2012年8月26日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(29) 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その9)

東京 北の丸公園 2012-08-24
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(29)
 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その9)

グアンタナモ・ベイは実験施設だ
 キューバのグアンタナモ米海軍基地に長期間拘留される者は少なくない。
同基地に収監されていたエジプト系オーストラリア人マムドゥー・ハビブは、「グアンタナモ・ベイは実験施設だ。(中略)彼らは洗脳の実験をしている」と述べている。
実際、グアンタナモに関する証言や報告、写真などを見ていると、一九五〇年代のアラン記念研究所があたかもキューバに移転したような感がある。
まず最初に拘束者は頭巾をかぶせられ、黒いゴーグルとすべての音を遮断する重いヘッドホンを着けさせられて、極度の感覚遮断の状態に置かれる。
何ヵ月間も独房に隔離されたあげく、外に連れ出されれば今度は吠える犬やストロボライト、赤ん坊の泣き声や大音響の音楽、猫の鳴き声などを録音したエンドレステープなどで感覚を攻撃される。

 拘束者のなかには、こうした扱いを受けた結果、五〇年代にアラン記念研究所に拘束されていた者とほぼ同じ状態 - すなわち完全な退行に陥った者も少なくない。
グアンタナモ収容所から釈放されたあるイギリス国籍の拘束者が弁護士に語ったところでは、収容所の「デルタ・ブロック」と呼ばれる一角全体が、永続的な妄想状態にある「少なくとも五〇人の」拘束者のために確保されているという。
機密解除になった米連邦捜査局(FBI)の国防総省宛て書簡には、重要人物と目されるある拘束者が「三ヵ月間、徹底した隔離状態に置かれ」、「極度の精神的トラウマに合致する行動(そこにいない人に話ししかける、誰かの声が聞こえると言う、独房の中でシーツをかぶり、何時間もしゃがんだ状態でいる)が見られた」とある。

 元米陸軍のイスラム教教誨師でグアンタナモ収容所に勤務していたジェームズ・イーは、デルタ・ブロックの拘束者が典型的な極度の退行症状を示していたと話す。
「立ち止まって話しかけても、向こうはまるで子どものような声で訳のわからないことを言ってくるだけだった。子どもっほい歌を人声で歌い、同じ歌を何度も何度もくり返している人も何人もいた。鉄のベッドのフレームの上に立ち上がって、子どもみたいに騒いでいる者もいて、子どもの頃兄弟と一緒に「お山の大将」ゲームをして遊んだことを思い出した」とイーは言う。
二〇〇七年一月、一六五人の拘束者が「キャンプ・シックス」と呼ばれる新しく建設された部分に移されるに及んで、状況はさらに著しく悪化した。
ここに設けられた鋼鉄製の独房では、他人との接触は一切行なわれない。グアンタナモの拘束者数人の弁護士を務めるサビン・ウィレットは、もしこの状況が継続すれば「ここは精神病院と変わらなくなる」と憂慮した。

グアンタナモ収容所・・・いちばんまともなものだ
 しかし人権団体は、グアンタナモ収容所がいかにおぞましい施設であれ、米政府が運営する海外の同様の施設のなかではいちばんまともなものだと指摘する。
というのも、ここでは国際赤十字と弁護士による監視が、限定的ではあるが行なわれているからだ。これまで不特定多数の人々が世界中に設置された「ブラックサイト」と呼ばれる秘密拘留施設のネットワークに拘禁されたり、特別引き渡しの制度によって海外の刑務所に移送されたりしている。
こうした悪夢のような体験から生還した拘束者たちは、キャメロン流のショック戦術による全面攻撃を受けたと証言している。

ミラノの路上でCIAに拉致されたハッサン・ムスタファ・オサマ・ナスルの場合
 エジプト出身でイタリアに亡命したイスラム教指導者ハッサン・ムスタファ・オサマ・ナスルはミラノの路上で、CIA工作員とイタリアの秘密警察によって拉致された。
「いったい付が起きたのか、まったく訳がわからなかった」と、彼はのちに書いている。
「いきなり腹を殴られ、体中を殴られた。それから頭と顔を幅広のテープでグルグル巻きにされて、息ができるように鼻のところにだけ穴を開けられた」。
その直後にエジプトに移送されたナスルは、明かりのない独房に入れられ、「ゴキブリやネズミが体の上を這い回る」状態で一四ヵ月間過ごした。
ナスルは二〇〇七年二月までエジプトの刑務所に拘留されたが、自らの受けた虐待の詳細を手書きで一四ページにわたる文書にまとめ、外部に持ち出すことに成功した。

電気ショック
 それによれば、彼はくり返し電気ショックによる拷問を受けた。『ワシントン・ポスト』紙の記事によると、ナスルは「「花嫁」と呼ばれる鉄製のラックに縛りつけられ、スタンガンで電気ショックを受けた」り、「床に敷かれた濡れたマットレスに縛りつけられた」りした。
「一人の尋問官がナスルの肩に固定された木製の椅子に座り、もう一人の尋問官がスイッチを入れると、マットレスのコイルに高圧電流が流れた」。

 米政府によって拘束され、電気ショックによる拷問を受けたのはナスルだけではないと考えられる理由は十分ある。
とはいえ、米政府が行なったのは拷問なのか、それとも「巧妙に工夫された尋問」にすぎないのかをめぐる議論でも、ほとんどこの事実は見逃されている。
グアンタナモ収容所に拘留され、一〇回以上自殺を試みたジュマ・アルドサリが弁護士に提出した書面による証言によると、アルドサリがカンダハルで駐留米軍に拘束された際、「尋問官が携帯電話のような小さな器具を持ってきたが、それは電気ショックを与える器具だった。彼はその器具を使って私の顔、背中、手足、そして性器にショックを与えた」という。
またドイツ生まれのムラト・クルナズもカンダハルの米準基地に拘留され、同様の仕打ちを受けた。
「まだ最初の時期で、規則など何もなかった。やつらはどんなことでもやりたい放題だった。毎回俺たちを殴り、電気ショックも使ったし、水の中に頭を押し込んだりもした」

(つづく)

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