2009年1月27日火曜日

昭和12(1937)年12月28日~31日 南京(13)

昭和12年(1937)12月28日
・第16師団上村参謀副長のこの日付け「日記」)。兵士の非行と防止策としての慰安所開設。
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「軍隊の非違愈々多き如し、2課をして各隊将校会報を召集し、参謀長より厳戒するよう三十日十時より実施と、南京慰安所開設について2課案を審議」と記す。
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兵士の非行に関する苦情・抗議は、国際委員会から日本大使館に持ち込まれ、福井淳領事、田中正一副領司、福田篤泰らは、「非常に不利な状況の下に出来るだけのことはしようと努めて居りましたが、軍部に対して非常に恐怖感を抱いて居りましたし、彼等の為した総ては唯斯う云う報告を上海を通して東京へ伝達することのみ」(東京裁判のペーツ証言、昭和21年7月29日)。
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上海から出張した岡崎勝男総領事、「事態はひどく悪化しておりました。軍隊は全く無統制でありました」(岡崎口述書)としてベーツ証言を裏付ける。
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12月28日
・第10軍司令部、杭州移転。
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12月28日
・英米大使、揚子江自由航行を申し入れる。
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12月28日
・新協劇団「夜明け前」(久保栄演出)。昭和13年2月2日迄1万人観客動員。
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12月28日
・参謀総長・陸軍大臣連名で、中支那方面軍松井司令官に「国際関係に関する件」要請電送る。事実上の「戒告」文書。1月4日付で大本営陸軍部幕僚長(閑院宮)名でも。
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国際関係もあり、軍紀・風紀の乱れを正すよう要望。天皇に親補された出征軍最高指揮官が、天皇の幕僚長からこの種の要望を受けるのは異例で、事実上の「戒告」に相当する。陸軍懲罰令には戒告(正式には譴責)は将官には適用しない、と規定されているが、この「要望」を起案した河辺作戦課長は、「松井大将宛参謀総長の戒告を読んだ大将は「まことにすまぬ」と泣かれたと聞いた」(「河辺虎四郎回想録」)と書く。
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12月28日
・外相、英レディバード号事件に関し正式回答を英大使に手交。
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12月28日
・作曲家ラヴェル(62)、没。
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12月28日
・ルーマニアで選挙。ティトゥレスク政権倒れる。国王カルロス2世、キリスト教民族党のオクタビアン・ゴガを首相に任命し、権威主義的政府が成立。ゴガ、反ユダヤ政策を実施。
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12月29日
・汪兆銘「和平建議」打電。
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12月29日
・鉄道省、遺骨移送列車に英霊のマークを付ける
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12月29日
・石川淳「マルスの歌」(「文学界」新年号)、反戦的であるとして発禁。
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12月29日
・全農、小作組合より勤労農民全体の運動に再出発。
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12月29日
・日ソ漁業条約の第3回効力延長に関する議定書署名(モスクワ)。
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12月29日
・アイルランド自由国で新憲法が施行、エール共和国と改称。
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12月29日
・仏、セーヌ県公営事業労働者、賃上げ要求ストライキ。
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12月29日
・スペイン、テルエルの戦い。叛乱軍、独コンコルド兵団の掩護で反撃
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12月30日
・この日、松井司令官の派遣した中山参謀、上海派遣軍に対し、近く各国大使館員も復帰してくるし、早く軍紀を立て直せと伝える。飯沼上海派遣軍参謀長は、この日の日記に「恐縮の他なし」と書くが、「上海気分と南京は違う」と反発も。
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12月30日
・国民政府最高国防会議。~1月3日迄。
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12月30日
・プロフィンテルン(赤色労働組合インターナショナル)、解散。
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12月30日
・東京市バス、木炭バス4台を初めて運行。
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12月30日
・フィリピン、タガログ語を国語の基礎とする大統領宣言。
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12月30日
・スペイン、テルエルの戦い。叛乱軍、ラ・ムエラ高地奪回。共和国軍も反撃
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12月30日
・エジプト国王ファールーク1世、ワフド党のナッハース・パシャ首相を解任、ワフド政府倒壊。
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12月30日
・日伊通商条約追加協定調印(ローマ)。
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12月31日
・アメリカ大使館員アリソン3等書記官、米砲艦「オアフ号」で南京の下関埠頭に到着、大使館業務再開を要請するが、日本軍司令部は、中国兵掃蕩が続いており危険との理由で、これを拒否。
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アリソンは国務省へ電報で、「今日午後二時三〇分に到着する。岸辺はまるで殺戮場であり、市内のあちこちで小規模な火災が発生しているのが見え、銃声も聞こえる」と報告。
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・この日付け歩9連隊兵士の日記(外賀関次日記)。
「本日左の如く命令が会報に出た。
一、良民達を殺さぬようにする事 
一、良民達の家屋内に無断にて立ち入る事を禁ず 
一、良民達の物品又は其他の品々を額収することを禁ず」(外賀閑次日記) 
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・深夜、南京、ソ連大使館、焼失。
「今日午後ソ連大使館焼く、此処日本兵決して入り込まざりし所なれば証拠隠滅の為自ら焼きたるにあらずやと思はる。他の列国公館は日本兵の入り込みたる疑あるも番人より中国軍隊の仕業なりと一冊を取り置けり」(「飯沼日記」元旦)。
飯沼上海派遣軍参謀長は、特務部岡中佐を現場調査に派遣、隣接するソ連大使公邸に独立機関銃第2大隊笹沢中隊の伍長ら4人が押し入り食糧を徴発しているところへ出くわす。
「10:00過、特務部岡中佐来りソ連大使館焼失に就て取調と米国大使館員(5日来る筈)と折衝の為来たりしとて午前1.00迄話して帰る。同中佐ソ連大使館に至りし時裏手の大使かの私邸に笹沢部隊(独立機関銃第二大隊の笹沢中隊)の伍長以下三名入り込み食料徴発中なりしと、今に至り尚食料に窮するも不思議、同大使館に入り込むも全く不可解。」(「同」1月4日)と飯沼は首を傾げるが、ソ連相手に事を構えるのを回避し、密かに大隊長を戒告してもみ消す。
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・レディーバード号事件解決
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以上、12回で昭和12年12月分を終了しましたが、「黙翁年表」は勿論まだ続いており、「南京」の話題が途切れるまで続けます。その後は、「重慶爆撃(戦略無差別爆撃)」をやります)。
 

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