2009年7月2日木曜日

昭和13(1938)年2月7日~14日 南京攻略戦の戦闘序列解除 松井司令官解任

昭和13(1938)年2月
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2月7日
・中ソ軍事航空協定調印。ソ連、中国に軍用機・技術者・操縦士提供約束
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2月7日
・この日付けジョン・ラーベの日記(「南京の真実」)。
「許さんが知らせてきたのだが、なんでも蓮沼の近くで、明け方に中国人が四人、日本兵に射殺されたとか。・・・
紅卍学会の使用人二人に案内されて、午前中、ソーンといっしょに西康路の近くの寂しい野原にいった。
ここは二つの沼から中国人の死体が百二十四体引き上げられた場所だ。その約半数は民間人だった。犠牲者は一様に針金で手をしばられていて、機関銃で撃たれていた。それから、ガソリンをかけられ火をつけられた。けれどもなかなか焼けなかったので、そのまま沼の中に投げこまれたのだ。近くのもうひとつの沼には二十三体の死体があるそうだ。南京の沼はみないったいにこうやって汚染されているという。」
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2月7日
・内務省、岩波書店にマルクス主義関係など27点の自発的休刊を指示
「(昭和十三年)二月七日、岩波文庫社会科学書目について自発的に増刷を中止せよとの指示を当局よりうける。そのため増刷・増製本を見合わせた書目下記の通り。
マルクス著『猶大人問題を論ず』『資本論初版紗』『賃労働と資本』『賃銀・価格および利潤』『フランスに於ける内乱』『哲学の貧困』。マルクス・エンゲルス著、リアザノフ編『ドイッチェ・イデオロギー』。リアザノフ著『マルクス・エンゲルス伝』。エンゲルス著『家族、私有財産及国家の起源』『住宅問題』『空想より科学へ』『自然弁証法』『反デューリング論』『フォイエルバッハ論』。エンゲルス、カウツキー著『原始基督教史考・基督教の成立』。カウツキー著『資本論解説』。ローザ・ルクセンブルグ著『経済学入門』『資本蓄積論』。ルイゼ・カウツキー編『ローザルクセンブルグの手紙』。レーニン著『帝国主義』『何を為すべきか』『唯物論と経験批判論』『カール・マルクス』『レーニンのゴオリキーへの手紙』『ロシアにおける資本主義の発展』『マルクス・エンゲルスの芸術論』。プレハノフ著『ヘーゲル論』。
文庫以外の書で同じく自発的休刊を余儀なくされたもの下記の通り。
美濃部達吉『現代憲政評論』。矢内原忠雄『帝国主義下の台湾』『満洲問題』。野呂栄太郎『日本資本主義発達史』。平野養太郎『日本資本主義社会の機構』。佐野文夫『レーニン唯物論と経験批判論』。
二月二十三日、矢内原忠雄『民族と平和』(一九三六・六・二五刊)発禁。この日、このことに関し岩波茂雄、警視庁によび出さる。
三月十五日、憲兵隊から干渉あり、天野貞祐『道理の感覚』(一九三七・七・一〇刊)を著者の申し出により絶版とする。軍事教練否定を理由とする」(「岩波書店五十年」)。
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2月8日
・新聞の親睦団体「二十一日会」、帝国ホテルに末次信正内相・富田健治警保局長ら内務省幹部を呼び、国家総動員法の中の新聞関係についてただす。
「朝日」緒方・野村秀雄、「東京日日」阿部賢一・高田元三郎、「読売」柴田勝衛、「国民」「報知」「中外」「同盟」も出席。
「二十一日会」は、
①国家総動員法からの新聞・出版関係条項削除。
②これが不可の場合、少なくとも2回以上の発禁で発行停止などという非常識な条項を削除する。などを要求するが、もの別れに終わる。
「二十一日会」は各社2人の実行委員を決め、9日に近衛首相、10日に企画院を訪れて申し入れ。
国会に提出された総動員法からは「発売、頒布禁止の行政処分を二回以上受けた新聞や出版物は発行停止処分にする」という項目は削除される。
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2月10日
・満洲国議会、国家総動員法制定。
経済・産業・教育の戦時体制への再編成。満州開発5ヶ年計画見直し、日本の戦時体制への資源供給を眼目にすると謳い、鉄・石炭などの迅速な生産拡大を狙う。
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2月10日
・この日付けジョン・ラーベの日記(「南京の真実」)。
「昨日の夕方、福井氏が訪ねてきた。・・・なんと、氏は脅しをかけてきた。
「よろしいですか、もし上海で新聞記者に不適切な発言をなさると、日本軍を敵にまわすことになりますよ」
・・・
「それならどう言えばいいんですか?」私が聞くと福井氏は言った。「ラーベさんの良識に任せます」
「つまり、報道陣にこう言えばいいんですね。南京の状況は日に日に良くなっています。ですから、日本軍兵士の恥ずべき残酷な行為についてこれ以上報道しないでください。そんなことをすると、日本人と我々の不協和音をますます大きくしてしまうだけですから、と」
すると非常に満足そうな答えが返ってきた。「それでけっこうです!」」
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2月11日
・この日付けジョン・ラーベの日記(「南京の真実」)。
「たった今、またもやこんな知らせが舞いこんできた。一人の兵士がある家に押し入った。天谷少将によれば、その素晴らしい軍紀によってつとに名高い日本軍の兵士が、だ。その家には母親と二人の娘が住んでいた。娘を強姦しようとしたが抵抗され、そいつは三人を家に閉じ込めて火をつけた。娘の一人は焼き殺され、母親は顔にひどいやけどを負った。この件を調査しなければ。
・・・
マギー牧師がすさまじい残虐行為の実写フィルムを持ってきた。ローゼンは、上海で複製を作らせている。ベルリンに送るつもりだ。・・・
十七時
中国軍の空襲。空は一面爆撃機で埋めつくされ、日本軍の防空部隊が必死で狙撃している。まったく当たらない。・・・」
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2月12日
・シューシュニク・オーストリア首相、ヒトラーとベルヒテスガーデンで会談。
オーストリア・ナチスへの譲歩約束。「議定書」署名。19日、拘留中のナチス党員釈放。ヒトラー、ナチスの活動の自由拡大を認めさせる。
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2月13日
・唯物論研究会の戸坂潤ら、弾圧を予想して自主解散、学芸発行所とするる。3月『唯物論研究』最終号。4月、継承誌として『学芸』を創刊(~11月)。
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2月14日
・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解き、新たに中支那派遣軍(司令官畑俊六大将、参謀副長は武藤章大佐留任)の戦闘序列を下命。南京攻略戦の終結
中支那方面軍松井司令官・第10軍柳川司令官、召集解除。上海派遣軍朝香宮司令官、軍事参事官転捕。
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解任された松井石根は、16日司令部決別式で、「南京占領後二ケ月間における大本営および政府と予の意見に相違ありて、ついに予の欲するところを実行しざりし苦衷を述べ、今頃万事を中途のままに帰還する予の胸中の苦悶と感慨を述べた」(松井日記)。
日本に帰還した松井は、「駅頭市民の歓呼は軍部の取扱に比し、すこぶる熱狂、感謝的なるを認む」と日記(2月25日)に記す。
マスメディアは凱旋将軍として報道し、天皇も大軍功の殊勲者として勅語を与える。
陸軍中央は、松井石根の不作為による不法残虐事件の発生を知り、内部措置のかたちで解任するが責任は不問に付し、国民にはその事実を隠蔽
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