2011年7月15日金曜日

昭和16年(1941)7月15日 「この頃共榮圏といひ佛教圏といふが如く圏の字大に流行せり。」(永井荷風「断腸亭日乗」) 

昭和16年(1941)の永井荷風「断腸亭日乗」を順次ご紹介してます。
今回は、7月の後半。
ただ、今回ご紹介する時期については、依然に年表とともにご紹介している箇所とダブります。
詳しくは該当の箇所をご参照下さい。

①第二次近衛内閣総辞職、松岡外相更迭

②関特演の動員
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昭和16年(1941)7月15日
七月十五日。暮方よりまた雨。本年の税金暴騰して一囘分の金高四百四拾五圓七拾五錢となる。一年分にて金壱千七百八拾参圓となるわけなり。

戦禍いよいよ驚くぺし。

街頭の廣告に經国イタリヤ婦人朝日など新しき雑誌の名見ゆ。
洋紙節約のため新刊雑誌は出ぬ筈なるに奇怪千萬と謂ふ可し。

政黨も解散せられたる筈なるにこれ亦東方會建國會日本大衆黨其他いろいろありて辻ゝに勝手次第の立札を出せり。

この頃共榮圏といひ佛教圏といふが如く圏の字大に流行せり
今迄見馴れぬ漢字を使ひたがるは如何なる心にや。
笑ふべきなり。
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7月16日
七月十六日。陰。数日來市中に野菜果實なく、豆腐もまた品切にて、市民難澁する由。銀座通千疋屋の店頭にはわづかに桃を並べしのみ。牛肉既になしこの次は何がなくなるにや。
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7月17日
七月十七日。くもりで風甚冷なり。晩間池之端に飯して淺草に行く。連日の雨と冷氣とに世間ひつそりとして何の活氣もなし。

新聞に近衛内閣総辞職の記事出でたれど誰一人その噂するものもなし。
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7月18日
七月十八日。今朝の新聞紙に近衛一人残りて他の閣僚更迭するに過ぎる由見ゆ。初より計畫したる八百長なるが如し。

そは兎も角以後軍部の専横益甚しく世間一層暗鬱に陥るなるべし

この日冷風昨の如く曇りて雨はふらず。庭を掃き落葉焚く烟を見れば何となく暮れ行く秋の如き心地す。レオン、プロワの日記をよむ。千九百十五六年戦時の日記なり。
余はプロワの知己朋友が戦場に行きで歸り來らざるもの多きを見るにつけ、余が孤獨の身には親友と稱すべきものもなく又召集せられて骨を異郷の土に埋めしものもなきを思ひて、自ら幸なりとせざるぺからず。

余はつくづく老後家庭なく朋友なく妻子なきことを喜ざるぺからず

模倣ナチス政治の如きは老後の今日余の身には甚しく痛痒を感ぜしむることなし。

米は悪しく砂糖は少けれど罪なくして配所の月を見ると思へばあきらめはつくべし。
世には冤罪に陥り投獄せられしもの尠からず。
殊に火災保険の事に関し放火犯の疑を受けて入獄するものあるは屡聞るところなり。
これに比すれば余が自炊気儘の残生ほどよきものはなかるぺし。
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7月20日
七月二十日。晩間雨の小降りとなりし隙を窺ひ芝口の金兵衛に至り夕飯を喫す。歌川氏に逢ふ。

汽車の荷物輻湊甚しきため、西瓜の産地より西瓜を東京に送るることを禁じたれば、今年は水菓子類凡て品切のもの多くなるぺしと云。
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7月24日
七月廿四日。晴れて涼し。風の向を見るに西南の風なり。今年は夏なくして秋早くも立ちそめしが如き心地なり。晩間土州橋に至る。

下谷外神田辺の民家には昨今出征兵士宿泊す。
いづれも冬仕度なれば南洋に行くにはあらず蒙古か西伯利亞(シベリア)に送らるゝならんと云ふ

三十代の者のみにして其中には一度戦地へ送られ帰還後除隊せられたるものありと云ふ。
市中は 物資食糧の欠乏甚しき折からこの度多数の召集に人心頗恟々たるが如し。
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7月25日
昭和十六年七月廿五日。くもりて蒸暑し。夜芝口の金兵衛に飯す。この店の料理人も召集せられ来月早々高崎の兵営に行く由なり。

此夜或人のはなしをきくに日本軍は既に佛領印度と蘭領印度の二個所に侵入せり。
この度の動員は盖しこれが為なりと。

此の風説果して事實なりとすれば日軍の為す所は欧州の戦亂に乗じたる火事場泥棒に異らず
人の弱味につけ込んで私欲を逞しくするものにして仁愛の心全く無きものなり。
斯くの如き無慈悲の行動は軈て日本國内の各個人の性行に影響を及すこと尠からざるべし。
暗に強盗をよしと教るが如く(ママ)ものなればなり。
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7月26日
七月廿六日。くもりて暮方よりまた雨。野菜果實いよいよ拂定(ママ)にて八百屋店をしめるところ少からず。牛肉についで此両三日雞肉もなくなりし由。夜女事務員椎野よし電話。銀座食堂に行きで飯す。
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7月28日
七月廿八日。晝前驟雨あり。天候猶定らず。溽暑甚し。・・・
欄外朱筆 英米二國日本卜通商交易スルヲ拒絶ス
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7月29日
七月廿九日。くもりて時々雨來る。風冷にで一トしきり鳴き出でし蝉の聲聞えずなりぬ。夜店にて買ひたる一年有中江兆民著を讀む。幸徳秋水の序あり。
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7月31日
・七月三十一日。午前驟雨來りしが午後より再び晴れたり。谷町通の八百屋豆腐屋麺鞄屋の店先にぢゞむさき女房供の集りわめくを見る。丸ノ内より銀座に行き夕餉を食して後浅草に至る。八日頃の月よし。
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「★永井荷風インデックス」 をご参照ください。
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