2010年4月22日木曜日

★樋口一葉インデックス

樋口一葉インデックス
(「一葉日記抄」は下段にあります)
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樋口一葉、春寒を願う 「七日かほどかくてあらなんと願ふもあやし」(「よもぎふ日記」明治26年4月6日)
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東京の桜 法真寺 樋口一葉ゆかりの桜木の宿
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一葉(19歳)、妹を誘って上野から墨田堤を花見して父を偲ぶ 「むかしの春もおもかげにうかぶ心地して」(「若葉かげ」明治24年4月11日)
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樋口一葉、頭痛に苦しむ 「かしらのいとなやましきに、胸さへもたゞせまりにせまりてくるほしければ」(蓬生日記」明治26年4月25日)
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湯島・根津・本郷・千駄木(8) 本郷菊坂 樋口一葉旧居跡 一葉井戸 伊勢屋質店 鐙坂
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樋口一葉(22歳)、岩崎家の土地買収を皮肉る。 「月まではいかにやいかに」
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治5年(1872)1月~3月 「学問のすすめ」出版 島崎藤村誕生 樋口一葉誕生 [一葉0歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治5年(1872)4月~5月 江藤新平が初代司法卿に就任 施し厳罰の布告 天皇の西日本巡幸 琉球併合が議論される [一葉0歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治5年(1872)6月~7月 マリア・ルーズ号事件 鷗外(10歳)上京 西郷隆盛、山県有朋を救い、参議兼元帥兼近衛都督となる
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治5年(1872)8月~9月 学制発布「・・・邑ニ不学ノ戸ナク家ニ不学ノ人ナカラシメン・・・」 琉球藩設置 初めての軍艦の海外派遣 [一葉0歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治5年(1872年)10月~12月 人身売買禁止と芸妓・娼妓・前借金による年季奉公人の無償解放 富岡製糸場操業開始 リゼンドルの台湾平定軍事作戦計画 太陽暦採用 国立銀行条例 徴兵告諭 山城屋和助事件 大分県中4郡一揆 [一葉0歳] 
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一葉年譜と一葉の生き た明治 明治6年(1873年)1月 農民暴動の頻発 太政大臣三条実美の岩倉具視への手紙(島津久光問題、大蔵省問題、台湾問題、朝鮮問題) [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)1月 司法卿江藤新平、大蔵省の予算削減に抗議して辞表提出 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)2月~3月 高島炭鉱暴動 星亨(22)横浜税関次長就任 植木枝盛(16)上京 与謝野鉄幹誕生 外務卿福島種臣清国派遣 新旧公債発行条例 陸軍少佐樺山資紀ら清国・台湾・朝鮮・満洲調査 [一葉1歳] 
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)3月5日 越前護法大一揆(越前真宗門徒の大決起) 大野・今立・坂井3郡下で勃発 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)年3月 新次郎魚代渋事件 朝鮮で反三井の空気強い 陸軍大輔山県有朋辞職 左院議長後藤象二郎・司法卿江藤新平・文部卿大木喬任、参議に任命 島津久光、鹿児島士族率い上京 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)5月 ウィーン万国博開催 太政官職制改正(「潤色」) 大蔵大輔井上馨・大蔵省三等出仕渋沢栄一、辞表提出 プロイセン5月諸法 1873年世界恐慌 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1783)5月26日~31日 大久保利通、欧米視察より帰国 小野組、京都裁判所へ「難渋御訴訟」 [一葉1歳]
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樋口一葉17歳の夏 「涙のとしの葉月廿日みの虫のちゝよちゝよと嵐のやどりにしるす」 一葉の父祖の物語
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)年6月 第一国立銀行創立 京都裁判所、小野組転籍受理 筑前竹槍一揆 副島全権、単独で清朝皇帝謁見 名東県一揆 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)年7月1日~26日 朝鮮問題の閣議決定 木戸孝允、帰国 井上救済に動く [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)7月28日~31日 「地租改正令」公布 西郷の使節暴殺・開戦論 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)8月1日~3日 井上馨の尾去沢銅山事件 木戸の征台征韓反対意見 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)8月10日~17日 西郷の朝鮮派遣を閣議決定(「内決」)  西郷の「使節暴殺論」の真意は? [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)8月19日~9月2日 京都府の長州閥、槇村正直救済のため木戸工作に暗躍  植木枝盛(16歳)、海南私塾退学  黒田清隆開拓次官、樺太出兵を建議 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)9月3日~9月15日 木戸、西郷派遣の閣議決定は「深慮に耐えず」と批判  岩倉・伊藤らの帰国  伊藤博文、薩長体制建直しに暗躍 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)9月16日~25日 木戸孝允、左半身不随となり伊藤博文が代理人を務める 木戸は京都府幹部を攻撃する司法省(江藤)に激怒
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東京 一葉記念館 たけくらべ記念碑 樋口一葉旧居跡 吉原大門の見返り柳 吉原神社 吉原弁財天
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)9月26日~30日 三条・岩倉・黒田・伊藤の説得にもかかわらず大久保は参議就任を固辞 司法大輔福岡孝弟ら司法省幹部、進退を賭けて三条太政大臣に上申 [一葉1歳]
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東京 一葉記念館を再訪 特別展「一葉と江戸」 樋口一葉旧居跡 酉の市の提灯 長国寺 鷲神社
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)10月1日~8日 伊藤博文の朝鮮使節利用による井上・槇村救済戦略 大久保利通、参議就任を承諾 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)10月9日~14日 大久保利通・副島種臣参議就任 14日の閣議は朝鮮使節派遣の結論を持ち越す [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)10月15日 西郷朝鮮派遣めぐり閣議 西郷は「始末書」を提出して欠席 西郷派遣決定 大久保利通の延期論破れる [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)10月17日~20日 大久保らが辞表提出 太政大臣三条実美の精神錯乱 大久保の「一の秘策」(岩倉の太政大臣代理就任を画策 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)10月21日~24日 明治6年10月政変(大久保のクーデタ)なる [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)10月25日~28日 朝鮮の崔益鉉、大院君弾劾上疏を呈出 槇村正直の拘留を解く「特命」 大久保書簡「旧参議にたいし御申し訳あるまじ」 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)11月1日~4日 大久保利通「立憲政体に関する意見書」 井上馨、伊藤博文に利権を無心 李氏朝鮮の高宗新政開始 大院君失脚 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)11月5日~15日 内務省設置(初代内務卿大久保利通) 西郷の帰郷 ボアソナアド、横浜に到着 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)11月17日~末日 家禄税創設決定 木戸は不満 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治6年(1873)12月 大久保、政権維持を憂慮「来年二月頃まではは国家維持の成否あい分かれ申すべく」 江藤新平、不在の中で佐賀征韓党党首に選ばれる 槇村正直らに有罪判決 [一葉1歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治7年(1874) 一葉の妹くに子誕生 くに子と「一葉日記」出版までの経緯 [一葉2歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治7年(1874)1月 愛国公党結成 喰違の変 [一葉2歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治7年(1874)1月17日~28日 民撰議院設立建白書提出 江藤新平、伊万里に上陸 [一葉2歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治7年(1874)2月 佐賀の乱勃発 台湾蕃地処分要略 [一葉2歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治7年(1874)3月 「明六雑誌」創刊 [一葉2歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治7年(1874)3月1日~30日 江藤新平、鹿児島で西郷隆盛と会談、土佐で捕縛  台湾領有意図「フォルモサ島(台湾)の一部を日本に併す」  [一葉2歳]
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一葉年譜と一葉の生きた明治 明治7年(1874)4月1日~9日 台湾遠征軍総司令官西郷従道、品川進発  江藤新平ら処刑  [一葉2歳]
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一葉日記抄
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明治26年(1983)8月「塵之中」 一葉、子供時代(7歳、9歳、12歳、15歳)を回想する。
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明治24年(1891)10月4日(19歳) 「地そ軽減をとなふるの有志家、予算の査定に熱中するの代議士、かゝる遊び(待合遊び)に費やすのこがねのをしからずとは、・・・」
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明治24年(1891)10月7日(19歳) (文章修業)「これ作りてはてねば死なんとおもふ・・・」  (十五夜の月見)「哀、おの子ならましかば、・・・」(「蓬生日記」)
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樋口一葉日記抄 一葉21歳 明治26年(1893)11月23日~12月1日 「女子の脳はいとよはきもの哉。・・・」 創作への気迫
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東京 安藤坂 牛天神 中島歌子歌碑 一葉が通った萩の舎跡 荷風が生まれ育った土地
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一葉日記抄 明治26年(1893)12月2日~31日(21歳) 「かゝる世にうまれ合せたる身の、する事なしに終らむやは。なすべき道を尋ねてなすべき道を行はんのみ。」(「塵中日記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)年1月1日~20日(22歳) 「男はすべて重りかに口かず多からざるぞよき。」(樋口一葉「塵中日記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)2月2日~22日(22歳) 年始廻りと金策と 着て行く着物がない 「きるべきものゝ残らずよその蔵にあづけたれば、・・・」(樋口一葉「塵中日記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)2月23日(22歳) 一葉、起死回生の捨身の戦術にでる。 「うきよに捨ものゝ一身を何処の流にか投げこむべき。」(樋口一葉「塵中日記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)2月25日(22歳) 「万感むねにせまりて、今宵はねぶること難し。」(樋口一葉「塵中日記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)3月(22歳) 「中々におもふ事はすてがたく、我身はかよわし。」(樋口一葉「いはでもの記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)3月(22歳) 「唯此死といふ事をかけて、浮世を月花におくらんとす。」(樋口一葉「塵之中日記(ちりのなかにつき」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)3月(22歳) 一葉、廃業を決意する。 「わがこゝろざしは国家の大本にあり。」(樋口一葉「塵中(ちりのなか)につ記」
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)3月26日~28日(22歳) 「此人のもとを表だちてとはるゝ様に成ぬる、うれしとも嬉し。」(「樋口一葉「塵中(ちりのなか)につ記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)4月(22歳) 「店をうりて引移るほどのくだくだ敷、おもひ出すもわずらはしく、心うき事多ければ、得かゝぬ也。」(樋口一葉「塵中(ちりのなか)につ記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)6月(22歳) 「唯目の前の苦をのがるゝが為に、婦女の身として尤も尊ぶべきこの操をいかにして破らんや。」(樋口一葉「水の上日記」)
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樋口一葉日記抄 明治27年(1894)6月20日(22歳) 明治東京地震起こる 「三田小山町辺には、地の裂けたるもあり。泥水を吐出して、其さま恐ろしとぞ聞く。」(樋口一葉「水の上日記」)
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