2012年12月31日月曜日

昭和17年(1942)12月31日 「宋詩に世間多事悔長生といふこともあればあまり長いきはしたくなし。是を今年除夜の言となす。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 北の丸公園
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昭和17年(1942)12月31日
十二月卅一日。晴れて風ありしが夜に至りて歇む。鄰家墺國人より芋大根蕪を貰ふ。是日頃余が方より牛肉配給券を贈る返禮なるぺし。肉類は配給せらるゝ事あれど堅くて食ひ難ければ常に鄰家へ贈りゐるなり。昏黒芝口の金兵衛に至る。相磯凌霜子在り。神成道文行堂に南畝長崎よりの尺牘一巻代金百圓ありしと言ふ。電話にて買ひたき趣文行堂へ通知したり。金兵衛のかみさん今夜十一時頃熱海へ行くとておちつかぬ様子なれば夕餉すまして直にかへる。新橋驛附近街燈薄暗く寒風吹きすさみ行人また稀なれば大晦日の夜とも思はれず。銀坐通も同じなるぺし。
余ことし夏の半突然胃痛に苦しみ土州橋病院に入りてより腹具合いまだに宜しからざるに當月より配給米に玉蜀黍を混ずるに至り消化ますますわろし。世の噂に來春より玄米になるとの事なればわが胃腸の消化力果して能くこれに抵抗することを得るや否や。餘命のほども大方豫測することを得るなり。宋詩に世間多事悔長生といふこともあればあまり長いきはしたくなし。是を今年除夜の言となす。
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永井荷風、年が明けて昭和18年は、数え年で65歳。
「あまり長いきはしたくなし」と書いてはおられるが、
実際は、
昭和34年(1959)4月30日まで長寿を保たれる。
満79歳であった。

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