2011年2月12日土曜日

京都 四条大橋から三十三間堂へ(3) 五條坂 豊国神社

六波羅密寺(コチラ)から更に南下します。
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▼どこかほっとする民家が並ぶ

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▼五条坂
五条通りと交差すると、そこから東側は五条坂。
清水寺への参詣道であり、窯元や陶器の商人が多く居住した地域。
今も陶器を商うお店は多く、陶器市も有名である。
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▼五条通りから五條坂方向(東方)を見たところ
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▼豊国神社
五条通りを少し西に進み、鴨川の少し手前、大和大路を南下すれば、豊国神社に着く。
この大和大路、豊国神社の前から極端に道幅が広くなる。
江戸時代中期の「京都明細大絵図」というものを見ても、同じように広い道幅だそうだ。
理由は、この場所に秀吉の大仏殿があったから、ということらしい。
(秀吉の大仏については、次回の「方広寺」の際に触れる)
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さて、
秀吉は慶長3年(1598)に63歳で没する。
遺命により東山阿弥陀ヶ峰中腹に葬られ(豊国廟)、後陽成天皇は故秀吉を正一位に叙し、豊国大明神の神号を与える。
しかし、徳川幕府になると豊国廟の社殿は取り壊される。
明治になって、明治13年に、明治政府は「方広寺」の跡地に現在の豊国神社を再興、阿弥陀ヶ峰の豊国廟も明治30年に再建されることとなる。
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▼唐門
これは、もともと伏見城の遺構で、二条城、南禅寺金地院、と順次移築されたものという。

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「★京都インデックス」 「★寺社巡りインデックス」 をご参照下さい。
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