2010年5月22日土曜日

明治5年(1872)4月~5月  江藤新平が初代司法卿に就任 施し厳罰の布告 天皇の西日本巡幸 琉球併合が建議される [一葉0歳]

明治5年(1872)4月 (この年11月まで日本は太陰暦)
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この月
・神奈川県令陸奥宗光「田租改正建議」。*
・左院少議官宮島誠一郎「民選議院設立時期尚早論」。板垣賛成、江藤反対。
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左院少議官宮島誠一郎は、国憲制定の必要性を大議官伊地知正治に相談し賛意を得て、参議西郷・板垣も好意的であり、「立国憲議」を起草し左院議長後藤に提出。
宮島の提案に江藤副議長は反対。
宮島は「皇国古来固有」の国体を立論の前提とする。無知蒙昧な人民の「自主自由」を規制するために君権の確定が必要であり、そのための憲法制定を説く。
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・守田勘弥・河竹新七・桜田治助、第1大区役所で芝居について説諭される。
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・東京~大阪間、電信開通。
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・ビッツオフ駐日代理公使着任、副島種臣に樺太を200万円で買収することを提案(妥結せず)。
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・マルクス、インター総務委員会で、リープクネヒト、ベーベルらへのライプツィッヒ裁判の結果を報告、アイルランド労働者に対するヘールズの消極的態度を非難。アイルランド警察のテロルへの抗議宣言作成委任。9日、宣言が読上げられる。
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4月4日
・信濃川分水工事に従事の農民、蜂起。
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4月5日
・女子の断髪、禁止。
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4月7日
・児島惟謙、司法権少判事(7等)に任命。11月18日、司法少判事に任命、大阪出向。
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4月9日・庄屋・年寄廃止、戸長・副戸長置く。
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4月9日
・「資本論」ロシア語訳3千部、発行。
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4月14日
・新英学校、女子に対する手芸の教授施設の女紅場(じょこうば)が開設。
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4月15日
・開拓使仮学校、開校。
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・永井尚志(58)、正六位に叙任。
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4月15日
・ワーグナー「マンフレッド瞑想曲」作曲。
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 4月25日
・(新5/31)江藤新平(38)、初代司法卿に就任。司法権確立に挺身。5月、裁判所を司法省管轄・裁判権独立等司法省伺提出允可。
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司法権の状況:
明治4年7月9日、司法省が設置(刑部省・弾正台合併)されるが、権限は刑事裁判のみ。民事は大蔵省所管。
明治4年9月、民事訴訟裁判が司法省に移管されるが、実施されたのは東京府のみで、他は従来通り大蔵省監督下の地方官が裁判を行う(行政庁である府県が、同時に司法権も行使)。
また、司法省大輔佐々木高行が岩倉使節団に理事官として加わり、事務も停滞。
保守派の佐々木は、司法少輔宍戸璣を司法大輔に、司法中判事伊丹重賢を司法少輔に昇格させるが、両人共に穏健派。
急進派の司法省権中判事島本仲道(39)・同河野敏鎌らが強力なリーダとして江藤の司法卿就任を参議大隈重信・大蔵大輔井上馨に働きかける。


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4月25日
・教部省、教導職を置き、大教正以下権訓導まで14級に分け、まず神職・僧侶を任命。
敦賀県下の教導職は、神官が33人(越前18・若狭15)、僧侶が760人(96%、越前519・若狭241)計793人。全国平均では、神官が全体の約60%。
敦賀県では、寺院(とりわけその過半を占める真宗寺院勢力)の協力を得なければ、教導職体制が推進できないことを示す。
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・僧侶の妻帯、肉食、髪を伸ばし、平服着用、許可。
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4月30日
・イギリス人メイヤ兄弟、上海で中国最初の商業新聞「申報」を創刊。
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5月
・国会開設建白の最も早いもの。
犬上県の福島昇の「立憲為政之略議」。上院は従来の3院(正院・左院・右院)で構成し、下院は「入札」制をとり、府県の大区には公選制の「議事社」を設ける。
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5月2日
・太政官左院、司法卿江藤新平の欧米派遣発令。太政大臣三条実美が出発延期を要請。17日、随員のみが大久保・伊藤と同船で出発。
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 5月10日
施し厳罰の布告
 「香川県布告に、仏法に耽溺するの情より遍路乞食等へ一銭半椀の小恵(ショウケイ)を施し、乞食等も亦甘じて小恵に安んじ、更に改心の期なし、却て害を招く基と相成、甚以(ハナハダモッテ)宜しからざる儀に付、今後右等小恵を施し候儀堅く不相成(アイナラズ)。万一右の令にそむく者これあるにおいては爾後其者厄介に申付義も有之べく候条、何(イズレ)も心得違いこれなき様致すべき事。但し其身体不具にして自存する事能わざる者は親族は申すに及ばず、其村町に於て厚く世話いたし、他村他町等に袖乞(ソデゴイ)等致さざる様、戸長、村町役人共取計(トリハカライ)申可事。」(明治5年5月10日付け「新聞要録」)
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これは、全国に発令されたものと見え、この1ヶ月後、埼玉県佐知川村で、乞食に物を与え軒先に止宿させた農民が、罰として「厄介」(面倒を見ること)を命じられたということがある。
貧しい者に援助の手を差しのべることがかえってその独立心をそぐことになる、という発想
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 5月11日
・日清修好条規改定交渉で天津滞在の外務大丞兼少弁務使柳原前光(22)、この日付け「京報」に琉球遭難民の記事掲載を知る。外務卿副島種臣に報告。
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 5月14日
・(新6/19)大久保・伊藤に新全権委任状交付(特定国との調印不許可の留保付、事実上使用不可能)。外務卿副島種臣は岩倉使節団の軽率・無定見を厳しく批判。17日(新6/22)、再度アメリカへ。
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5月14日
・ビスマルク宰相、カトリック勢力と対決演説。文化闘争展開しカトリック弾圧決意を固める。
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5月14日
・(旧4/8)吉田清成ら、ワシントン入り。
少弁務使森有礼は、外債募集は自分の職権と考え、吉田の派遣を不愉快に感じ、秩禄処分・外債募集に反対の意見を新聞に流し、吉田の職務の妨害をする。
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吉田と森は慶応元年に鹿児島からイギリスに送られた留学生仲間。森は先に帰国、制度取調掛として帯刀廃止などの急進的意見で守旧派から憎まれ、明治3年閏10月アメリカに派遣。
吉田は、明治3年12月アメリカ出発、明治4年2月帰国、大蔵官僚となる。
明治6年1月13日ロンドンでオリエンタル・バンクとの契約調印に成功。
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5月15日
・大蔵大輔井上馨、各府県からの送納租税を御為替方3組(小野・三井・島田組)に委託。
いちはやく食い込んだ小野組は、1府28県を任され全国40数ヶ所に出張所を設置、取扱高でも三井・島田組を凌ぐ。
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5月15日
・この頃~73年1月頃。エンゲルス、「フォルクスシュタート」に「住宅問題」を書き始める。
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5月17日
・大久保・伊藤、条約改正交渉権の委任状を持って横浜発、アメリカに向う。
江藤の代りに随員司法少丞河野敏鎌・権中判事岸良兼養・警保助川路利良・司法中録井上毅・司法省七等出仕沼間守一・同名村泰蔵ら8人派遣(フランス司法制度調査、法律顧問招聘)。
副島種臣により駐イギリス大弁使任命の前外務大輔寺島宗則同船(岩倉使節団の監視)。
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 5月19日
・横浜駅(現在の桜木町駅)が開業。
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5月20日
・(新6/25)司法卿江藤新平、「司法省仮規程」制定。司法省は裁判所・裁判官の総括をする。
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同日、正院に対して、各府県の裁判所を司法省の管轄におきたいので至急の評決を求める(全国裁判事務の司法省への統一)。
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22日、「司法事務」全5条、制定。
司法省による全国裁判所統轄の方針及び裁判内容への不干渉。「司法省誓約五箇条」、制定。司法省は「民ノ司直」であり、責務は「人民ノ権利ヲ保護」することとする。
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27日、司法省裁判所(1等裁判所)開設。
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29日から、新聞記者を招いて、司法省裁判所と東京裁判所(明治4年12月27日司法省内に開設、2等裁判所)を傍聴させる。
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5月22日
・ワーグナー(59)、バイロイト祝祭劇場定礎式(起工式)。リストは招待を受けるが欠席。
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 5月23日
・(新6/28)天皇、西日本巡幸
新制の正服(燕尾形ホック掛けの洋服)を初めて着用する。軍艦「龍驤」で出航。島津久光慰撫。
西郷隆盛・陸軍少輔西郷従道・海軍少輔川村純義・宮内卿徳大寺実則ら70余、随行。近衛兵1小隊・軍艦9隻動員。
6月17日、長崎着。22日(7/27)、鹿児島着。7月4日、西郷兄弟、丸亀より帰京。12日(8/15)、天皇帰京。
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5月29日
・東京師範学校創設、決定。 教員養成目的。
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5月30日
・大蔵大輔井上馨、正院に対し琉球完全併合を建議。福島外務卿は琉球藩とし外交権封じる建議。
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6月2日、正院、琉球措置を左院(立法審議機関)に諮問。左院は、
性急な日清両属解消は「清と争端を開く」恐れありとして、現状維持説。結局、急進(大蔵省)・漸進(外務省)・現状維持(左院)のうちの中間の外務省案(琉球藩設置)を採用。鹿児島県経由で在琉の伊地知を通じて、琉球王府に日本新政慶賀の使節を東京に派遣するよう達する。
21日、鹿児島県伊地知貞馨、琉球王府に琉球藩設置方針踏まえ日本新政権慶賀使節の派遣要請を伝える。
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「★一葉インデックス」をご参照下さい。
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