2011年11月3日木曜日

永禄10年(1567)5月~7月 松永久秀と三好三人衆らとの東大寺の戦い 五徳、信康に輿入れ 言継、風流踊りの豪華さに驚く [信長34歳]

東京、北の丸公園(2011-10-28)
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永禄10年(1567)
5月
・この頃、上野・武蔵の上武国境付近を巡り、武田信玄と北条氏康・氏政間で国分け協定。        神流川を境に上野の多野郡域は武田領となり、武田氏に帰属していた箕輪の領主・地侍層に知行地の大幅な再編がなされる。
これまで北条氏に属する安保氏の多野郡鬼石郷3ヶ村などが高山氏に、同じく安保氏の大塚郷(藤岡市)が小林氏に渡される。
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5月2日
・岩成友通・(摂津)池田勝正軍1万、東大寺へ移り念仏堂・二月堂・大仏殿回廊へ布陣。
対して松永久秀は戒壇院に籠もる。
多聞院英俊はこれらの行動を「大天魔ノ所為」と見なす(「多聞院日記」)。
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5月4日
・六角義賢・義治父子、領内に徳政令をだす。
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5月5日
・池田勝正・三好康長軍、「番替」として軍勢4~5千が東大寺へ到着。
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5月5日
武田信玄、西上野支配完成
武田信玄、上野惣社城(前橋市)を攻略。
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5月9日
・信長娘五徳姫(9)、徳川家康嫡子岡崎三郎信康(9)に輿入れ。(27日との記述もあり)
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5月15日
・スコットランド、女王メアリー・スチュワート、ボスウェル伯ジェイムズ・へバーン(プロテスタント)と3度目の結婚。
国内はカトリックもプロテスタントも2度目の夫ダーンリー卿暗殺首謀者ボズウェル伯との結婚には反対。
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5月16日
・長尾輝虎(38、上杉謙信)、色部勝長を唐沢山城将に任じて春日山に帰国。
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5月17日
・池田勝正、摂津より大和西芳寺へ布陣。
三好政康は天満山から兵7~8千と共に西ノ坂へ陣替え。
岩成友通率いる軍勢(念仏堂に籠っていた)は氷室山法雲院後方の畠に布陣。
筒井順慶は大乗院山に留まり東大寺内への通路を遮断。
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5月18日
・多聞山城出撃の松永久秀勢、般若寺・仏餉屋・妙向院など焼く。
(多聞山が焼き討ちを受ける。般若寺・文殊堂など多数の伽藍が焼け、飛び火して戒壇院の授戒堂はじめ南北水門まで悉く焼ける。)
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5月24日
・三好三人衆、大和法輪院に入る。
これにより宝徳院・妙音院・徳蔵院・金蔵院、大和多聞山より火矢で放火。
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5月28日
・秋山衆、無量寿院屋敷門の築地に櫓を上げて押し寄せ、死者2名・手負い少々を出す。
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6月
・家康(25)、戸田虎千代(後の康長)に亡父の遺領相続を許可し、松平の称号を与える。
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6月4日
・筒井順慶、東大寺へ火矢で放火、効果無し。
5日、龍花院方の発心院・中蔵院・千手院・大聖院・安養院・谷坊・慈明坊へ布陣。
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6月15日
・スコットランド、反ボズウェル派貴族同盟がクーデター・挙兵。
女王メアリー・スチュワートはエディンバラ東13kmカーバリー・ヒルで捕縛。
メアリーはロッホ・リーベン城に監禁、退位要求される。
ボズウェルは逃走
(オークニー諸島に渡り海賊の頭目となる。後、ノルウェー海岸でデンマーク艦に囚われドゥラグスホルム城牢獄で12年後に狂死)
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6月16日
・六角義賢軍、山門相論により一乗寺を焼打ち(「言継卿記」)。
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6月17日
・松永久秀軍、「箸尾衆」と協力して筒井郷椎木・小泉周辺を翌朝まで放火。
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6月25日
・今川氏真、甲斐への塩荷輸送者を討った大藤氏に感状を与える。
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6月27日
・筒井順慶、花厳院にて三好三人衆に松永久秀との和睦をもちかける。
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7月
・足利義秋(後の義昭)、上杉輝虎(謙信)へ、上洛の決意を固め、兵粮米調達及び参陣を命令。
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・若狭守護武田義統の弟武田信方(宮川殿)が叛旗を翻すが、白井光胤・勝胤父子ら信方の「年寄中」が相談し、「宮川御家中」を引き退く。
足利義秋が、義統に代わり遠敷郡宮川を拠点に勢力を伸ばし武田氏の実権を握っている庶子家信方に対して、越後上杉氏らと共に上洛随行の要請が出されるが、信方はその要請を受け入れず。
それは「国家」(公方や屋形を超えた公的秩序)に対する謀叛であるとされ、信方の年寄衆白井氏らは宮川家中を引き退き、孤立した信方は山県秀政ら義統側近の家臣たちによって失脚させられる。
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7月8日
・「古市方」(大和国人)、大和多聞山(筒井順慶)側へ「裏帰」る。
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7月13日
・細川昭元、広隆寺領を惣安堵(「広隆寺文書」)。
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7月23日
・松永久秀の軍勢(5人?)、三好三人衆の調略により内応、東大寺戒壇院・千手堂を焼く。
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7月24日
洛外郷村の風流踊りの豪華さに言継驚く
この日、吉田で見物した粟田口衆の風流は、2間四方の大灯呂が20も繰り出し、「前代未聞目を驚かす事なり。京辺土の群集なり」(「言継卿記」7月24日条)と記す。
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7月25日
・スコットランド、メアリー・スチュワート(24)、スコットランド王位放棄の書類に署名。
29日、長男ジェームズ6世(13ヶ月)、国王即位。
伯父マリ伯ジェイムズ・ステュワート摂政。
ジョン・ノックスと組んでプロテスタントと改革教会の強化、貴族間の私闘抑止、一般民の保護。
「良き摂政」の評判。
1570年1月23日、ハミルトン一族に暗殺。
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7月27日
・三好三人衆軍、波多野晴通(松永方)と京都西岡に於いて交戦。
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