2012年9月18日火曜日

昭和17年(1942)9月 大東亜省設置を閣議決定 細川嘉六「世界史の動向と日本」(『改造』)糾弾される

東京 江戸城(皇居)二の丸雑木林
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昭和17年(1942)年
9月
この月
・京都、京大医学部内の社会医学グループ6名検挙。研究会。
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・エクアドルと国交断絶
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・在本土宣教師を強制収容
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特集「近代の超克」(「文学界」10月号)
座談会出席者西谷啓二、亀井勝一郎、中村光夫、下村寅太郎、川上徹太郎。
西欧的近代を乗越えた日本的精神の可能性討議
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・「流れ、大陸帰農小説集」「開拓文苑」(「満州移住協会」)、鑓田研一「王道の門 満州建国記録2」(「新潮社」)、森田草平「夏目漱石」、小林秀雄(40)、「バッハ」(『文学界』)・「『カラマアゾフの兄弟』(8)」(『文芸』)。
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・アメリカ、試作長距離爆撃機B29の飛行試験始まる
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・フランス、ラヴァル、ヴィシー政権復帰。反ドイツ傾向のため「フランス戦士団」解散。
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9月1日
閣議、大東亜省設置決定
東条首相、外務省管轄領域介入として反対した東郷茂徳外相に単独辞任迫る
東條英機、外務大臣に就任(兼任)。
2週間後、情報局総裁谷正之が外相就任。
11月1日、大東亜省、設置(対満事務局、興亜院、拓務省を廃止)。初代大東亜相は国務大臣青木一男。

東條指示により、軍務局・統帥部が、占領地行政を実をあげる為の機関として大東亜省構想を作り、東條はこれを契機に東郷との政争に決着をつける。
8月31日、鈴木貞一は賀屋と木戸から大東亜省設置に関する消極的賛成を得る。
9月1日、東郷抜きで閣議開催し、大東亜省設置の了解を得て、これに不賛成ならば辞表を書けと迫る
次に、東條は木戸幸一を訪ね、外相が辞任しないなら閣内不統一で総辞職にならざるを得ないと恫喝。天皇も驚き、東郷は辞職せざるを得なくなる
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9月1日
インド国民軍1万5千、シンガポールで再編成。労務隊編入者はラバウル、チモールに送られる。
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9月1日
・中央食糧営団設立
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9月1日
・戦時統制により「新愛知」と「名古屋新聞」統合、「中部日本新聞」創刊
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9月1日
・ルクセンブルグのゼネスト、ドイツ占領軍に制圧
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9月1日
・スターリングラード郊外で激戦
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9月2日
・ドイツ『ノルトゼー(北海)』作戦(モギョリョフ地方のソ連パルチザン掃討作戦)
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9月3日
・古河工業日光電気精銅所の徴用工員による待遇改善歎願書・署名運動。1,500の署名。
26日、検束される。
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9月3日
・スペインのフランコ、外相に親英派のホルダーナを任命。
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9月4日
・フランス、ヴィシー政府のラヴァル、全国労働局設置。
政府が指示する労働につかせる義務を負わせる。9月~12月で18万6千人がドイツに派遣。
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9月5日
・北ボルネオ、前田軍司令官、臼井唯一副官を伴いラブアン飛行場開場式出席のため阿野嘱託操縦の九八式直協機(陸上戦闘に直接協力するミニ偵察機)でクチンからラブアン島に向うが、ビンツル北方沖で墜落。3名とも陣没。
陸軍報道班員、作家里村欣三、堺誠一郎はマライ軍報道班からボルネオ守備軍報道班に転属。
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9月6日
・ガダルカナル、第35旅団長川口清健少将、攻撃構想を第17軍司令部へ報告。
ジャングルを迂回し飛行場南方から米軍の背後を奇襲、一挙に飛行場を奪取する計画。

17軍司令部は川口支隊長に宛てて、「現兵力ニテ十分ナリヤ 青葉支隊ノ一部及中央ヨリ送附ノ特殊資材ヲ十六日『タイポ』岬ニ送ル用意アリ」と照会電報を打つ。
6日、川口支隊長は、「現兵力ニテ任務完遂ノ確信アリ 御安心ヲ乞フ 予定ノ如グ十二日攻撃ヲ行フ 十二日ハ月ナク夜襲ニ適ス 攻撃日時ノ遷延ハ最モ不利ナリ」と返電。
海岸道を西進してイル川の敵陣地を東から渡河攻撃するのは、一木支隊同様の打撃を蒙ると判断し、ジャングル迂回・夜襲という作戦を立てるが、ジャングル迂回がどれほどの難事業かの認識がない
まず、12日夜襲の計画を13日に延期(降雨で川は氾濫、泥濘で前進ままならず、弾薬糧秣の集積が難渋)と連絡。

7日午後1時、川口支隊長は各部隊長をテテレ(タイボ岬西約15km)に集合させ、飛行場を主目的とする敵陣地攻撃計画を示達し、各部隊の機動を部署。
行動要領「十日未明ヨリ『コリ』岬(テテレより更に西約7km)附近ヲ基点トシテ南方『ジャングル』内ノ迂回ヲ開始 十三日十二時迄ニ攻撃準備ヲ完了シ十六時攻撃開始 十七時一斉ニ夜襲ヲ行ヒ翌十四日払暁迄ニ全地ヲ蹂躙ス」るというもの。
①右翼隊は熊大隊(一木支隊残部)。
②中央隊:右第1線攻撃部隊 歩124の第3大隊、左第1線攻撃部隊 歩124の第1大隊、第2線攻撃部隊 青葉大隊(歩4)。
③左翼隊 歩124の第2大隊(舟艇機動部隊)、
④砲兵隊 熊連隊砲中隊、熊速射砲中隊、独立速射砲中隊、歩兵1中隊(機関統1小隊属)。

この日(7日)、第17軍が1日繰上げ攻撃を要望する大本営の意見を伝えると、これを了承。
8日午前4時、出発開始の1日繰上げを下達。
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9月7日
・麹町の宝亭での六日会、陸軍報道部平櫛少佐、細川嘉六「世界史の動向と日本」(『改造』8、9月号)糾弾
谷萩陸軍報道部長も同主旨の意見を「日本読書新聞」に執筆。
14日、細川検挙。引続き、「改造」編集長大森直道・編集者相川博、退社。編集スタッフ全員入れ替え。「改造」は迎合雑誌へ転落

「自分はなんの気なしに、寝ころんだままこの論文を読みはじめ、途中思わず卒然として起き上った。筆者の述べんとするところは、わが南方民族政策においてソ連に学べということに尽きる。南方現地において、日本民族が原住民と平等の立場で提携せよというのは民族自決主義であり、敗戦主義である。しかもその方式としてほソ連の共産主義民族政策をそのまま当てはめようとするもの以外のなにものでもない。かくてこの論文は日本の指導的立場を全面的に否定する反戦主義の鼓吹であり、戦時下巧妙なる共産主義の煽動である。一読驚嘆した自分は、早速このことを谷萩報道部長に報告すると同時に、専門家にも論文を審議させたところ、自分と全く同じ緒論をえた。」。
平櫛はこう言って、出席する「改造」編集長大森直道・編集局長佐藤績を睨みつけ、「このような論文を掲載する改造社の真意を聞きたい。その返答如何によっては、自分は改造社に対しなんらかの処置を要請する考えである。かような雑誌の継続は即刻取りやめさせる所存である」と声を荒らる。
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