2009年8月22日土曜日

江戸城(1) 清水門

江戸城清水門
ここは外濠の一ツ橋門との間隔(距離)が短い(歩いても5分くらい)ため、特に攻めるには難しく設計されている。
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①清水門の説明板。重要文化財。
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②外観も堂々と
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③正面から見ると
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④脇の城壁も高い
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⑤まず高麗門を入る。
直進できない。
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⑥振り返るとこんな感じ。
この空間は「枡形」という。
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⑦次に渡櫓門がある。
前に城壁が見える。
又しても、直進できるようには見えない。
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⑧渡櫓門をくぐると、ここで180°方向を変えなければならない。
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⑨広いが、高低差のある坂道が繋がる。
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⑩こんな感じ
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⑪上から見ると、高低差がよくわかる。
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⑫渡櫓門をくぐってすぐ左の城壁から清水門を見る。
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⑬渡櫓門をくぐって、正面右の城壁から見ると、
渡櫓門がこんな感じで見える。
進入する敵を一網打尽にできる。
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⑭写真④の高い城壁の上から清水門(高麗門)を見る。
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以上の様に、この清水門は、入城するに際し、直進はできなく、急な坂道を通らざるを得ず、高い城壁に囲まれ、おまけにその城壁上からは門が一望できるように設計されている。
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竹橋方面から清水橋に向う時の風景。
やはり城壁は高い
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清水橋方面から竹橋を見た風景
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清水門を上ったところに、何故かちょっとお疲れ気味に見えるお方が・・・。
元奉天総領事(中国侵略強硬派)にして、敗戦後の対米従属外交路線を開く。
実父は自由民権運動土佐派の竹内綱である・・・云々は、以前に書いたことがあります(「英一番館」のところ。)
まあ、自由民権運動活動家といっても反薩長では頑張るんだけど、明治議会を、同じく土佐出身の兆民をして「うじ虫どもの陳列場」と言わしめた裏切りの張本人ですからねェ・・・。
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名政治家の祖父のトラウマに押しつぶされたお孫さんは、・・・。
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