2011年12月31日土曜日

京都 冬枯れの哲学の道 ススキ、ナンテン、ミツマタ

師走の京都

昨日(12月30日)は少し自由時間ができたので、真如堂~吉田山~吉田神社~哲学の道~法然院という順序で散歩。
約3時間。
銀閣寺には驚くほどの人出があった。

冬枯れの哲学の道
ススキ、ナンテン、ミツマタが疎水堤に咲いている。





2011年12月30日金曜日

京都 歴史的建造物 京大人文科学研究所東アジア人文情報研究センター(昭和5年)

京都の北白川、銀閣寺の北、白川通りの西側を入ったところに古い建物がある。
京大人文科学研究所東アジア人文情報研究センター
建物の歴史はこのセンターのHPに詳しい
相和5年竣工
設計者は武田五一
(関西の歴史的建造物には、この方の設計になるものが多い)



 

 



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2011年12月29日木曜日

京都 金福寺 村山たかとの所縁 芭蕉庵 蕪村の墓

師走の京都
詩仙堂近くの金福寺

村山たかが、土佐藩士(浪士)によって晒された後、この寺に入ったという。
たとえ佐幕派の密偵とはいえ、58歳の当時では老女といってもいいくらいの女性をリンチで晒すセンスや、3日間、誰も助けなかったのかなど、素朴な疑問がある。



▼芭蕉庵


▼蕪村の墓

2011年12月28日水曜日

京都 北白川、圓光寺から師走の京都を望む 水琴窟

師走の京都

北白川にある圓光寺は徳川家康の創建になる。
裏山からは京都市街(北部)を望むことができる。

▼境内至る所にナンテン
▼水琴窟がかわいい音をたてている
▼琳派のデジタル復元版
左上のもみじの色が鮮やか
ほんの真近で見ることができる
▼「家康の墓」
▼上の写真の「家康の墓」近くからの京都市街の眺望
▼十牛の庭、後ろに本堂
秋にはきっともみじが美しいと思う
▼京都の北山
▼いかにも京都らしいポスター

京都 冬枯れの詩仙堂

師走の京都
冬枯れの詩仙堂
秋の頃(コチラ)とは一転して、
承知の上とは言いながら・・・、「何も」ない。
辛口関西流で言えば「金(拝観料)返せ」状態である。
事実、この日乗車したタクシーの運転手さんは、無料にすべきと言っていた。




▼鯉は軒の下


▼センリョウとマンリョウ
▼ナンテン

2011年12月27日火曜日

京都 岡崎にある山縣有朋の別荘、無鄰菴

師走の京都

岡崎にある山縣有朋の別荘、無鄰菴に行った
山縣自身の設計、監督により、平安神宮の庭も手掛けた造園家、小川治兵衛の作庭。

また、明治36年4月21日、山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人で日露開戦決定をした「 無鄰菴会議」で有名。
朝日新聞主筆池辺三山も日露開戦を促すための説得にこの無鄰菴を訪問している。
(この時点では、開戦決定をしているが公にはされていないし、三山もそれを知らない)

維新の元勲とはいえ、椿山荘はじめ沢山の不動産持ちの山縣である。
金儲けも上手かったようだ。







▼茶室

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▼無鄰菴会議の場所だそうだ

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▼無鄰菴近くの琵琶湖疏水と東山

2011年12月26日月曜日

「いわき市に逃げて来る人逃ぐる人危ふき距離の仮設住宅」 (いわき市 馬目空) 「朝日歌壇」12月26日より

京都 琵琶湖疏水(2011-12-25)
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「朝日歌壇」12月26日より

「除染」というショベルカーが削ってく景観、文化、こころといのち    (福島市)伊藤 緑

いわき市に逃げて来る人逃ぐる人危ふき距離の仮設住宅        (いわき市)馬目 空

山茶花の咲き急ぎたる師走来て仮の宿にも雪虫が舞う         (南相馬市)飯崎ひろみ

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京都 平安女学院のクリスマス・イルミネーション

「しばらくお休み」の積りでしたが、PC・ネットワーク環境の良い親戚宅に居候となり、ブログ更新も可能となりました。

昨日(12月25日)、病院の帰りに撮った京都の平安女学院のクリスマス・イルミネーション。
車やタクシーで見物に来る人も多い。
秘かな名所になりつつあるらしい?

丸太町通り室町を上ったところ。
(アグネス通りと通称されている。)
平安女学院の校舎に飾られている。
おそらく生徒さん・学生さんが制作したと思われるものも多い。

ここは、何度かご紹介している、足利義輝の武衛陣跡で、かつ信長が義昭のために建てた二条御所跡。
一番最後の写真に石碑があります。








▼ペットボトルで作ったツリー