2011年8月14日日曜日

昭和16年(1941)6月22日~25日 ドイツ軍、ソ連に侵攻

昭和16年(1941)
6月22日
・松岡外相、独ソ開戦の報に接し、即刻参内。対ソ参戦を単独上奏。
翌23日、近衛首相、前日の松岡上奏について弁明。
23日午後の大本営政府連絡会議は、松岡が混乱させる恐れありと考え中止させる。
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6月22日
・東條陸相、彼のブレーン5人(武藤、佐藤、軍事課長真田穣一郎、軍事課高級課員西浦進、軍務課高級課員石井秋穂)を呼び打ち合わせるが、当分は情勢を見守る事とする。
企画院総裁鈴木貞一が、同盟国日本に相談無くやったのでこの機会に三国同盟破棄をいう近衛の伝言を伝えるが、東條はこれを拒否。
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6月22日
ドイツ軍、ソ連に侵攻
ドイツ軍、バルト海~黒海戦線で宣戦布告なくソ連攻撃開始。(バルバロッサ作戦)。
ドイツ軍ブーク川渡河、ソ連空軍壊滅。
イタリア・ルーマニア・スロバキア(24日)・フィンランド(26日)・ハンガリー(27日)、対ソ宣戦布告。
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6月22日
・チャーチル英首相、ラジオ演説でソ連を同盟国と言明。対ソ援助を表明。
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6月23日
・中国共産党、反日独伊・反ファシスト国際統一戦線の結成を提唱。
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6月23日
・蒋介石、「共産党問題処理弁法」極秘理に発出。  
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6月23日
・陸海軍軍務局長・作戦部長会議、南進態勢を崩さない条件に海軍が妥協、陸軍案(南北両面の準備陣を張り、好機到来時のみ対ソ参戦)で意見一致。
24日、陸海軍原案「情勢ノ推移ニ伴ウ帝国国策要綱」成立。
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6月23日
・大本営陸海軍部共同作成、「軍事上経済上政治上ノ見地ヨリ北部仏印ト共ニ南部仏印ニ速ニ所要兵力を進駐セシムルノ絶対必要ナル理由ニ就テ」。

仏印全域に軍事的地歩を固め、カを泰へ及ぼし、軍事基地を推進して、南西支那から泰・ビルマ、馬来半島は亘る大戦略要点確保の素地を作る事は、日本の最小限度の要求。
これにより、米英蘭支共同の戦略包囲態勢に対抗し得る態勢を強化することができる。
更に、日満支を絶対自給圏と考えていた日本は、その不足分を補う為に仏印・泰を第一補給圏として、どうしても取り込みたい。
主食である米の不足額900百万石は、仏印・泰に依存しなければならない。また、ゴム補給源としての重要性も高い。
「・・・単ニ米及「ゴム」ノ問題ヨり観察スルモ今ニシテ帝国カ対仏印泰施策ヲ強力ニ発動スルニアラスンハ帝国ハ経済的ニ自存ノ遁ヲ喪失スルニ至ルヘシ」。
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6月23日
・汪兆銘南京国民政府主席、近衞文麿首相と共同声明。
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6月23日
・イギリス軍、シリアへ侵攻(「エクスポーター作戦」)
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6月23日
・ルーズベルト米大統領もソ連を同盟国と声明発表。
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6月23日
・ソ連赤軍諜報部、東京のゾルゲに対し「ドイツの対ソヴィエト戦争に関して、日本政府の立場についての情報を報告せよ」と指示。
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6月24日
・この日~29日、6日間重慶連続爆撃。
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6月24日
・野村駐米大使より電報、「日米諒解案」はアメリカの公式提案ではなく私的提案であると言ってくる。
東條らの諒解案への甘い期待は崩れる。
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6月24日
・日本基督教団創立総会開催。
プロテスタント33教派の合同体として当局の公認を受ける。
日本聖公会(アングロ・カソリック)とセヴンスデー・アドヴェンチスト教会の2派を除いた大合同。この2派は、以後宗教団体としての庇護の特権もなく、地方警察の直接監視下におかれる。
また、合同に反対した佐々木鎮次ら監督6人は信徒総代から「思想謀略戦の観点より」「敵国たる米英に対し軍事上の利益を与うるものとして」告発される。
各教会には「決戦態勢下基督教会実践要綱」「戦時布教方針」「決戦態勢宣言」等が伝達され、開戦にあたっては「基督者は祖国のため結束して祈祷に努むべし」の檄文が送られる。  
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6月24日
・~26日、第2回「新女苑文化講座」。1500人。軍人会館。亀井勝一郎「美と信仰」、辻二郎「科学のおもしろさ」、武者小路実篤「人生について」、林芙美子「青春と文学」、鈴木庫三「高度国防国家と家庭教育」。
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6月24日
・スペイン、独ソ戦派遣のための義勇軍「青い旅団」を招集。 
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6月24日
・アメリカ、ソ連資産凍結解除。ルーズベルト大統領がソ連への援助を約束。
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6月25日
・大本営政府連絡会議、「南方施策促進ニ関スル件」(南部仏印進駐)を決定。
これまで北進を主張していた松岡外相が、一転して南進を容認。
同日、近衛・陸海両総長、上奏。
この日~7月1日(日曜を除く毎日)、24日に成立の陸海軍原案「情勢ノ推移二伴ウ帝国国策要綱」を討議。      

松岡は、リッペントロップを通してフランス・ヴィシー政権に圧力をかけ、政治的に解決する方針としていたが、これをリッペントロップに断られた。      

議題が「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」に移ると、松岡は独ソ戦を主張し会議を紛糾させる。
「三国同盟ハ(日ソ)中立条約カ出来テモ之ニ依り左右セラレ或ハ影響ヲ受クルモノニアラス。此ノ見解ニ就テハ外相(松岡)帰朝後発表セリ、而モ「ソ」ヨリ何等返電来アラス。実ハ独「ソ」戦ハヌト思ツタカラ中立条約ヲ結ンダノデアツテ、独「ソ」戦フ様ナ状況ナラバ中立条約ナド結バズニモツト独卜仲好イ行動ヲ取リタカツタ」と述べる。
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6月25日
・中央融和事業協会、同和奉公会に改組
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6月25日
・アメリカ、公正雇用実践委員会設置。政府機関と防衛産業での人種差別廃止を監督。  
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6月25日
・スウェーデン、ドイツ軍の領内通過を承認。
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