2011年2月5日土曜日

東京 江戸城外濠を歩く 四ツ谷見附から赤坂見附(1) 四ツ谷見附跡 真田濠跡 尾張藩屋敷跡

一昨年から外濠で囲まれた江戸城総構えを歩こうと計画し、少しづつ点と線で繋いできました。
その一部として、昨年末、四ツ谷見附から赤坂見附までを歩きましたので、以下ご紹介します。
*

江戸城総構えは、
(1)徳川二代秀忠が、平川と小石川沼を切り離し、(現在の)飯田橋~秋葉原を通って隅田川に繋ぐ神田川開鑿の大工事を完成させ、これが江戸城東北の外濠となり、
(2)次に、三代家光が、赤坂溜池~麹町~四ツ谷~市ヶ谷~飯田橋から神田川に繋ぐ江戸城西北部の外濠を作ることで、
完成をみることになったものです。
*
これまでにご紹介した江戸城総構えとしては、
(1)溜池櫓台
(2)神田川(万世橋から水道橋)
(3)牛込見附と外濠
(4)神田川と日本橋川の合流地点
(5)市ヶ谷の外濠
があります。
*
さて、今回は、
四ツ谷から真田濠跡(上智大学グランド)を右に見ながら、喰違見附まで行き、弁慶濠を覗いた後、紀尾井坂~清水谷公園~赤坂見附までを歩きました。
途中には、大久保利通が遭難した紀尾井坂、「紀」「尾」「井」の名の由来である、紀州藩、尾張藩、彦根藩(井伊家)の屋敷跡などがあります。
*
▼四ツ谷見附跡(JR四ツ谷駅前)


*
▼真田濠跡(上智大学グランド)
戦前まではまだ濠はあったそうで、空襲でできた瓦礫を投げ込んで埋め立てたとのこと。
*
▼堤上には桜並木が続く
 *
▼真田濠の南端(喰違見附前)から見た濠の全景
 *
▼尾張藩屋敷跡
真田濠の外側、ホテルニューオータニの少し手前
 *
▼尾張藩屋敷跡周辺
*
*
「★東京インデックス」をご参照下さい。
*

0 件のコメント: