2010年9月10日金曜日

明治6年(1873)8月~3日 井上馨の尾去沢銅山事件 木戸の征台征韓反対意見 [一葉1歳]

明治6年(1873)8月
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8月
・大蔵大輔を辞職した井上馨、岡田平蔵と共に尾去沢銅山視察。
銅山地境に「従四位井上馨所有地」と木標を立てたといわれる。
参議江藤新平は司法大丞兼検事警保頭島本仲道に調査させる。
結果、司法省は容疑充分として井上の勾引を太政官に提案。
7月23日帰国の木戸が盟友井上の救済に動く。
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尾去沢銅山事件
大蔵省は、政府が継承した旧盛岡藩の英人商社に対する債務の代償のため、旧盛岡藩の資産を調査して、盛岡藩御用達の豪商村井茂兵衛から藩庁に宛てた5万5千円の証文に「内借し奉る」との文言を見付ける。
大蔵省は、村井が藩に債務を負っているとして即時返却を命じるが、村井は、「内借し奉る」は町人の儀礼的旧習で、藩への貸付金の一部が返却された受領の意味だと釈明。
大蔵省は、この釈明を受けつけず返済を迫り、村井が年賦返済を嘆願すると、それを拒絶して村井が経営している尾去沢銅山を没収。
村井は、銅山の経営権入手の為に12万4,800円を費やしており、破産同然となる(大蔵省は、当初から尾去沢銅山没収をねらっていたと推測できる)。

尾去沢銅山没収後、明治5年3月30日、井上大蔵大輔は、工部省の少輔山尾庸三(長州)に対し岡田平蔵(井上家出入りの新興政商、長州出身)に銅山経営を下命されたいとの打合せ書を渡し、間もなく3万6,800円、無利息15年賦の好条件で岡田に銅山経営権が払い下げられる。
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江藤参請は、司法大丞兼大検事警保頭島本仲道に調査を命じる。

島本の報告書。
「一、村井の提出した請取証に『奉内借』とあるのを貸付金として取立てんとしたり、然るに此事実は村井方の証明により明瞭となりたるにも拘わらず、大蔵省官吏は依然として其返納を迫りたり。

二、村井が五万五千円の責任ありというは、全く圧制によりたるものと認む、何となれば大蔵省が盛岡藩の財産を継受するや同藩には有名なる大森林あり、其他の財産尠なからずして、之れが為め請人たる村井の財産を差押うるが如きの理なく、他に多少藩と村井との間に取引関係ありとは言え、結局村井が借入れたる金銭なるものは、之を認むるに能わざればなり、

三、大蔵省は銅山を没収したりとて、之れが払下を為すには須らく公明正大なるべきに、嘗て公売の手続を為す所なく、山口県人岡田某に払下げたるが、此岡田某は当時の大蔵大輔井上馨の親近者にして、村井より申出でたる五個年賦を排し、岡田某に二十個年賦を許したるは、全く其私交私情より出でたるものにして、両者の間に醜関係の存在せざるやの疑なき能わざるなり」

司法省は、井上の勾引を太政官に提案
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この月
・元土藩士岩村通俊、佐賀権県令赴任。
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8月2日
・愛知県布達により興行撃剣禁止となる。
禁止令に抗して強行するが警察に連行され鑑札を召上げられる。
不満士族層が撃剣会の名の下に結集することを恐れた予防措置。解禁は明治3年5月。
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8月3日
・この日付け三条太政大臣宛て西郷隆盛書簡。
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西郷は、
「朝鮮の一条、御一新涯(ギワ)より御手を付けられ、最早五六年にも相立ち候わん。然る処最初親睦を求められ候儀にてはこれある間敷、定めて御方略これありたる事と存じ奉り侯。今日彼が矯誇侮慢の時に至り、始めを変じ因循の論に捗り候ては、天下の嘲りを蒙り、誰あってか、国家を隆興する事を得んや」
と、微妙な言いまわしで自身も対朝鮮強硬論に傾斜しているかのように言う。

しかし、一転して、
「只今私共事を好み、けもの猥(ミダ)りに主張する論にては決してこれなく」、
「期に至り一涯(ヒトキワ)人事の限り尽され侯処」(最善の努力を尽くすべき時であるから)、
「断然使節召し立てられ、彼の曲分明に公普すべき時」である。
「何卒私を差し遣わされ下されたく、決して御国辱を醸し出し侯は万々これなく候に付き、至急御評決成し下された」いと表明。
「一涯人事の限り」を尽くすべきだというのは、あらゆる手段を尽くして可能性を追求せよ、安易に交渉を決裂させたり戦争に訴えたりすることなく、粘り強く解決の道をさぐれという趣意であり、板垣宛て書簡にある短兵急な「使節暴殺」論とは正反対の主張である。
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8月7日
・西郷隆盛、池上四郎からの清国内地視察延長要請について板垣退助に同意と斡旋を求める(「西郷隆盛全集」第3巻)。
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8月7日
・木戸、外務少輔上野景範を訪問。
15日、外務卿副島・外務少輔上野が木戸を訪問。
20日、外務少輔上野景範を訪問。
木戸は明治元年に征韓論を唱えているが、この月中、三条に征台征韓反対意見書提出。
内政優先。外務省首脳(副島ら)の対外強硬論を批判。
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木戸の征台征韓反対の意見書。
「台湾の暴挙を我が琉球人に加うる其の無状なる固より師(軍隊)を以て問うべし、朝鮮の我が交款を承けざる其の無礼なる固より兵を挙げて伐つべし」
と、征台征韓の正当性を認めながら、
「今日の急務は節倹を主として財務を経理する」ことであるから、
「首(主)として我が治務を励まし我が国力を厚」くするために外征を控えるべき。
財政上の見地から征台征韓を時期尚早とした。
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「★一葉インデックス」をご参照下さい
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