。

行きは石川町、帰りは関内のルートにした。







私は下記に、加藤大臣の発言についてこう書いた。 「ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の主人公は、「真理省記録局」の役人として、日々、歴史記録の書き換えを行っている。都合の悪い事実は、国家によってなかったことにされ、その事実の記録は、書き換えられるのだ」(上西充子)






会見しない佐川長官 監督者の麻生大臣も質問制限?(テレ朝); 麻生大臣の閣議後の財務省での会見は、昨年度45回から今年度の8回と急減 佐川長官や財務省の資料隠しの責任を何度も問われるのを避けてるのか


 衆議院予算委員会では佐川国税庁長官が会見しないことに関連して、野党側が監督者の麻生財務大臣も会見室での対応を控え、質問を制限しているのではないかと追及しました。

 麻生大臣は今年度の79回の閣議後の会見のうち会見室ではなく、官邸内で立った形式で2、3問に質問を制限する会見が51回に及んでいます。昨年度は官邸での会見はわずか2回程度で、野党側は説明責任を果たしていないのではと追及しました。

 希望の党・柚木衆院議員:「野党の質問だけではない、削っているのは。記者の皆さんの質問もどんどん削られている。佐川国税庁長官にちゃんと記者会見しろなんて指導できるはずもない」

 麻生財務大臣:「会見場所にかかわらず、記者から質問があれば丁寧に答えている」
 そのうえで、麻生大臣は「報道の自由は保障されている」と強調しました。

戦前ナチスに抵抗し自由と反戦を求めビラを配布した学生達がいたことをご存知ですか?白バラ抵抗運動と呼ばれ、中心メンバーのゾフィー・ショルらを描いた映画『白バラの祈り』が詳しい。ゾフィーらが処刑されたのが75年前の2月22日。