2010年5月17日月曜日

明治5年(1872)1月~3月 「学問のすすめ」出版 島崎藤村誕生 樋口一葉誕生 [一葉0歳]

明治5年(1872)1月 (この年11月まで日本は太陰暦)
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この月
・鹿児島県庁、伊地知貞馨・奈良原繁を琉球に派遣。
廃藩置県に対応した琉球王府の措置を要求(琉球の管理権が鹿児島県から日本政府に移る)。
交渉は不調に終る。
この時、伊地知は、遭難した宮古島民の那覇帰還に際会。
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・正岡子規(6)、家督相続。
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・マルクス、第2版のため「資本論」に手を加え、第1版の付録を第1章に入れる。
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1月2日
・国際労働者協会(第一次インターナショナル)総務委員会でイギリス連合委員会と総務委員会の関係について議論。
16日、規約改正を条件にイギリス連合委員会を承認するマルクス提案が採択。
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1月2日
・ニーチェ、「音楽の精神からの悲劇の誕生」をフリッチュ書店(ヴァーグナーの著作を出版)から刊行(1000部)。中旬から数回、バーゼル市学術協会依頼の公開講演「我々の教育施設の将来について」、好評。
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1月6日
・榎本武揚、松平太郎、大鳥圭介、松平容保・喜徳ら、無罪放免。
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1月10日
・東海道各駅の伝馬所・貫目改所が廃止。助郷解散令も出される。
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1月12日
・永井尚志(58)、開拓使御用掛に任命。19日、少議官に任命。
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1月16日
・台湾牡丹社で清国人民官に保護された琉球宮古島民、福建省福州の琉球館に引取られる。6月7日、那覇に帰還。
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1月17日
・スイス第1インターナショナル支部に解散命令。*
1月23日
・天皇の操練始まる。前年(明治4年)12月10日、天皇のための御練兵御用掛が新設。
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1月24日
・天皇の肉食の最初の日、といわれる。
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1月27日
・左院(後藤・江藤)のヨーロッパ視察団、横浜出航。
岩倉視察団とは別にイギリス・フランスの議会制度の調査研究のため。
中議官西岡逾明・同小室信夫・中議生鈴木貫一・少議生安川繁成。
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1月29日
・複雑な身分制度を華族・士族・平民に単純化。卒身分の廃止。卒を士族(世襲の卒)と平民(1代限りの卒)に分け、新身分制度が確立。
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1月29日
・初の全国戸籍調査実施。総人口は33,110,825人。
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2月
・柳原前光を北京に派遣。批准書交換を前に修正交渉。
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・秩禄処分案(大蔵省案、家禄廃止計画)、太政官正院で内決。
急進的内容。3千万円外債募集・家禄削減案(1/3減額、残額を6ヶ年継続後打切り)。
これは、約定違反。
大隈作成・井上協力・西郷賛成。
但し、後に大修正となる。西郷は3千万円のアメリカでの外債募集のため、大蔵少輔吉田清成・大蔵少丞大鳥圭介らをアメリカに送る(2月16日、横浜発)。
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・中村敬宇「自由之理」刊行。ミル「自由論」を翻訳。
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・福沢諭吉「学問のすすめ」(~明治9年11月迄)。慶応義塾の「活字版」により出版。
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・京都府大参事槇村正直、工部省鉄道寮御用兼任命ぜられる。
この頃、敦賀~京都~大阪の鉄道建設費を改めて見積もるが、70万円とされていたものが140万かかるとされる。工部省は国有化案、大蔵省は民営化案を主張。
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・マルクス、ソンヴィーエ大会(71年11月)の諸決定とジュラ連合の総務委員会への攻撃に対する回答として、秘密回状「インタナショナルのいわゆる分裂」作成。
スイスのバクーニン主義者の破壊活動、国際労働者協会の原則と政策の歴史的発展を述べる。
3月、総務委員会に提出、採択。
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2月8日
・「日新真事誌」発行。
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2月9日
・(露暦1/28)チャイコフスキー、「交響曲第1番」出版。ニコライ・ルビンシテインに献呈。
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2月15日
・土地永代売買禁止を解除。
地券公布。封建的領有制廃棄・土地私有法認。更に、土地売買に際して地券を交付する地券渡方規則を改め、用益・処分の自由を伴った近代的所有権(私有権)を法認する。
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2月15日
・筆頭参議西郷隆盛(大久保大蔵卿に代る大蔵省事務総督兼任)、大久保宛に手紙。
廃藩後の新県人事は順調、旧藩の外債償却完了・内国債償却開始、秩禄処分(家禄廃止)の原資に充てるアメリカでの外債3千万円募集のため大蔵少輔吉田清成の派遣、を報告。
「此の機会失うべからず、両全の良法」と意欲を示す(秩禄処分に積極的)。
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2月16日
・フランス人弁護士ジョルジュ・プスケ(26)、横浜着。
江藤新平は、明治2年副島種臣が箕作麟祥に翻訳させたフランス刑法典の一部を見てその優秀さに感心する。
直ちに、太政官制度取調局において箕作麟祥にフランス5法典全部の翻訳に着手させるが(「仏蘭西法律書」)、翻訳に窮した箕作は自らのフランス留学を提案するに至り、法律家を招聘することになる。
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2月17日
島崎藤村、誕生
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2月21日
・「東京日日新聞」(のちの毎日新聞)創刊。
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2月22日
・東京府庁、猿若町三座の太夫元と作者に「演出の矯正と勧善懲悪」口達。
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2月26日
・銀座・築地一帯大火。明治初の洋風建築「築地ホテル館」が焼失。
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2月27日 
陸軍省・海軍省創設。兵部省を陸軍省と海軍省に分離。
山県有朋陸軍大輔兼近衛都督(陸軍卿は欠員)、西郷従道海軍少輔兼近衛副都督。海軍少輔川村純義。
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2月29日(旧1月21日)
・使節団、ワシントン着。
少弁務使森有礼出迎え、条約改正交渉を献策(アメリカの好意を過大評価)、これに伊藤博文が同調。
女子留学生は、ジョージタウンのチャールズ・ランメン宅へ。
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3月7日
・子規(6)の父(40)、没。子規は、父の兄佐伯政房(半弥)のもとへ手習いに通う。
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3月9日
・御親兵を近衛兵と改め都督が指揮。初代近衛都督山県有朋兵部大輔兼任。
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3月10日
・第1回京都博覧会開催。西本願寺・建仁寺・知恩院。~5月30日。日本人31103人、外国人770人入場。
京都府企画、三井八郎右衛門・小野善助・熊谷久右衛門(鳩居堂)らが京都博覧会社を作り呼びかけ。明治6年3月、第2回を開催。
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3月11日
・日本人による初のキリスト教会、横浜に設立。
前年5月、現在の横浜海岸教会の地にアメリカ人宣教師が石造の小会堂を建設。
この月、日本人信者により最初のプロテスタント教会である日本基督公会(通称横浜公会)が設立。
明治8年、大会堂が建設され横浜海岸教会と改称される。
両会堂は関東大震災で焼失し、昭和8年に現会堂が再建される。
横浜海岸教会はコチラ
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3月11日(旧2月3日)
・岩倉使節団、条約改正交渉に入る。20日(旧2月12日)、大久保・伊藤、全権委任状再交付求め一時帰国へ。3月24日(新5月1日)、日本着。
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3月14日
・神祇省を廃止。教部省に改編。
神道・仏教など宗教界を動員して、統一的組織的な国民教化の新路線を目指す。
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基本的教条として、
「一、敬神愛国ノ旨ヲ体スベキ事 
一、天理人道ヲ明ラカニスベキ事 
一、皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムベキ事」
の「三条の教則」を定め、この教則の内容を具体化した「一七兼題」には、「神道主義」の復古的なものの他に、開明政策的な標題も含まれる。
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左院副議長江藤新平、教部省御用掛を兼務
3月27日、女性の社寺立入・宗教活動参加制限を撤廃。
4月25日、僧侶の「肉食、妻帯、蓄髪」を自由とし、宗教活動以外では「人民一般の服」着用可能とする。
5月25日、解任(左院より司法卿に転じたため)。
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3月24日
・大久保利通・伊藤博文、条約改正交渉権委任状を得るため一時帰国。
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3月24日
・沼間守一(28)、大蔵大輔井上馨のすすめで横浜に行き、租税寮出仕として横浜運上所勤務始める。
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3月25日
樋口一葉、誕生
東京府第2大区1小区内山下町1丁目1番屋敷(幸橋御門内の東京府庁の抱地、現千代田区内幸町2丁目、日比谷シティの富国生命ビル付近)の東京府庁構内(旧郡山藩柳沢甲斐守邸跡)の官舎替りの長屋で誕生。
父は、府庁に勤める為之助(この年則義と改名、41)、母は、多喜(37)の次女。
戸籍名「奈津」。後になつ、夏子、藤原夏子とも署名する。
この時、姉ふじは14歳、長兄泉太郎7歳、次兄虎太郎5歳。夏子の2歳下に妹くにが誕生する。
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両親は、甲斐国山梨郡(塩山市)の農家に生まれる。
20代で駆け落ちをして江戸にのぼり、夫婦夫々に働き、10年後の慶応3年7月、南町奉行配下八丁堀同心の株を買って幕臣となる。しかし、3ヶ月後に大政奉還。
それでも父則義は、東京府の末端の役人(権少属、社寺取調掛)として勤めを続け、官舎住まいをしている。
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東京府の役人としては出世を望むことの出来ない元御家人の則義は、金貸しや不動産売買・斡旋で収入を得ている。転居が多いのも、転売によって利殖をはかっていたためである。
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(一葉の父祖の概要は後に触れる)
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3月27日
・神社仏閣の女人禁制が廃止。
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3月30日
尾去沢銅山払下げ
大蔵大輔井上馨(長州)、工部少輔山尾庸三(長州)に、岡田平蔵(長州、井上家出入り政商)に尾去沢銅山経営を下命するよう要請。間もなく、無利息15年賦3万6,800円で岡田に払い下げ。
新政府は旧盛岡藩の外債を肩代わりし、その代償として盛岡藩資産を調査中に、豪商村岡茂兵衛から5万5千円の証文に「内借し奉る」の文字を見つけ、村井の債務と決めつけ尾去沢銅山を没収(村井は銅山経営権取得に12万4,800円を費やす)。
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「★一葉インデックス」をご参照下さい
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