2011年9月19日月曜日

「なぜ私たちの社会が戦後を通して原発を是とし維持してきてしまったのかという問いに冷静に、真摯に向き合うこと」(開沼博)

震災から半年
「原発事故は日本社会に何を突きつけたのか。
フクシマの希望はどこにあるのか。」

こういう問題意識で9月13日「朝日新聞」に開沼博「理想を語るだけでは解決せず」が掲載されていた。
開沼さんは事故前からフクシマに取り組み、その著作「『フクシマ』論」は有名(彼の修論)。

ただワタクシのようなヤワイ反原発主張者にとっては、とても痛くて辛い内容でもあります。

原発論というよりは、「中央」と「地方」の格差(是正)論、だと思います。
内容を摘んでご紹介すると、原発論的には間違って伝わる可能性もありますので、以下、全文引用させて戴きます。
時々は読み直さないといけない。

***********************段落を施す

事故後、原発周辺地域に通い、継続的に調査しています。

意外なことに、放射線被害の大きい地域ほど、「将来」の被曝リスクや脱原発以上に、「今」どうやって生活をしていくかに関心の中心があるように感じます。
もをろん子どもたちの健康が心配だといった声は聞かれますが、それ以前に、与えられてしまった困難の中でどう生きていくかに、頭を悩まさざるを得ない厳しい状況がある。

福島県から県外に避難したのは約5方6千人。震災前の福島県の人口は約200万人ですから、3%に満たない。逃げられることは特別なことなんです。
一度県外に逃げた人が戻ってきて、原発や関連産業で働いているケースも多い。
原発復旧作業の新たな雇用によってにぎわう繁華街もある。3・11後の経済や社会ができつつある中、既に「事故を起こした原発がある日常」が始まっている

福島はじめ日本各地にある原発立地地域に住む人は、脱原発に熱心か。もちろんそういう人もいるけれど、大きな流れとしではそうではないと言っていいでしょう。
原発の安全性に対する意識が低いとか知識がないわけではなく、外からでは分からない当事者なりのリアリズムがあるからです。
「自然エネルギーや代替産業をもってくればいいじゃないか」といっても、じゃあそれはいつどれだけの雇用をつくるのか、という問いが返ってくる。
福島の原発は40年以上にわたって1万人規模の雇用をつくってきた。

「脱原発」という選択の先に、北海道の夕張のように、国策を軸にした地域経済の基盤が失われて財政破綻に至る「夕張化」があるなら、原発立地地域はそれを容易には選択できない。

■空転する脱原発
「原発に代わる産業を」という議論は、福島の原発立地地域でも1960年代からずっとありました。でも実現できなかった。仮に工場誘致やリゾート開発が実現していたとしても、過疎地に作られた工場やリゾートがここ10年、20年でどうなったか。製造業は海外移転や縮小・撤退を選び、リゾートもほとんどは失敗している。
原発は、良しあしは別にして、少なくとも半世紀単位で立地自治体に雇用をつくる「有効な地域開発ツール」とされてきました。
事故の後もなお原発を手放そうとしない立地地域には、行き場を失った日本の地域政策への絶望がある。
「脱原発」を望むなら、叩きつぶすべき悪者や憤りの大声という「北風」以上に、「言うは易く行うは難し」を一番知っている立地地域を説得しうる論理という「太陽」が求められます。

4月、原発に近い福島県富岡町に住んでいた方に「あなたにとって東京電力はどんな存在ですか」と聞くと「高校の同級生とか近所の友人の顔が浮かぶね」という。
立地地域にとっての原発や電力会社は「テレビの中できれいな作業着を着て記者会見している人」ではない。メディアをにぎわす「推進/反対ゲーム」についてはどこか他人事。

ある面でこの半年、中央でなされてきた原発に関する議論や「脱原発のうねり」は「フクシマ」の現場では空転しっ放しだったと言っていいでしょう。

■地方の論理守れ
推進、反対、いかなる立場をとるにしても、事態を好転させるため今求められるのは、無意識的だったにせよ、なぜ私たちの社会が戦後を通して原発を是とし維持してきてしまったのかという問いに冷静に、真摯に向き合うことです。

その根底には「地方と中央」の問題があります。
原発が日本各地にできたのは、「経済成長は善」「脱貧困は善」「電力安定確保は善」といった中央の「善意」の論理を地方に当てはめた結果であり、その構造は今も続く

かつて福島にも原発建設反対運動があった。東北電力が計画した浪江・小高原発が建設されずにきたのは、端的に言えば「土地を守る」という地元住民の論理がぶれなかったから。

「中央の論理」から「地方の論理」を取り戻そうとする力に、原発を維持してきた社会を変える可能性があります

「フクシマ」の問題は、遠からぬ未来に、消費され忘却されるでしょう。
原発報道は徐々に減っていく。脱原発の運動は互いのささいな違いから分裂し、細切れになり、力を失っていく
一方、推進側は簡単には方針を変えず、粛々と原発の再稼動を進めていく

理想を語り、怒るだけでは、問題が解決されないまま後世に引き継がれてしまう。それは地元の人が一番よくわかっている。沖縄の基地問題を始め地方が抱えてきた問題の多くに共通することです。

アカデミズムとジャーナリズムの費任も重い。この半年、どれだけの人が自ら現場を見て、地元の入の言葉に耳を傾けようとしたか。
中央の人間が一時の熱狂から醒めて去っていった後、最後まで残るのは汚染された土地と補償問題、そこに生きる人々の「日常」です。その現実を見ることにこそ、宙づりになりつつある「フクシマ」という難問への答えと希望があります。
(聞き手・尾沢智史)

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