2011年8月7日日曜日

昭和16年(1941)6月11日~21日 ハル国務長官、松岡枢軸依存外交へ揺さぶりをかける 松岡、孤立す

昭和16年(1941)
6月11日
・政府、日本・蘭印会商の打ち切りを決定
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6月11日
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6月12日
・大本営政府連絡会議、統帥部、「南方施策促進ニ関スル件」(仏印の軍事的利用、南部仏印進駐)提出。
外交交渉で纏まらなければ、武力行使によって目的を貫徹する為、予め軍隊派遣準備に着手するという提案。
松岡は反対。大島大使から独ソ戦必至の報を得て、盟邦ドイツド対する「忠誠」もあり、日本からの対ソ開戦の好機と判断し、南進反対となったと推測できる。
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6月12日
・日ソ通商協定・貿易協定が成立
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6月13日
・フランス、1万2,000人のユダヤ人が「抑留」される
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6月14日
・陸軍、陸軍原案情勢ノ推移ニ伴ウ国防国策」取り纏め。
南北両面で戦争準備態勢をとり、好機が来れば対ソ参戦。
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6月14日
・ルーズベルト大統領、独伊の在米資産凍結命令
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6月15日
・華中軍、揚子江下流域での「清郷工作」を決定。
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・この頃の「断腸亭日乗」(永井荷風)。

「日本軍の張作霖暗殺および満州侵略に始まる。
日本軍は暴支膺懲と称して支那の領土を侵略し始めしが、長期戦争に窮し果て、にわかに名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用いた。
・・・欧州戦乱以後、英軍振わざるに乗じ、日本政府は独伊の旗下に随従し、南洋進出を企図するに至れるなり。
しかれどもこれは無智の軍人らおよび猛悪なくわだてる壮士らの企るところにして、・・・国民一般の政府の命令に服従して南京米を喰いて不平を言わざるは恐怖の結果なり。
麻布連隊叛乱(2・26事件)の状を見て恐怖せし結果なり・・・」(6月15日)。

「余は、かくの如き傲慢無礼なる民族が武力をもって隣国に寇することを痛歎して措かざるなり。
米国よ。速に起ってこの狂暴なる民族に改俊の機会を与えしめよ」(6月20日)。
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6月15日
・クロアチア、三国同盟加盟
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6月15日
・アフリカの英軍、「バトル・アクス作戦」(トブルク救援作戦)で独軍に反撃、失敗
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6月16日
・汪兆銘南京国民政府主席、来日(~26)。
24日、.近衛との会談。
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6月16日
・在フィリピン婦女子183人乗せた大阪商船ガンジス丸、神戸着。
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6月16日
・大本営、支那派遣軍に対敵経済封鎖強化を命令  
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6月16日
・ルーズベルト米大統領、在米領事館の閉鎖を命令。
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6月17日
高木惣吉海軍省調査課長が組織した海軍ブレーン集団「思想懇談会」で、和辻哲郎が「国防国家について」報告。一情報官鈴木庫三を批判。
思想懇談会メンバ(7名):安倍能成、岸田国士(大政翼賛会文化部長)、谷川徹三、富塚清、藤田嗣雄、和辻哲郎、関口泰。  
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6月17日
・北原白秋、佐藤春夫らの提唱、大日本詩人協会、発足。 
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6月18日
・中国とイギリス、中国ビルマ国境確定条約に調印(重慶)。雲南省・ビルマ間の国境確定。  
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6月18日
・独・トルコ友好不可侵条約調印。
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6月20日
・第1軍司令官に岩松義雄中将(17期)就任。
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6月20日
・国民貯蓄組合法施行、貯蓄奨励法制化、国民の経済的負担増大    
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6月20日
・リヒャルト・ゾルゲ報告、「オット(駐日大使)は、ドイツとソビエトとの戦争は避けられないと、私に言った」。特に注目されず。
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6月21日
・ハル国務長官、野村駐米大使に、5月31日の米側「中間案」の修正(5月11日提示の松岡修正案に対する公式対案)と松岡外相を非難するオーラルステートメントを渡す
23日、東京着。   

日本案が、三国同盟は防禦的なものであり、「現に欧州戦に参加していない国の参戦を防止する」ものであるとしている点を修正し、「欧州戦争の拡大防止に寄与せんとするもの」とするが、同時にアメリカの欧州戦争への態度は自衛の考慮によってのみ決せられると、自衛の為の欧州戦争参加余地を残し、一方、三国同盟による援助義務確認条項を削除。

中国問題では、善隣友好、主権・領土の相互尊重に関する原則とその実際の適用に矛盾しない条件提出を要求し、中国の満州国承認は削除。

通商関係では、無差別待遇原則を強調し、太平洋の政治的安定に関しては、特に領土的野心を持たない事の表明を要求。

更に、これには口上書が付けられ、日本にナチスドイツとその征服政策を支持する指導者がいては、現在の交渉が実質的成果を収める事は期待できない、と松岡を非難。

松岡は激怒し、無礼であるとこの口上書を突き返す。
対米関係悪化を望まず、日米交渉妥結を望む内閣全体の意向から、松岡は浮き上がってゆく。

独ソ戦を見越したハルの松岡枢軸依存外交への揺さぶり。
「・・・不幸にして政府の有力なる地位にある日本の指導者中には、国家社会主義の独逸及びその征服政策の支持を要望する進路に対しぬきさしならざる誓約を与え居るものあること及び・・・」(ハルの口上書)。    
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6月21日
・自由フランス軍、ダマスカス占領。
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