2011年8月13日土曜日

永井荷風年譜(15) 明治43年(1910)満31歳 慶応大学教授となる

永井荷風年譜(15) 明治43年(1910)満31歳
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1月
『見果てぬ夢』を「中央公論」に掲載。
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1月1日
伊豆修善寺温泉に小旅行し、帰京早々新橋に遊ぶ。
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1月27日
森鴎外が石田新太郎より慶応義塾大学部文学科刷新の相談を受けて漱石、上田敏のつぎに荷風を推薦。
(「早稲田文学」に代表される早稲田大学文学部に押される慶応大学が、文学部を梃入れする方針を打ち出し石田新太郎経由で森鴎外に相談。
鴎外は、第一候補として夏目漱石を挙げるが、漱石は「東京朝日」に入社したばかりで無理、第二候補の上田敏も京都大学教授に就任したばかりで無理。
第三候補として、荷風に順が廻ってくる。上田敏が荷風を推薦する。)
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2月1日
「早稲田文学」恒例の『推讃の辞』を受ける。
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2月15日
慶応義塾評議員会で、荷風の大学部文学科教授就任が決定。
編集手当こみ、月給総額150円。
公式には、英仏文学、修辞学の講座担当として嘱任(慶応義塾の記録による)。
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2月26日
夕方、三田東洋軒での三田文学会主催歓迎会に出席。
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3月1日
夕方、銀座交詢社での慶応義塾大学部文学科の晩餐会に、森鴎外、上田敏、馬場孤蝶らと出席。
「三田文学」発刊準備、慶応義塾大学部文学科講師の交渉などを始める。
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3月5日
慶応義塾校舎内での三田文学会第7回講演大会に出席し、「生活の興味」と題して講演。
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4月中旬
慶応大学での講義を始める。大正5年3月に至る6年間。
仏語、仏文学、文学評論の講義を受持つ(明治45年以降は仏文学、文学評論のみ)。
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大学の講義には、ハイカラーにボヘミアンネクタイというスタイリッシュな服装で望む。
時間には極めて厳格であったが、関係者には好評。
「講義は面白かった。しかし雑談はそれ以上に面白かった。」と佐藤春夫は評する。
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この講義から水上瀧太郎、松本泰、小泉信三、久保田万太郎などの人材が生まれる。
また、木下杢太郎らのパンの会に参加して谷崎潤一郎を見出だす。
「三田文学」では谷崎や泉鏡花の創作の紹介などを行う。
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5月
「三田文学」を主宰創刊、随筆『紅茶の後』を連載(翌年11月まで)。
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『冷笑』を左久良書房より刊。
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「もともと自分は自己を信ずる事のできぬ者である。自分は今までに一度ぴたりとも世間に対して厚かましく何事をも主張したり教へたりした事はない。自分は唯訴へたばかりだ。泣いたばかりだ」(『倦怠』明治43年5月

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6月10日
富松と堀切菖蒲園に遊ぶ。
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一方で、この頃(6月)から新橋巴家の八重次(内田ヤイ=藤間静枝)との交情が始まる。
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荷風から八重次に宛てた手紙(12月28日付け)
「おわかれ致してより何となく心さむしく只今やるせなき思にて夕日の庭に対し居候何もかもお心やすだてよりの御無礼とおゆるし下されたく、いつまでも御心変りなきやう其れのみ神かけて念居候(中略)
あなたと何処なり一日半日にてもよろしく静な海のほとりに静養致度くとできぬ事を夢見居り候……壮吉より」
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8月
『伝通院』を「三田文学」に発表。
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8月28日
日光に遊ぶ。
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9月
戯曲『平維盛』を「三田文学」に掲載、14日より、左団次が明治座で上演。
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9月18日
「スバル」「新思潮」、木曜会の人々が維盛連を組んで連中見物をする。
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この頃、富松が他の客に落籍され、荷風との交情が絶たれる。
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秋頃
八重次と共に哥沢芝加津のもとへ稽古に通い始める。
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11月20日
夜、日本橋大伝馬町2丁目の三州屋でのパンの会に初めて出席。
谷崎潤一郎は荷風に会い深い感銘を受ける。
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永井荷風と谷崎潤一郎
明治41年7月、荷風が帰朝した時には、谷崎は東京帝大に入学したてであり、この年(43年)は、9月に第二次「新思潮」創刊に携わり、11月に「刺青」を発表するという谷崎にとっては搖籃期。
谷崎青年と大学教授・流行作家荷風という位置づけである。
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谷崎潤一郎「青春物語」(昭和7~8年)では、大先輩、永井荷風に対する谷崎の初々しい思いが描かれる。
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「痩躯長身に黒っぽい背広を着、長い頭髪を後ろの方へなでつけた、二十八、九の瀟洒たる紳士」が会場戸口に入ってくる。「『永井さんだ』と、誰かが私の耳の端で言った。私も一と目ですぐそう悟った。そして一瞬間、息の詰まるような気がした」

「最後に私は思い切って荷風先生の前へ行き、『先生! 僕は実に先生が好きなんです。僕は先生を崇拝しております! 先生のお書きになるものはみな読んでおります!』と言いながら、ピョコンと一つお辞儀をした。」 

この時、荷風は「『有り難うございます。有り難うございます。』と、うるさそうに言われた」とある。

しかし、その後すぐに荷風は谷崎を推賞するようになる。
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11月25日
雨聲会の欠員補充投票(川上眉山・国木田独歩の死による)で江見水蔭(辞退)と共に選ばれる。
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西園寺邸での雨聲会に、鴎外、鏡花、島崎藤村、大町桂月、広津柳浪、田山花袋ら先輩の文学者らと参加した際、父が西園寺と交際があった関係で「西園寺公は荷風君を見て『イヤ君のお父さんには、ずゐぶん君のことで泣かれたものだよ。』と笑ってゐた。」(巌谷小波「私の今昔物語」)という。
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この年6月から大逆事件関係者の検挙が始まっている。
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「★永井荷風インデックス」 をご参照ください。
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