2012年5月23日水曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(6) 「第14章 米国内版ショック療法 - バブル景気に沸くセキュリティー産業 -」(その二)

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-05-23
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(6) 
「第14章 米国内版ショック療法 - バブル景気に沸くセキュリティー産業 -」(その二)


チェイニーとラムズフェルド ー 元祖・惨事便乗型資本主義者
ラムズフェルドの国防長官就任時の時代背景:フリードマンの危機理論は脱近代化(ポストモダン)
「ラムズフェルドの演説の中心にあったのは、プッシュ政権の基本方針 -- すなわち政府の仕事は統治することではなく、その業務をより効率的で一般的に有能な民間部門に下請に出すことだ、という考え方にほかならない。」


「八〇年代から九〇年代に全米を席捲した民営化ブーム(クリントン政権のみならず、州政府や地方自治体も全面的にこれを採用した)により、ブッシュ・チームが政権に就く頃にはすでに水道や電気事業、ハイウェーの運営管理、ゴミ収集といった大規模な公営事業はあらかた民間に売却されるか、業務委託されていた。
国家機能のこうした手足が次々に切り落とされていったあとに残ったのは、「中核」だけだった。
・・・初期の民営化がもたらした利益があまりにも大きかったことから、味をしめた多くの企業は即収益につながる次なるターゲットとして、これら政府の中核機能に貪欲な目を向け始めていた。」


「こうして九〇年代後半には、「中核機能」は民営化すべきでないという最後の一線を越えようとする動きが高まってくる。
それは多くの点で、現状の論理的延長線上にあるものにすぎなかった。
九〇年代の株式市場に莫大な富をもたらしたロシアの油田、ラテンアメリカ諸国の通信事業、アジア諸国の産業に続き、今やアメリカ政府そのものが重要な経済的役割を演じようとしていたのだ。
発展途上国では民営化と自由貿易に対する反発が急速に広がっており、他の成長手段が封じられていたことが事態にいっそうの拍車をかけた。」


「これは、ショック・ドクトリンを自己言及的な新たな局面へと押しやるものだった。
その時点まで、惨事や危機はそれが起きたのちに急進的な民営化計画を推し進めることに利用される一方で、大惨事を引き起こす力と救済する力の両方を併せ持つ公的組織 - 軍隊、CIA、赤十字、国連、緊急救済部隊など - は公的管理の最後の砦として機能してきた。
ところが今や、過去三〇年間にわたって腕を磨いてきた危機便乗方式は、大惨事の発生と救済に関わるこうした基幹組織の民営化促進に活用されようとしていた
フリードマンの危機理論は脱近代化(ポストモダン)しつつあった」


「民営化警察国家、とでも呼ぶしかない状況を率先して作り出そうとしていたのが、のちにブッシュ政権で絶大な権力を振るう、ディック・チェイニードナルド・ラムズフェルド、そしてジョージ・W・ブッシュの三人である。」

フリードマンとラムズフェルド
「米軍に「市場理論」を適用しようというラムズフェルドのアイディアは、四〇年前のプロジェクトに端を発する。
六〇年代初頭、シカゴ大学経済学部のセミナーに通っていたラムズフェルドは、そこでミルトン・フリードマン教授と親交を深めた。
彼が三〇歳で下院議員に当選すると、フリードマンはこの共和党の新星に目をかけ、大胆な自由市場政策要綱を練り上げる手助けをするとともに、シカゴ学派経済理論を教え込んだ。二人は長年親しい関係を保ち、ラムズフェルドはヘリテージ財団のエド・フュルナー相殺が主催する毎年恒例のフリードマンの誕生日パーティーにも欠かさず出席した。」


「フリードマンのほうも彼に目をかけた。市場の規制撤廃に強い姿勢で臨むラムズフェルドにいたく感じ入り、一九八〇年の大統領選では副大統領候補にジョージ・H・W・ブッシュ(父)ではなくラムズフェルドを選ぶようレーガンに強く働きかけたほどだった。
レーガンが自分の進言を無視したことを、フリードマンは少なからず根に持ち、「レーガンが副大統領候補にプッシュを選んだことは間違いだった」と、回顧録に書いている。」

ビジネスマン、ラムズフェルド:
サール薬品、シアーズ、ケロッグ、ガルフストリーム、ABB、ギリアド・サイエンス
「レーガンの副大統領候補指名を逸したラムズフェルドは、すでに身を投じつつあったビジネス界でキャリアを築くことで生き残りを図った。
国際化学薬品企業サール薬品〔現ファイザー〕でCEOの地位にあったとき、ラムズフェルドは政治的コネを利用し、さまざまな毒性が指摘されている人工甘味料「アスパルテーム(商品名ニュートラスイート)」の認可を食品医薬品局(FDA)から取りつけ、莫大な利益を得た。また、サール薬品をモンサント社〔農薬や遺伝子組換えを主力とするバイオ化学メーカー〕に売却した際、ラムズフエルドは推定一二〇〇万ドルの仲介手数料を懐に入れた。」


「この巨額買収劇でラムズフェルドは凄腕企業プレーヤーとして名を馳せ、シアーズやケロッグといった一流優良企業の役員にも就任する。
七〇年代にフォード政権で国防長官を務めた彼の経歴は、アイゼンハワーの言う「軍産複合体」の一角を占めるすべての企業に高く買われた。
ラムズフェルドは航空機メーカー、ガルフストリーム社の役員を務める一方、スイスの電力技術大手ABB(アセア・ブラウン・ボベリ)の役員として年間一九万ドルの報酬を受けていたが、そのABBがプルトニウム製造能力を含む核技術を北朝鮮に売ったことが明るみに出たときには大いに物議を醸した。」


ラムズフェルドが元祖・惨事便乗型資本主義者たる立場を確立するのは、一九九七年にバイオテクノロジー企業ギリアド・サイエンスの会長に就任してからである。ギリアド杜は種々のインフルエンザに効果があり、鳥インフルエンザにも効くとされていた治療薬タミフルを特許登録していた。」


「彼が会長を務めていたギリアド社は四種類のエイズ治療薬の特許も持っているが、同社はこの薬のより安価なジュネリック薬が発展途上国に出回るのを阻止することに膨大なエネルギーを注いだ。・・・
一方、伝染病を成長市場とみなすギリアド社は、万が一の場合に備えてタミフルを買いだめしておくよう企業や消費者に向けて大がかりな販促キャンペーンを展開してきた。
・・・ラムズフェルドは、ふたたび政権入りする前、バイオテクノロジーと医薬品に特化した複数の投資ファンドの立ち上げに関わった。これらのファンドは深刻な病気の大流行を当て込んで金を投資している。大流行になれば、政府は民間企業が特許登録した人命救助薬を高値で買わざるをえなくなるからだ。」

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