2011年4月18日月曜日

夏目漱石「吾輩は猫である」再読私的ノート(5の2) 「吾輩は全体の状況に於て東郷閣下に似て居るのみならず、・・・。」

夏目漱石「吾輩は猫である」再読私的ノート(5の2)
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さて、鼠を捕ろうと決意した吾輩であるが、・・・。
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「先達中から日本は露西亜(ロシア)と大戦争をして居るさうだ。
吾輩は日本の猫だから無論日本贔屓(びいき)である。出来得ぺくんば混成猫旅団を組織して露西亜兵を引っ掻いてやりたいと思ふ位である。
かく迄に元気旺盛(わうせい)な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとらうとする意志さへあれば、寝て居ても訳なく捕れる。
昔ある人当時有名な禅師に向つて、どうしたら悟れませうと聞いたら、猫が鼠を覘(ねら)ふ様にさしやれと答へたさうだ。猫が鼠をとる様にとは、かくさへすれば外(は)づれつこは御座らぬと云ふ意味である。
女賢(さかし)うしてと云ふ諺はあるが猫賢うして鼠捕り損ふと云ふ格言はまだ無い筈だ。して見れば如何に賢こい吾輩の如きものでも鼠の捕れん筈はあるまい。」
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「是から作戦計画だ。どこで鼠と戦争するかと云へば無論鼠の出る所でなければならぬ。如何に此方(こつち)に便宜な地形だからと云つて一人で待ち構へて居てはてんで戦争にならん。是に於てか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から来るかなと台所の真中に立つて四方を見廻はす。何だか東郷大将の様な心持がする。・・・

鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何疋来ても恐くはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。周密なる観察から得た材料を綜合して見ると鼠賊の退出するのには三つの行路がある。・・・」
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「・・・夫にしても三方から攻撃される懸念(けねん)がある。
一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにか、かうにか遣つて退(の)ける自信がある。然し三口となると如何に本能的に鼠を捕るぺく予期せらるゝ吾輩も手の付け様がない。・・・

どうしたら好からうと考へて好い智慧が出ない時は、そんな事は起る気遣はないと決めるのが一番安心を得る近道である
又法のつかない者は起らないと考へたくなるものである。・・・

吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。
安心は万物に必要である。吾輩も安心を欲する。因(よ)つて三面攻撃は起らぬと極める。・・・」
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「東郷大将はパルチック艦隊が対馬(つしま)海峡を通るか、津軽海峡へ出るか、或は遠く宗谷海峡を廻るかに就て大に心配されたさうだが、今吾輩が我輩自身の境遇から想像して見て、御困却の段実に御察し申す。
吾輩は全体の状況に於て東郷閣下に似て居るのみならず、此格段なる地位に於でも亦東郷閣下とよく苦心を同じうする者である。」
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■吾輩が猫を捕る「戦争」を日本海海戦に例え、吾輩を東郷大将に擬している。東郷絶対化(のち神格化に至る)への揶揄ともとれる。
東郷神格化は、その後、海軍の派閥闘争(条約派と艦隊派)と海軍の戦略的堕落に繋がってゆくことを考えれば、ここに吾輩の皮肉の先見性が見えるとも言える。
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その(六)に続く
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