2012年2月2日木曜日

天安3年/貞観元年(859)~貞観3年(861) 唐物使の初見 「名」の初見 石清水八幡宮勧請 直方隕石落下

京都 北野天満宮(2012-01-25)
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天安3年/貞観元年(859)
この年
・この頃、唐物使の初見。10世紀末まで続く。
確実に良い品を選び出せるように、鑑定能力のある唐物使を蔵人所から現地に派遣し、最高級品が間違いなく宮中に入るようにした。
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「名」の初見
この年、近江国依智庄(えちのしよう)検田帳(元興寺領の近江国依智庄に遣わされた使者の報告書)にある(『平安遺文』128号)。
公領では何時から始められたかは不明であるが、10世紀前半には公領でも名が編成されていた。
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・唐、唐末農民反乱の先駆け、裘甫の乱おこる。
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2月11日
・右大臣藤原良相、崇親院・延命院を建立。藤原一族の困窮者・病者を救済。
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4月25日
・「貞観」に改元
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4月28日
・饒益神宝(皇朝十二銭の八)を鋳造。
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8月
・山城国の南(京都府八幡市)に石清水八幡宮が勧請
八幡神は、もともと宇佐八幡宮を本社としたが、この8月、山城国の南に石清水八幡宮として勧請された。
道鏡を天皇にせよとの託宣事件が起きたことからもわかるように、八幡神は、奈良時代から王権と深い関係にあったが、朝鮮半島に出兵して新羅・百済・高句麗を征服した後、九州で後の応神天皇を産み落としたとの神功皇后の伝承(『日本書紀』)が大きく取り上げられ、神功皇后・応神天皇と八幡神は同体であるとの言説が現れた。
こうして、八幡神は王権の信仰をいっそう集め、アマテラス神とは別の意味で、皇祖神として位置づけられるようになった。
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8月8日
・地震のため、五畿七道諸国の年貢御鷹一切を停止する。(「日本三代実録」)
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10月5日
・文徳天皇皇女恬子内親王(母:紀静子)を伊勢斎王に、儀子内親王を賀茂斎王(母:藤原明子)に卜定。
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11月19日
・藤原高子、五節舞姫となり従五位下に叙せられる。(父:藤原長良)
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貞観2年(860)
4月19日
・国祈の為、諸国に仏頂尊勝陀羅尼を読経させる。
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5月5日
・雷電雨雹地震あり。天皇、端午の節を止める。
18日にも地震あり。(「日本三代実録」)
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8月27日
・神祇官西院斎戸神殿に賊徒侵入。
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10月21日
・諸国の禁野での狩猟を禁止。
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貞観3年(861)
・この年、「凶猾(きようかつ)をもつて党を成し、群盗、山に満つ」との理由から、武蔵国の郡ごとに1人の検非違使(諸国に置かれる検非違使を国検非違使という)が置かれる。
貞観9年には上総国、貞観11年には下総国でも設置される(『日本三代実録』)。
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3月
・東大寺大仏の修造終わる。
斉衡2年(855)、地震のために大仏さまの頭部が墜ち、真如法親王によって修復事業が進められ、この年、開眼供養が行われた。
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4月7月
直方隕石(のおがたいんせき)が落下
世界最古の落下の目撃記録のある隕石。
この夜、武徳神社(今の須賀神社)境内に落下。翌日、深くえぐられた土中から黒く焦げた石が掘出され、桐箱に納めて保存したという記録が残っている。
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8月
・真如法親王、入唐のため大宰府に至る。
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