2011年1月1日土曜日

樋口一葉日記抄 明治27年(1894)1月1日~20日(22歳) 「男はすべて重りかに口かず多からざるぞよき。」(樋口一葉「塵中日記」)

謹賀新年
樋口一葉の日記を紹介しております。
今年は、明治27年元旦から始めます。
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竜泉寺町で雑貨・駄菓子を商う一葉一家。
明治27年を迎えて、この年、一葉は22歳となる
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明治27年(1894)1月1日~5日
廿七年一月一日 あさのほど少し雪ちらつく。やがてはれたり。今日のせわしさ、たとふるにものなし。終日、くに(妹)と我れと立つくすが如し。礼者なし。
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二日 おなじく。西村礼に来る。久保木来る。
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三日 上野房蔵来る。佐久間夫婦来る。

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四日 伊三郎来る。神田にかひ出し。

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五日より常の如し。

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1月7日
七日 芝より兄君来る。むかひがはに同業出来る
八日よりあきなひひま也。
此ほどかくべき事なし。

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この日、向い側に同業が開店。
やがて、日記に「分厘のあらそひ」と書くような値下げ合戦を繰り広げるようになる。

かつて一葉の店が近所の同業者を潰したことがあるが、同じ運命が一葉家族を襲う。
一葉の店は客足が伸びず、経営も生活も困窮を極める事態となる
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1月10日

十日 平田(*禿木)君より状来る。五日帰京したるよし。「今月の双紙にも何か出しくれよ」とて也。
末文に、古藤庵無声(*島崎藤村)が、我宅を訪ひ度よしかたりたり、とて紹介をなす。・・・
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1月13日

星野君はじめて来訪、かねておもひしにはかはりていとものなれがほに馴れ安げの人也 としの頃は三十計(ばかり)にや、小作りにて色白く八丈もめんの黒もん付の羽をり二重まわしをはをりて来たりき。物語多かりしが、さのみはとて。
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「文学界」の出資者星野天知(32)が始めて一葉を訪問 
現代語訳
「前から想像していた人とはすっかり違って、いかにも世間馴れた近づき易い人です。年は三十歳ぐらいでしょうか。小柄で色白く、八丈木綿の着物に黒紋付の羽織、それに二重廻しの外套を着て来られた。お話も多かったが、ここにはとても書ききれない。」
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天知の方は、一葉について
「泥中に蓮花を探る気で俥を飛ばした」、
小柄で猪首な町屋風の娘が挨拶した。尾羽打枯らした二十四五の飾らぬ風采、稍々(ヤヤ)険しくはあるが、プラウドの高き光は大いに異敬するものがあった」(『黙歩七十年』)と記す。

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1月15日~16日

十五日 平田君より状来る。寺住ひの寒さにおそれ、ちかくの横川医院とかいへるに転じたるよし。「そのうち訪はん」などありき。今日はあきなひいと忙し。
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十六日 はれ。一日あきなひせはしくして、終日一寸の暇なし。・・・

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1月20日
二十日 はれ。植木屋寅次郎来る。午後、平田君来訪。『文学界』寄稿之こと尋ねに成り。露伴子作『五重塔』。


男はすべて重りかに口かず多からざるぞよき

さればとて、こと更につくろひ顔ならんはにくけれど、万(よろず)こゝろえがほになれなれ敷(しき)は、才たかく学ひろしとても、何となくあなどらるゝぞかし。
春の花のうるはしきけはあらずとも、天雲(あまぐも)たな曳くたか山の、そゞろ尊く恐ろしき様にもあり、わづかにあふぎ見る様なる中に、何となくなつかしきけしきをふくみたらんぞよき。
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平田禿木から幸田露伴「五重塔」を貸りる。

そして、一葉の「オトコ論」
現代語訳
「男はすべて重々しく口数の多くないのがよい。

だからといって、ことさらにわざとらしいのは嫌だが、万事何事も心得ているように世間馴れているのは、たとえ才能があり学問が広くても何となく軽蔑されるものです。
春の花のような美しい気配はなくても、雲が棚引いている高い山のように何となく尊く恐ろしい所があり、尊敬の念を起こさせると共にまた何となくなつかしさが感じられるのがよい。
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「★一葉インデックス」 をご参照下さい。
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