2011年3月21日月曜日

夏目漱石「吾輩は猫である」再読私的ノート(1) 「おい人間てものあ体の善い泥棒だぜ」

ふとしたことで夏目漱石の初期の小説を再読する機会を得た。
「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」「それから」を再読した。

「吾輩は猫である」は、明治38年1月(漱石満38歳、漱石の年齢は覚えやすい)から翌年8月まで「ホトトギス」に連載されたもの。
明治38年1月2日に旅順開城規約が調印されており、日露戦争まっさかりの頃の作品である。
「草枕」にも日露戦争の影が色濃く落ちている。

漱石と国家と戦争、
などという大それた探求ではないが、大逆事件とのひっかかりなどもあり再読した。
(よく指摘される個所であるが、「それから」には幸徳事件が登場する)
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「再読」とは何年ぶりなのだろうか?、と考えてみた。

持ち出した本は、筑摩書房「現代文学大系全69巻の夏目漱石集(一)(二)」で昭和39年2月10日発行と奥付にある。発行者は古田晁、定価430円というしろもの。
どうやらそれを350円で古本屋で買ったらしく、最後のページに「350」という数字がある。
ボックス入りでかつ装丁は堅牢である。
多分、大学時代の初期の頃に購入し読んだ筈。
それが何年ぶりか?、はご想像にお任せする。
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「吾輩は猫である」は、日露戦争で日本中が沸騰しているだろう頃の、「太平の逸民」の無駄話である。
諧謔、風刺、アイロニー、ひっくり返し、笑い話、などなど、どこまで読み込めたかは大いに疑問であるが、それゆえ「私的ノート」として逃げ道を残した。
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以下、「一」から順次。「一」は登場人物紹介がメインである。
(引用には段落を施す)
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登場人物(正確には「人物」ではない。以下同様あり)①:迷い猫「吾輩」。
「吾輩は猫である。名前はまだない。」(最後まで名前はつけて貰えない)

登場人物②:「垣根の穴」は、「隣家の三毛を訪問する時の通路」という形で、垣根を紹介するついでに美猫の「三毛」が登場。
「新道の二絃琴の師匠」の家に住む。薄命である。

登場人物③:捨て猫の「吾輩」が、「第一に逢ったのが(下女の)おさん(「御三」とも)である。」

登場人物④:「吾輩の主人は・・・。職業は教師だそうだ。」。
名前は後になって、珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)ということがわかる。文明中学のリードルの教師。

おさんには何度もつまみだされるが、
「いくら出しても出しても御台所へ上つて来」る子猫を、「そんなら内へ置いてやれ」と言ってくれた。

登場人物⑤:「此小供というのは五つと三つ・・・」。
長女とん子、次女すん子であるが、実は第三子の長男がいることが後でわかる。

登場人物⑥:細君

登場人物⑦:「吾輩の尊敬する筋向いの白君」(この「白君」は後には出てこなくなる)

登場人物⑧:「金縁眼鏡の美学者」。
名前は後で、迷亭先生ということが分かる。「其性質が車屋の黒に似た所がある。」
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或る日、主人が「吾輩を写生」する。
吾輩がつい「小便を催ふして」這い出すと、「主人は失望と怒りを掻き交ぜた様な声をして、座敷の中から「此馬鹿野郎」と怒鳴つた。
此主人は人を罵るときは必ず馬鹿野郎といふのが癖である。」
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「元来人間といふものは自己の力量に慢じて皆んな増長している。

少し人間よりも強いものが出て来て窘(いぢ)めてやらなくては此先どこ迄増長するか分らない。」
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「主人」「人間」を、「日本人」と置き換えたら何が見えてくるか。
かつて、南洋の某国に駐在していたことがある。その国は第二次大戦中は日本人が占領していた国である。
日本人は、現地に人達に対して、常に「馬鹿野郎」といって怒鳴っていたという。
故に、後年の日本人駐在員にとって「馬鹿野郎」は禁句となったのである。
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登場人物⑨:「車屋の黒は此近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。」。

その車屋の黒の述懐

「考げえると詰らねえ。
いくら稼いで鼠をとったつて --- 一てえ人聞程ふてえ奴は世の中に居ねえぜ。
人のとつた鼠を皆んな取り上げやがつて交番へ持つて行きあがる。
交番ぢや誰が捕つたか分らねえから其たんぴに五銭宛(づゝ)くれるぢやねえか。
うちの亭主なんか己(おれ)の御蔭でもう壱円五十銭位儲けて居やがる癖に、碌(ろく)なものを食せた事もありやしねえ。
おい人間てものあ体(てい)の善い泥棒だぜ
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「所有」概念について問いかける個所は、のちにまた出てくる。

「車屋の黒は其後」足に負傷する。元気がなくなり体格も悪くなり、ネズミも捕らなくなる。
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「二」に続く・・・。
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漱石が「猫」を執筆した旧居跡はコチラ  と  コチラ
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