2012年8月30日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(31) 「第2章 もう一人のショック博士 - ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その1)

東京 北の丸公園 2012-08-24
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(31)
 「第2章 もう一人のショック博士
- ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その1)


 経済専門家(テクノクラート)たちは、こちらには税制改革、あちらには新しい社会保障法、そして別のところには為替相場制度の改正、といった具合にさまざまな政策を打ち立てることはできても、まったくの白紙状態の上に自分たちの望むとおりの経済政策の枠組みを丸ごと、完全な形で実現するという贅沢を手にすることはありえない。  
- アーノルド・ハーバーガー(シカゴ大学経済学教授、一九九八年)

シカゴ学派:「国家統制主義」に対抗する革命的な砦
 学問の世界のどこを見渡しても、一九五〇年代のシカゴ大学経済学部ほど神話化された環境はまずほかにない。この学部自身、自らを単なる「学校(school)」ではなく、ひとつの 「学派(School of Thought)」とみなし、ただ単に学生を教育するだけでなく、「シカゴ学派」という経済学派の構築と強化を行なっていたのだ。
 シカゴ学派とは、ある保守派の経済学者グループの発案物で、彼らの考え方は当時主流だった「国家統制主義」的な立場に対抗する革命的な砦としての意味を持っていた。・・・一九九二年にノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーは、「われわれ学生は他のほとんどの教授たちと戦闘状態にある戦士だった」と述べている。

野心的でカリスマ的な男、ミルトン・フリードマン
 これと同じ時期にユーイン・キャメロンが率いていたマギル大学医学部精神科と同じように、シカゴ大学経済学部もまた、自分の専門分野を根底から改革する志に燃える、野心的でカリスマ的な男によって支配されていた。その男の名はミルトン・フリードマン
彼に負けず劣らず極端な自由放任を猛烈に支持する師や学者仲間は少なくなかったが、この学派に革命的な熱気を与えたのはフリードマンのエネルギーにほかならなかった。

 「よく人に「なぜそんなにウキウキしているのか? きれいな女性とデートでもするのか?」と聞かれたものだ」とベッカーはふり返る。
「そのたびに「違うよ、今から経済学の講義があるんだ!」と答えていた。ミルトンには、本当に魔法のような魅力があった」

激しいショックを与え、人間の介入を排除し、純粋な資本主義に戻すこと
 フリードマンはキャメロンと同様、「生まれながらの」健康状態に戻すことを夢のように思い描き、それを使命としていた。人間の介入が歪曲的なパターンを作り出す以前の、あらゆるものが調和した状態への回帰である。
キャメロンは人間の精神をそうした原始的状態に戻すことを理想としたのに対し、フリードマンは社会を「デパターニング」し、政府規制や貿易障壁、既得権などのあらゆる介入を取り払って、純粋な資本主義の状態に戻すことを理想とした

 またフリードマンはキャメロンと同様、経済が著しく歪んだ状態にある場合、それを「堕落以前」の状態に戻すことのできる唯一の道は、意図的に激しいショックを与えることだと考えていた。そうした歪みや悪しきパターンは「荒療治」によってのみ除去できるというのだ。

 キャメロンがショックを与えるのに電気を使ったのに対し、フリードマンが用いた手段は政策だった。彼は苦境にある国の政治家に、政策という名のショック療法を行なうよう駆り立てた。

 だがキャメロンとは違って、フリードマンが抹消と創造という彼の夢を規実世界で実行に移す機会を得るまでには、二〇年の歳月といくつかの歴史の変転を要した。

(つづく)


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