2012年3月24日土曜日

昭和17年(1942)3月19日 「茶屋のかみさん承知せず、警察署に至り何故赤き色御禁止になりしや。日の丸の旗も赤いでは御在ませんか。・・・」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 北の丸公園(2012-03-21)
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昭和17年(1942)3月17日
三月十七日。黄昏土州橋に至り金兵衛に飰す。
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3月18日

三月十八日。晴れて風また寒し。夜淺草に行く。
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3月19日
・三月十九日。晴。落葉を焚く。昏黒金兵衛に飰す。小説浮沈脱稿。

噂のきゝがき
上野東照宮五重塔のほとりの休茶屋にては近年茶汲の女に花見の時節赤襷赤前垂をしめさせゐたり。
然るにこの程警察署にて右赤前垂は目立つ故緑また桃色にすべき由申渡せしに茶屋のかみさん承知せず、警察署に至り何故赤き色御禁止になりしや。日の丸の旗も赤いでは御在ませんか。赤前垂は派出(はで)なれば櫻時にはふさはしきものなり
若しはでなものがいけないと云はるゝなればお上の御威光にて春も來ず、花も吹かせぬやうになさいませとしやべり立てられ、役人も返す言葉なく遂に例年通赤前垂を許すことになりしと云。
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3月20日
三月二十日。晴。鴬頻に鳴く。夜芝口に飯す。
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3月21日
三月廿一日。土曜日 春分 晴天。春正に酣なり。終日小説浮沈草稿浄寫。黄昏銀座岡崎を訪ひ金兵衛に飰す。
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3月22日
三月廿二日、晴、暮方金兵衛に飰す。おみ(ママ)さん仙台よりの到来物なりとて彼岸の萩の餅を馳走す。
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3月23日
三月廿三日。晴。晩間土州橋より淺草を歩す。偶然吉井勇氏に逢ふ。
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3月24日
三月廿四日。濹東綺譚別刊本を大曲駒村氏に贈る。晩間風吹出でゝ雨となる。
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3月25日
三月廿五日。晴。夜淺草を歩す。
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3月26日
三月廿六日。晴。
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3月27日
三月廿七日。晴。北風吹きて寒し。
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3月28日
三月廿八日。晴。深夜腹痛。
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3月29日
三月廿九日 日曜日 養痾家に在り。夜雨さびし。
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3月30日
・三月三十日。陰。牛後土州橋。夜淺草に至る。歸宅後雨。
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3月31日
三月卅一日。知らぬ間に近鄰の櫻花満開となれり。
午後金兵衛のかみさん料理番同伴にて病気見舞に来る。盖し廿八日の晩同店にて夕餉を食せし時吸物椀の中にとうがんの入れありしが其為苦味甚しきを一口飲みたれと如何ともすること能はず其まゝ飲みはしたり。其夜十二時頃より俄に腹痛下痢を催したり。此事いつか金兵衛方へも知れしが故わざわざ見舞に來りしなり。かみさんの實意今の世には珍しと謂ふぺし。
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廿七日、「北風吹きて寒し。」
廿八日、「深夜腹痛。」
廿九日、「日曜日 養痾家に在り。夜雨さびし。」
と続くシーケンスの中で、
次の日の三十日の日付けの前に「・」が付くのが、おかしくて哀しい。


しかも、その翌日の卅一日午後には、心配した「金兵衛のかみさん料理番同伴にて病気見舞に来る。」という状況。
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