2009年3月31日火曜日

小田原城主稲葉氏一族の墓 春日の局の墓







箱根にある長興山の「しだれ桜」と「石垣山一夜城跡」を見に行きました。
この長興山一帯は、江戸時代の小田原城主稲葉氏一族の菩提寺紹太寺となっているものでしたので、ついでと言えば失礼ですが、この一族の墓所を見学してきました。
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「寺社巡りインデックス」をご参照下さい。
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小田原市のHPから無断借用。
<稲葉一族の墓所> 
墓所は、入生田の旧東海道から約700m入った長興山(標高209m)の中腹にあって、360段の石段を登った先にあります。 この墓所は、東西約20m、南北約9mの長方形で、三面を低い石垣で山際を区切り、正面は南を向いていて、石段を登ると正面に3m近い堂々とした8基の墓石が横に並んでいます。 墓石は、正面向かって左から、稲葉美濃守正則、稲葉丹後守正勝の正室、稲葉丹後守正勝、春日局(正勝の母)、稲葉美濃守正則の正室、稲葉丹後守正通の後室、稲葉美濃守正則の長兄、塚田木工助正家の墓および供養塔となっています。 墓および供養塔の型は、美濃守正則だけ位牌型で、そのほかは五輪塔です。 塚田正家は、丹後守正勝の近臣で、正勝の一周忌に殉死したので、その忠節をたたえ、藩主の墓地に葬られました。
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初代藩主の正勝の父は小早川秀秋の旧臣であった正成(美濃の稲葉重通の婿養子)、母は明智光秀の重臣斎藤利三の娘の福(春日局、家光の乳母)だそうです。
小早川家臣ということで関ヶ原ではいろいろあった(家康に内通の件)と思います。
家光の乳母春日の局の存在でわかるように、徳川家の信頼厚く、東海道の要衝小田原城を任されたのだと思います。
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稲葉一族の墓
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ナヴィゲータのシマさん、ご同行のヤマさん。お疲れサマ。
でもチョイ飲み過ぎかな。焼酎ボトル900ml空けて、追加で900は無理かと、350にしたらこれが2本。おまけに、お銚子大も3~4本転がってましたよ。モチロン、「とりあえずナマチュー」もあったし。
終電は間に合いました。

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