2009年6月26日金曜日

リサガレー、ルイズ・ミシェルの描くコミューン市民、女性たち

パリ・コミューンにおける市民の戦いの様相を、リサガレーとルイズ・ミシェルの著作の中からピックアップしてみた。
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下は磯見辰典「パリ・コミューン」より借用
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パリ・コミューン (ドキュメンタリー・フランス史)
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リサガレー「パリ・コミューン」より
①市民兵士たち
「指揮官は上っ張りを着て、ほこりをかむり、袖章は茶色くこげている。兵士たちは、白髪の者もプロンドの頭の者もおり、六月蜂起に参加したことのある老人もおれば、その思想の被後見人ともいうべき若者もいた。しばしば父親のかたわらに息子もいっしょに行進していた。」
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②女性たち
「隊列に手を振り、あるいはその後に従って歩く女、これこそ勇敢な本当のパリジェンヌである。
・・・今や街路を掌握しているのは、がっしりして献身的また悲劇的な、愛することと同じように死場所を求める、八九年(フランス大革命)以来民衆の胸のうち深くを生き生きと脈動する、純粋で高潔な鉱脈から生まれ出た女たちである。労苦を共にしてきた妻たちは、また夫と共に死のうと思っている。
タイムズの特派員は、「フランス国民が女性からだけで成っていたとしたら、どんなにか恐るべき国民だったことだろう!」と書いている。」
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「妻は夫をひきとめることをせず、その反対に戦闘に押しやり、いつも仕事場に持っていくように、肌着やスープを聖域に運ぶ。
多くの者がそのまま帰ろうとはせず、銃をとる。
四月四日、シャティヨンの高台で彼女らは砲撃をおこなう。質素な身なりの酒保係たちも忙しく働いていた。
四月三日、ムードンの第六六大隊でラシェーズという女性は殆んど一人で、医師もないまま負傷者を看護して、一日中戦場に踏みとどまっていた。」
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「戦いから戻ると彼女たちは献身の合図を打ちならし、第一〇区の区役所に委員会を作って集まり、感動的な宣言を掲示した。「勝利かしからずんば死以外にありません。・・・」」。
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「高貴の生れで教養があり裕福で、ディミトリエフと呼ばれていた若い女性は、フランス大革命の時のテロワニュの如き働きをした。
行動において心において民衆そのものであったかのルイズ=ミシェルは、第一二区の小学校教師である。彼女を慕う小さい子供たちにはやさしく我慢強かったこの母親も、民衆の大義のためには、獅子の如くになった。彼女は砲撃下に負傷兵を看護する野戦看護隊を組織した。
彼女らはまた病院におもむき、親愛なる同志たちを気むずかしい修道女の手に渡すまいとし、瀕死の人たちを、共和国と希望について語りかけるやさしい声のささやきで元気づけたのであった。」
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③子供たち
「・・・子供たちも大人たちに負けない働きをした。勝利したヴェルサイユ軍は六六〇人の子供を捕えているし、多くが街頭の戦闘で死亡している。彼らは諸大隊について塹壕に行き、また要塞にも行き、大砲の後について離れなかった。
マイヨー門の数人の砲手は一三歳から一四歳の子供であった。彼らは広々とした何のさえぎるものもない戦場で、驚くべき勇敢さを発揮した。」。
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ルイズ・ミシェル「パリ・コミューン」より
ヌイイ戦線において、
「フェルナンデス、ダンゲ夫人、マリアーニがきていた。私たちは(ドンブロウスキの)参謀部の正面、ぺロネのバリケードのそばで移動救護班をやっていた。軽傷者は残り、重傷者は医師の決定するところにしたがって、大きな救護施設に運ばれた。しかし最初の手当でよくなるものもいくらかいた。」
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「マイヨー門はなおも、勇敢さで鳴る少数の砲兵たちによってもちこたえられていた。老人や青年、ときには子供までがその任にあたっていた。」
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「コミューンの軍隊にはまた、酒保の女性、看護婦、女性兵士が数多くいた。彼女たちもコミューンの戦士なのだ。
名前のわかっている女性は少ししかいない。第六六大隊の酒保のラシェーズ、コミューン狙撃兵ヴィクトリーヌ・ルーシー、決死隊の酒保の女性、コミューンの救護班にいるマリアーニ、ダンゲ、フェルナンデス、マルヴィナ・プーラン、カルチェ。
監視委員会の女性たち、ポワリエ、エクスコフォン、ブラン。
コルドリー街と学校の女性たち、ルメル、ドミトリエフ、ルルー。
パリの戦いがはじまるまでは教育を組織し、パリの戦いでは勇敢に戦った女性たち、アンドレ・レオ、ジャクラール、ペリエ、ルクリュ、サピアなどの夫人たち。
こういった女性たちはすべてコミューンの軍隊の一員であり、かなりの数にのぼった。」
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「ルイズ・ミシェルの生涯」はコチラ
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コチラにも婦人たちの活動があります
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少年たちの様相については、「血の週間」での出来事に関するユゴーの感動的な詩があります。これはのちほど紹介します。
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ルイズ・ミシェルのもの(上下)
パリ・コミューン〈上〉―一女性革命家の手記 (1971年)
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リサガレーのもの(上下)
パリ・コミューン〈上〉 (1968年)

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