2010年8月1日日曜日

「七月廿五日。くもりて蒸暑し。・・・日軍の為す所は欧州の戦乱に乗じたる火事場泥棒に異らず。・・・」(永井荷風「断腸亭日乗」昭和16年7月25日条)

永井荷風「断腸亭日乗」昭和16年7月25日条に、
「七月廿五日。くもりて蒸暑し。・・・此夜或人のはなしをきくに日本軍は既に仏領印度と蘭領印度の二個所に侵入せり。この度の動員は蓋しこれが為なりと。比の風説果して事実なりとすれば、日軍の為す所は欧州の戦乱に乗じたる火事場泥棒に異らず。人の弱味につけ込んで私欲を逞しくするものにして仁愛の心全く無きものなり
とある。
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日米交渉の真っ最中の日本軍の南部仏印進駐のことを言っている。
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そして、8月1日の対日石油禁輸に繋がってゆく。
政策決定に関与した者らは、アメリカが、そこまでの対抗措置に出るとは想定していなかったようだ。
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昭和16年(1941)7月~8月のこの暑さの中で、国の指導者と言われる者たちが、いかに道を誤っていったのか、少し見て行く。
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昭和16年(1941)7月
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この月
・京都、京都府立医大内グループ7名検挙、うち2名起訴。読書会・社会医学研究会。
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・海軍省教育局長徳永栄少将、2・26事件以降海軍兵学校・海軍大学校出入り差し止めになっている平泉澄博士に出講を願いでる。
以降、昭和17年上半期だけでも数度江田島に出向き「皇国護持の道」と題する講義。
昭和18年、井上成美が校長となってからこれを見直す。
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・太宰治(32)、書下ろし長編「新ハムレット」(文藝春秋社)。
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・フランス、ユダヤ人の企業所有・管理・経営、禁止。

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・フランス、占領地区のファシスト分子、「反ボルシェヴィズム・フランス義勇軍」結成。総裁ドロンクル。
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・アメリカ、ドノバン長官のもとに情報調整官事務局(OCI)設置。まもなく戦略情報事務局(OSS)改組。
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7月1日
・第23軍司令官今村均中将、広東着任。
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7月1日
・大本営政府連絡会議。「国策要綱」審議の最終日。
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「蔵相(河田烈) 陸軍ハ武力的準備ヲヤルノカ(対ソ作戦に備えて)。 
参謀総長 準備ヲヤル。先ツ在満部隊ヲ戦時編制トナシ、次テ攻勢ヲ取り得ル様ニスル。
衝動ヲ与へヌ様スルニハナカナカ苦心ヲ要スル。(翌7月2日御前会議で決定をみる対ソ戦準備、関東軍特別演習(「関特演」)も指す) 
参謀次長 準備ハヤル。而シ乍ラヤリ得ル最小限ノ兵力ヲ整へテヤル積リナリ。ムチャヤクチャニ沢山ノ準備ヲヤル考へハナイ。 
蔵相 海軍モヤルカ。 
軍令部次長 潜水艦百隻ノ撃滅ヲ準備スル必要アリ。 
商相(豊田貞次郎) 物ノ見地ヨリ申上ゲル。陸海軍カ戦争ヲヤルコトニナレバ物ノ見地カラ国力ハナイモノト思フ。陸海軍共ニ武力行使ヲヤラレルガ、両面戦争(対英米と対ソ)ヲヤルタメノ物ハ持タヌ。陸軍ハ早速動員ヲヤラレルダラウシ又海軍モ準備ヲスルダラウ。船ヲ徴発セラルルカラ物カ取レナクナリ、生産力拡充軍備充実等ニモ大ナル影響ヲ及ボス。
英米「ソ」ニ対シ不敗ノ態度ヲ取ルト云フコトヲ研究スル必要アリト思フ。
南進カ北進カ慎重ニセラレ度。帝国トシテハ物ハナイ。
不敗ノ態勢ト支那事変解決カ此ノ際ナノテハナイカ。」
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7月1日
・閣議、「対仏印施策要綱」「南方施策促進ニ関スル件」決定。
南部仏印進駐決定。対米英開戦に備えての南進準備、シンガポール攻撃用の航空基地港湾施設確保が狙い。
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7月1日
・第2回聖戦美術展
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7月1日
・隣組常会が始まる。ラジオで「常会の時間」放送。
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7月1日
・ドイツとイタリア、汪兆銘政府承認
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7月2日
・重慶国民政府、対独伊国交断絶。
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7月2日
・第5回(この年の1回目、昭和に入って5回目)御前会議、「情勢ノ推移ニ伴ウ帝国国策要綱」決定
①南北両面に備え、
②南進態勢強化(南部仏印進駐)、
③対米戦辞せず、独ソ戦不介入。
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近衛首相の説明。
「・・・帝国トシテハ大東亜共栄圏建設ノ為ニハ、依然トシテ当面ノ支那事変処理ニ邁進スルヲ要スルコト当然デアリマスガ、更ニ自存自衛ノ基礎ヲ確立スル為、南方進出ノ歩ヲ進ムル一方、北辺ニ於ケル憂患ヲ芟除センガ為、世界情勢特こ独「ソ」戦ノ推移ニ応シ、適時北方問題ヲ解決スルコトハ、帝国国防上ハ勿論東亜全局ノ安定上極メテ肝要デアルト存ズルノデアリマス。以上ノ目的ヲ達成センガ為ニハ、帝国ガ各方面ヨリノ妨害抵抗ヲ受クルコトハ当然予想セラレマスガ、帝国トシテハ何トシテモ此ノ目的ヲ達成セネバナリマセンノデ、如何ナル障害ヲモ之ヲ排除スルノ鞏固ナル決意ヲ明カニセントスル次第デアリマス。・・・」
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「原枢府議長 日「ソ」中立条約ノ為ニ日本カ「ソ」ヲ打タハ背信ナリト云フモノアルヘキモ、「ソ」ハ背信行為ノ常習者ナリ。日本カ「ソ」ヲ打チテ不信呼パリスルモノハナシ。私ハ「ソ」ヲ打ツノ好機到来ヲ念願シテ巳マサルモノナリ。米国トノ戦争ハ避ケタイ。「ソ」ヲ打ツモ米国ハ出ナイト思フ。モウ一ツ伺ヒマス。仏印施策実行ニ当り英米戦ヲ辞セスト云ヒツツ、仏印ニ於テ対英米戦ヲ準備スル為ニ、近クヤル基地設定ハ之レカ為ノ準備タト云フテヰル。今迄ニ英米戦ノ準備ハ出来ナカツタノカ。仏印ヲヤレバ英米戦ハ起ルト思フカ如何。」。
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「英米戦ヲ辞セス」というのは、「国策要綱」二の「帝国ハ本号目的達成ノ為対英米戦ヲ辞セス」を指し、「本号日的」は、その前段の「・・・仏印及泰ニ対スル諸方策ヲ完遂シ以テ南方進出ノ態勢ヲ強化ス」を受けている。
つまり、南方へ進出すれば、対英米戦を惹起する危険率が高いが、それでもかまわない、南方へ進出する、というのであるから、この七月二日の時点で、日本は対英米戦を決意していたはず。
実際には、『南方施策促進ニ関スル件』の陸海軍事務当局案では、「英米ニ対シ武力ヲ行使ス」とあったものが、海軍側の意見によって「対英米戦ヲ賭スルモ辞セス」に変えられ、「帝国国策要綱」では「対英米戦ヲ辞セス」と修正された。
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独ソ戦は、「要領三」に記載。
「独ソ戦ニ対シテハ三国枢軸ノ精神ヲ基調トスルモ、暫クコレニ介入スルコトナク、密カニ対ソ武力的準備ヲ整エ、自主的ニ対処ス。コノ聞モトヨリ周密ナル用意ヲ以テ外交交渉ヲ行ウ。独ソ戦ノ推移帝国ノタメ有利こ進展セバ、武力ヲ行使シテ北方問題ヲ解決シ北辺ノ安定ヲ確保ス」。
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陸軍省整備局戦備課の高級課員増田繁雄、「二、三日中に南部仏印進駐が御前会議できまると聞いた。やれば貿易断絶、生き延びるため大戦突入。自信が持てない。・・・課長に阻止をお願いする」と意見具申。
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7月3日
・南部仏印進駐準備の大命(允採)。第25軍司令官飯田祥二郎宛て大陸命第502号。
大陸命に基づく参謀総長指示。
「仏印側カ我要求ニ応シタル場合ニ於テハ平和的ニ進駐シ之ニ応セサル場合ニ於テハ武力ラ行使シテ進駐スルモノトス」と明示。
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7月3日
・野村大使の警告電。
「モシ独ソ戦争ニ関連シテ対南方武力行使ヲナサルル決意ナリトセバ、日米関係調節ノ余地ハ全然ナキモノト観測セラル・・・日米開戦ノ一歩手前マデ行ク倶ナシトセズ」と進言。
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7月3日
・イタリア・アフリカ軍の抵抗終結。エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ復権。
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7月3日
・ミンスク戦の終了。スターリン、ラジオで演説。独ソ戦を大祖国戦争と規定し、パルチザン戦を呼びかける。10日 パルチザン運動中央参謀部設立。
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(続く)
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