2011年2月28日月曜日

昭和16年(1941)2月24日 「怨嗟の聲かくの如き・・・。軍人執政の世もいよいよ末近くなりぬ。」(永井荷風「断腸亭日乗」) 

昭和16年2月の永井荷風「断腸亭日録」より・・・
(適宜改行を施しています)
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昭和16年2月24日
・二月念四。晴れて暖なれば午後草稿を携へて中央公論社を訪ふ。社員中余の知るもの皆外出して在らず。
淺草に行き寺嶋町を歩む。時恰も五時になりしとおぼしく色町組合の男ちりんちりんと鐘を鳴して路地を歩み廻れり。昨年よりこの里も五時前には客を引く事禁止となりしなり。
馴染の家に立寄るに飯焚きの老婆茶をすゝめながら、昔はどこへ行かうがお米とおてんと様はついて廻はると言ひましたが、今はさうも行かなくなりました。お米は西洋へ売るから足りなくなりといふ話だが困つたものだと言へり。
怨嗟の聲かくの如き陋巷にまで聞かるゝやうになりしなり。軍人執政の世もいよいよ末近くなりぬ。
淺草公園に戻りて米作に飰してオペラ館に至り見るに、菅原永井智子在り。地下鐡を共にしてかへる。
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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。

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