2010年8月24日火曜日

獄中の小林多喜二の戯れ歌 「この暑さ 独房なれば・・・」 昭和5年(1930)9月17日付け手紙

猛暑が続く中で、小林多喜二の戯れ歌を思い出しました。

小林多喜二の獄中書簡に

「宮木君はどうしていますか。私からも出しますが、同君からも是非とお伝え下さい、私の小説と同じように汚い歌を一つ最後に御照会します。「この暑さ、独房なれば褌をもはずして居るがくせとなりたり。」 名句でしょう、では、又。」(昭和5年9月17日付け原まさの、中野鈴子宛て手紙) 
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「貴女たちの手紙を、同じ手紙を、一日に二度は読み返えしています。その中に、何か読み残したもの、新しいもの、社会の匂い・・・が無いかと。これは本当です。
   この暑さ、独房なれば褌をもはずして
         居るが癖となりたり。(名句でしょう。)
私の小説のように、汚い歌です。どうも人様のようなものは出来そうもないとは、さても争われないものです。」((昭和5年9月17日付け中野鈴子宛て手紙) 

というくだりがあります。
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多喜二はこの年8月21日、治安維持法違反で起訴され、豊多摩刑務所に収監されています。
この歌は、その収監直後のもののようです。
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確かに、戯れ歌にしてもヘタで、ご本人自ら言う様に「汚い歌」です。
でもこの時、多喜二は27歳。
これくらいはじゃれる(戯れる)でしょう。
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この多喜二の一連の獄中書簡には、若さ、明るさ、率直さ、真摯さが溢れていて、既に80年も経った文章とは思えない生気が溢れています。
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多喜二は、北海道拓殖銀行に勤めながら、陰で労働運動、無産政党選挙支援を行い、「蟹工船」「一九二八・三・一五」で中央文壇に新進プロレタリア作家として認められます。
しかし、徐々に、職場に特高が現れるようになりして、「不在地主」発表を機に銀行を解雇されます。

そして翌昭和5年3月、念願の上京を果たします。
私生活では、田口タキさんと短いながらも同棲生活を送り、作家としては「工場細胞」を発表します。
この年5月、「戦旗」防衛巡回講演に江口渙、貴司山治、片岡鉄平、中野重治、大宅壮一らと参加し、その帰路の23日、大阪で逮捕。
この時は、6月7日に釈放されるも、帰京後の24日に立野信之方で逮捕されています。
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昭和6年1月22日に保釈出獄となります。
(その3年後には虐殺されています)
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手紙の宛先になっている「原まさの」さんは、同時期に獄中にある中野重治さんの奥さんで女優の原泉さん、中野鈴子さんは中野重治さんの妹で詩人(「一田アキ」)。
「一田」は、故郷の一本田から取られたんでしょう。
原さんは、中野重治さんにこの歌を紹介して、「あんまり汚くて笑って仕舞まいました」と書く。
中野さんは、「小林の歌驚いたネ」と、応えたとのこと。
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これらは、昨年11月に出版された「小林多喜二の手紙」(「岩波文庫」)に依っています。
この本の注釈、解説は秀逸です。
小林多喜二の手紙 (岩波文庫)
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今年2月、父が逝って帰郷した際に、昔の本棚に「青木書店版 小林多喜二全集」を見付けたんですが、この「2」には、「蟹工船」「不在地主」「暴風警戒報」に「日記」「書簡」が収められていました。
刊行は昭和34年、定価280円(!!)。
しかも、私は、刊行の10年後くらい(多分)に270円で買っているようです。
帰りの新幹線でこれを読み始めたのですが、手紙の文体の若々しさに惹かれるもののイマイチもの足りなかったので、この岩波文庫版を買って読んだところ、今までの「もどかしさ」みたいなものが吹っ飛びました。
理由は岩波文庫版の注釈の豊富(背景、関係人物、事件など)さです。
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それと、
なんだかインネン話っぽくて恐縮ですが・・・
新幹線で青木書店版全集を読んだ日が、2月20日で、多喜二忌の日でした。
その週の、日付けは忘れましたがある日には、NHKの歴史番組が、多喜二忌に合わせたのか、「小林多喜二」を特集していました。
多喜二のデスマスクを長く映していましたが、創作と闘争への静かな消えることのない意志を見るような気がしました。
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さて、
多喜二忌と言うとすぐおもいつくのは・・・

「多喜二忌や麻布二の橋三の橋」

多喜二の奥さんだった伊藤ふじ子さんの歌。
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伊藤ふじ子さんは、再婚後、幸せな生活を送られましたが、70歳で亡くなられています。

一方、田口タキさんは、昨年6月19日、102歳で亡くなられました。
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お二人ともに美形です。
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このお二人に関しては、澤地久枝さんの本があります。
完本 昭和史のおんな

わが人生の案内人 (文春新書)
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澤地さんは、中野重治ご夫妻の書簡も編集されています。
愛しき者へ〈上〉 (中公文庫)
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