2011年3月20日日曜日

樋口一葉日記抄 明治27年(1894)3月(22歳) 一葉、廃業を決意する。 「わがこゝろざしは国家の大本にあり。」(樋口一葉「塵中(ちりのなか)につ記」)

樋口一葉の日記をご紹介しています。
今回も、明治27年(1894)3月のものですが、多分下旬に書かれたものと思われる感想文を以下にご紹介します。
この月に書かれた三つの感想文の最後のものです。
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今回は一葉が遂に廃業を決意するに至るところのものです。
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「塵中(ちりのなか)につ記」    表書年月「廿七年三月」。署名「夏子」。


おもひたつことあり、うたふらく、
      すきかへす人こそなけれ敷島の
   うたのあらす田(ダ)あれにしを
いでや、あれにしは敷島のうた斗(バカリ)か。
道徳すたれて人情かみの如くうすく、朝野の人士、私利をこれ事として国是の道を講ずるものなく、世はいかさまにならんとすらん
かひなき女子(オナゴ)の何事を思ひ立(タチ)たりとも及ぶまじきを知れど、われは一日の安きをむさぼりて、百世の憂を念とせざるものならず
かすか成(ナリ)といヘども、人の一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、死生(シシヤウ)いとはず天地の法(ノリ)にしたがひて働かんとする時、大丈夫(マスラヲ)も愚人も、男も女も、何のけぢめか有るべき
笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ、わが心はすでに天地とひとつに成ぬ。
わがこゝろざしは国家の大本(オホモト)にあり
わがかばねは野外にすてられてやせ犬のゑじきに成らんを期(ゴ)す。
われつとむるといヘども賞をまたず、労するといヘどもむくひを望まねば、前後せばまらず、左右ひろかるべし。
いでさらば、分厘(フンリン、僅かな利益)のあらそひに此一身をつながるゝべからず。
去就は風の前の塵にひとし、心をいたむる事かはと、此あきなひのみせをとぢんとす

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[現代語訳]
荒れてしまったのはこの和歌の道ばかりではない。
道徳はすたれ、人情は紙のように薄くなり、政治家も一般人も私利私欲ばかりを追及し、国家の発展を考える者もなく、世の中はどうなるのだろうか。
力もない女が何を思い立ったところでどうにもならないことは分かっているが、私は今日一日だけの安楽にふけって百年後の憂えを考えない者ではない。
僅かでも人の心を持っている者が、生涯の情熱をそそいで、死をもいとわず、天地の法則に従って働こうとする時、賢人であろうと愚者であろうと、男であろうと女であろうと区別があるだろうか。
この私を笑いたいものは笑い、謗りたいものは謗るがよい。私の心は既に天地自然と一体になっている。
私の志は国家の大本にある。
私の屍が野に棄てられ痩犬の餌食となっても、それは望むところである。
どんな努力をしてもその報酬を求めているのではないので、私の進む道は前後左右に広々としている。
だから僅かの利益を求めて争う商いの道にこの身を束縛しておくべきではない。
処世の術は風の前の塵のように変わるものなので、心配することはないと考えて、この商売の店を閉じようと決心した。
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その日その日の生活の行詰りと打開策のない一葉の焦り。
一方で、才能への自負と和歌の改革への熱意とが、日清戦争前夜の日本国内の危機感と高揚感と混然となって、行き場を失って爆発しつつあるようだ。
このエネルギーが、このすぐ後に来る、一葉の人生の最後の開花期に一気に爆発することになるのだろう。
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冒頭の和歌は、
「しき島の歌のあらす田荒にけりあらすきかへせ歌の荒樔田」   (香川景樹)
からとられたものらしい。
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和歌の改革者というべきか、
「志士」というべきか。
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個人的には、一葉という人はこうゆう人だったんだと、改めて思い知らされる文章である。
明治の有司専制体制化で、一葉と同じように幕藩体制側の臍の尾をもった漱石や荷風は、国家や政府に対して、また日露戦争に対して、斜めに構える態度をとったけれども、世代の差ゆえか、階層の差ゆえか、個性の差ゆえか、一葉は正面からこれらを捉えているように見える。
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しかししかし・・・、一葉には今、10円、15円が必要なのも、また確かなのである。
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国子はものにたえしのぶの気象とはし。この分厘にいたくあきたる比(コロ)とて、前後の慮(オモンバカリ)なく、「やめにせばや」とひたすらすゝむ。
母君も、「かく塵の中にうごめき居らんよりは、小さしといヘども門構への家に入り、やはらかき衣類(キモノ)にてもかさねまほしき」が願ひなり。
されば、わがもとのこゝろはしるやしらずや、両人(フタリ)ともにすゝむる事せつ也。
されども、年比(トシゴロ)うり尽し、かり尽しぬる後の事とて、此みせをとぢぬるのち、何方(ドコ)より一銭の入金(ニウキン)もあるまじきをおもへば、こゝに思慮はめぐらさゞるペからず
さらばとて、運動の方法(テダテ)をさだむ。
まづかぢ町なる遠銀(鍛冶町の遠州屋石川銀次郎)に金子(キンス)五十円の調達を申しこむ。こは、父君存生(ゾンジヨウ)の比(コロ)より、つねに二、三百の金はかし置たる人なる上、しかも商法(シヤウハフ)手びろく、おもてを売る人にさへあれば、「はじめてのことゝて、つれなくはよも」と、かゝりし也。
此金額多からずといヘども、行先(ユクサキ)をあやぶむ人は、俄にも決しかねて、「来月、花の成行にて」といふ。
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[現代語訳]
・・・・・・
だから、私の本心を知っているのか知らないのか、二人とも熱心に店を閉じようという。
しかし、数年来、衣類家財は売り尽くし、お金も借り尽くしてしまった後のことなので、店を閉じた後は一銭の収入もないことを思うと、ここは十分考えねばならない。
そこで皆でその対策の方法を考える。
・・・・・・
この金額はそれ程多くはないといっても、先のことを心配する人としては急にも決定しかねて、来月花の頃の商売の成りゆきを見た上で決めようという。
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「★樋口一葉インデックス」 をご参照下さい。
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