2012年12月7日金曜日

中村勘三郎(五代目勘九郎)さん・・・こんなすごい人はもう現れないかも。(祖父江慎)


■祖父江慎さんツイッター
祖父江慎 ‏@sobsin
おやすみなさい  http://twitpic.com/bjm9su 

20時間 祖父江慎 ‏@sobsin
新しい舞台を見られない人生なんて・・・。中村勘三郎さんは、歌舞伎の歴史上でも、もっとも欠かせない方です。・・・くすん。(2003年、シアターコクーン用『夏祭浪花鑑』のポスター) http://twitpic.com/bjm0ky 

20時間 祖父江慎 ‏@sobsin
2003年、歌舞伎座『野田版 鼠小僧』(作・演出、野田秀樹さんの歌舞伎四百年・特別バージョン)のポスター。(老朽化した歌舞伎座の瓦屋根に登ってスリル満点のアラーキー写真です) http://twitpic.com/bjlwuw 

21時間 祖父江慎 ‏@sobsin
2003年、平成中村座4回目公演『加賀見山再岩藤』/『弁天娘女男白浪』・『本朝廿四孝』・『人情噺文七元結』のポスター2種。(右は歌舞伎座掲示用) http://twitpic.com/bjlu0y 

21時間 祖父江慎 ‏@sobsin
2002年、平成中村座 3回目公演『隅田川続俤 法界坊』+『夏祭浪花鑑』(大阪)銀・蛍光ピンクポスター。(題字も荒木経惟さん) http://twitpic.com/bjlrm5 

21時間 祖父江慎 ‏@sobsin
2001年、平成中村座 2回目公演『義経千本桜』ポスター。写真はやっぱりアラーキー。(撮影のあとで一緒にお酒をのませていただきました) http://twitpic.com/bjlpp4 

21時間 祖父江慎 ‏@sobsin
中村勘三郎(五代目勘九郎)さん・・・こんなすごい人はもう現れないかも。ずっと好きです。(2000年、平成中村座・最初の公演『隅田川続俤 法界坊』の蛍光ピンクポスター。はじめてお仕事させていただきました) http://twitpic.com/bjln3y 





















★12月28日追加

NHKニュース ‏@nhk_news
“君がいてくれたおかげで、本当に楽しかった”“こんなに愛されている人の息子に生まれて幸せです” 伝えたいことばは尽きません。中村勘三郎さんに最後のお別れです。映像を公開しました。 http://nhk.jp/S0PN6r #nhk_news

中村勘三郎さん葬儀に1万2000人
12月27日 16時53分
今月5日に亡くなった歌舞伎俳優、中村勘三郎さんの葬儀が27日、東京の築地本願寺で営まれ、芸能関係者やファンなど合わせて1万2000人が別れを惜しみました。

中村勘三郎さんは、古典と新作の両方を巧みに演じて歌舞伎の魅力を多くの人に伝えたほか、テレビや映画でも活躍しましたが、今月5日、急性呼吸窮迫症候群のため57歳で亡くなりました。

27日の葬儀は、昭和63年に亡くなった父親で人間国宝の「十七代目勘三郎」の葬儀と同じ東京・中央区の築地本願寺で営まれました。

祭壇には、平成17年に「勘三郎の襲名を祝う会」で撮影された笑顔の勘三郎さんの遺影が、およそ2万本の花に囲まれて飾られました。

式では、はじめに生前の勘三郎さんの舞台や、家族との旅行のプライベート映像などが会場に流され、多くの参列者が涙を拭いながら見ていました。

続いて、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんや劇作家の野田秀樹さんら親交の深かった6人が弔辞を述べました。

このうち、藤十郎さんは「あなたが新しい歌舞伎座に立ち、歌舞伎界を引っ張っていくと信じて疑わなかったので、その舞台姿をもう一度見られないと思うと残念でなりません。草葉の陰でいつまでも歌舞伎界を見守ってください」と遺影に向かって語りかけました。

このあと、喪主で長男の勘九郎さんがあいさつに立ち、「けさ、家を出ると沿道に町の人が並び手を合わせてくれるなど、父は本当に愛されている人だと思いました。こんな父の息子に生まれて幸せですし、その血が自分に流れていると思うだけで力が出ます。これからは父が愛した厳しい歌舞伎の道をしっかり前を見て進みたいです」と述べました。

葬儀のあと、一般の参列者の焼香も行われ、芸能関係者やファンなど合わせて1万2000人が別れを惜しんでいました。

坂東三津五郎さんや大竹しのぶさんが弔辞
同世代の歌舞伎俳優で親友の坂東三津五郎さんは、弔辞で、「小さいころから仲よくしてもらいましたが、いつも君は僕の前を歩き、僕は遅れまいと必死に走り続けてきました。だから今の僕があるのは君のおかげで、心から感謝しています」と述べました。

そのうえで、「本当に寂しいですが、僕のつらさよりもっとつらい思いで病と闘い、苦しかったろう、つらかったろうと思います。それが少しでも楽になったのならば、それだけが救いです。僕がそっちにいったらまた一緒に踊ってください。そのときのために稽古をしておきます。きょうまで本当にありがとうございました」と涙をこらえながら話していました。

弔辞を述べた6人のうち、勘三郎さんと舞台で共演したことがあり、私生活でも親交が深かった女優の大竹しのぶさんは「今でも亡くなった事実を受け入れられない日々を過ごしています。『冗談じゃないよ、全く』と世界一チャーミングな笑顔で現れてくれたほうが現実味があります」と語りました。

そのうえで、「今なぜこの別れをしないといけないのか、当分答えを見つけられないと思いますが、あなたの魂を受け継いだ勘九郎、七之助、七緒八くんがいます。その答えを彼らが出してくれる日まで、私たちは頑張っていきます。今もこれからも大好きです。ありがとう、またね」と涙ながらに話していました。

歌舞伎座にも最後の別れ
勘三郎さんの遺族は午前10時10分ごろ、来年4月に開場する予定の東京・銀座にある歌舞伎座を訪れました。

歌舞伎座は、老朽化により建て替え工事が進められていて、27日は、現場の工事関係者や舞台スタッフなどおよそ150人が出迎えました。

遺族は、足場などが組まれたロビーや完成が近くなった舞台を、勘三郎さんの遺骨と共に客席の後方から眺めたということです。

勘三郎さんは、3歳のときに歌舞伎座で初舞台を踏みました。

おととし4月、古い歌舞伎座で行われた最終日の舞台でも、2人の息子と共に歌舞伎舞踊の「連獅子」を披露し観客を沸かせるなど、思い出深い場所です。

入院中も、新しい歌舞伎座でのこけら落とし公演に出演しようと病気と闘っていました。

27日は、歌舞伎座の周りにおよそ200人のファンが集まり、在りし日の勘三郎さんをしのんでいました。

駆けつけたファンは「日本一」とか「ありがとう」などと声をかけていました。

[関連ニュース]
・ 中村勘三郎さん追悼 シネマ歌舞伎 (12月27日 4時19分)
[関連リンク] ◇  歌舞伎界に新風 勘三郎さんの足跡 WEB特集 (12月6日) ◇  追悼・中村勘三郎さん特集 NHKオンデマンド (12月5日)


大竹しのぶ 涙の弔辞「小さな白い箱を蹴破ってくれる方が現実味ある」
スポニチアネックス 12月27日(木)14時21分配信

 急性呼吸窮迫症候群のため5日に57歳で亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さんの葬儀・告別式が27日、東京都中央区の築地本願寺で営まれ、77年の舞台共演から親交があり、最期をみとった女優の大竹しのぶ(55)が弔辞を読んだ。

 大竹は「哲明(のりあき=勘三郎さんの本名)さん、あなたがいなくなってから3週間と少しが過ぎました。私たちはまだその事実を受け入れることができず、ただただ途方に暮れた日々を過ごしています」と語り始め、「そんな小さな白い箱を蹴破って“冗談じゃないよ、全く”…そんなことを言いながら、あの世界一チャーミングな笑顔で私たちの前に現れてくれる。その方がずっと現実味があるのです」とポッカリ穴があいた心のうちを明かした。

 大竹は今年7月、食道がんの手術後2日目の勘三郎さんを見舞った。勘三郎さんは痛み止めを打ち、点滴を引きずりながらICU(集中治療室)の廊下を歩く姿を大竹に見せた。

 「まるで花道を歩いているあなたに向けるように大きく熱い拍手を送りましたね。褒められることが大好きなあなたはうれしそうに、ちょっと恥ずかしそうに笑い“大竹しのぶに拍手もらちゃったよ”と」

 以後、4カ月に及ぶ闘病生活が始まった。大竹は「あんなにたくさんの人を幸せにして、あんなにたくさんの人に愛されてきたあなたが、なぜこんな目に遭わなければならないのか。どうしても理解できない苦しい4カ月でした」と振り返った。

 それでも、病気と懸命に闘った勘三郎さんの姿に、主治医も「こんなにすごい人はいません。僕たちが教えられます。だから、この人のために何とかしたいと思うのです。本当に何とかしたいと思うのです」と涙を浮かべたこともあったといい、「やんごとなき精神力を持つ恐るべし中村勘三郎」と呼んだという。病室でも、思うように体が動かせなくても表情と手首だけで見得を切り、看護婦から拍手をもらった。

 「あなたと今なぜ、このお別れをしなければならないのか、当分、私たちは答えを見つけることができないと思います」。今年6月、東京・渋谷で行われたコクーン歌舞伎「天日坊」を見た時、勘三郎さんは「あいつら(勘九郎、七之助)よかったでしょ。まだまだだけど。オレのスピリッツは引き継いでくれたかな」と口にしたという。「そう、あなたの魂を引き継いだ勘九郎がいます。七之助がいます。その答えを彼らが出してくれる日まで、私たちは頑張っていきます」

 最後は涙声で「のりさん、大好きですよ。今も、これからも。ありがとう。またね」と別れを告げた。

【関連記事】
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 野田秀樹氏「安らかなんかに眠ってくれるな。化けて出てきてくれ」
  スポニチアネックス 12月27日(木)15時28分配信
 急性呼吸窮迫症候群のため5日に57歳で亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さんの葬儀・告別式が27日、東京都中央区の築地本願寺で営まれ、同い年で30年来の付き合いがあり、最期をみとった劇作家の野田秀樹氏(57)が弔辞を読んだ。

 野田氏は「残された僕たちはこれから長い時間をかけて君の死を、中村勘三郎の死を超えていかなくてはいけない。いつだってそうだ。生き残った者は死者を超えていく。そのことで生き続ける。分かってはいる。けれども、今の僕にそれができるだろうか。君の死は僕を子どもに戻してしまう」と涙をこらえた。

 野田氏は2001年、勘三郎さんと組んで東京・歌舞伎座で上演された「野田版 研辰の討たれ」で初めて歌舞伎の脚本に挑んだ。

 初日の本番直前の楽屋。2人は急に不安になり、ともに半分、涙目になった。勘三郎さんは「戦場に行く気持ちだよ」とステージへ。公演は見事、成功。2人は抱き合い、勘三郎さんは「戦友って、こんな気分だろうな」と言った。

 「そうだった。僕らは戦友だった。いつも何かに向かって戦って、だからこそ心が折れそうな時、大丈夫だと励まし合ってきた。どれだけ君が演じる姿が僕の心の支えになっただろう。それは僕だけではない。すべての君の周りにいる人々がどれだけ君のみなぎるパワーに、君の屈託のない明るさに助けられただろう」

 そして、役者・勘三郎さんを評した。「君の中には古き良きものと、挑むべき新しいものとが同居していた。君は型破りをする以前の古典の型をいうものを心得ていたし、歌舞伎を心底愛し、行く末を案じていた。人は簡単に君を天才と呼ぶけれど、いつも楽屋で本から雑誌、資料を読み込んで、ありとあらゆる劇場に足を運び、吸収できるものはどこからでも吸収し、そうやってつくり上げてきた天才だった。だから君の中には芝居の真髄がぎっしりと詰まっていた。それが君の死とともにすべて跡形もなく消え去る。それが悔しい。君のようなものは残るだろうが、それは君ではない。誰も君のようには二度とやれない」と無念さを表した。

 さらに「君はせっかちだった」とエレベーターが降りてくるのを待てず、ドアをこじ開けようとした姿を目撃したエピソードを披露。「勘三郎、そんなことをしてもエレベーターは開かないんだよ。待ち切れずエレベーターをこじ開けるように、君はこの世を去ってゆく。安らかになんか眠ってほしくない。まだ、この世をウロウロしていてくれ。化けて出てきてくれ。そして、オレを驚かせてくれ。君の死はそんな理不尽な願いを抱かせる」と声を震わせた。

 「野田版 研辰の討たれ」の最後の場面。勘三郎さん演じる主人公は「生きてえなぁ、生きてえなぁ」と言って死んでいった。「けれども、それは虚構の死だ。作家はいつも虚構の死をもてあそぶ。だから死を真正面から見つめなくてはいけない。だが、今はまだ君の死を君の不在を真正面から見ることなどできない。子どもに戻ってしまった作家など作家として失格だ。でも、それでいい。僕は君とともに暮らした作家である前に、親友だ、盟友だ、戦友だ。戦友にあきらめなどつくはずがない。どうかどうか安らかなんかに眠ってくれるな。この世のどこかをまだウロウロしていてくれ」と約7分間にも及び“戦友”への言葉を紡ぎ、結んだ。



中沢けい ‏@kei_nakazawa
@sazamaru 歌舞伎座の裏の路地に小さな小料理屋さんがあったのですけど、あのお店はもうなくなっちゃったのかな。お二階の座敷から歌舞伎座のお風呂が見えました。歌舞伎座は高層ビルになるので雰囲気は変わるかもしれません。

12月27日 中沢けい ‏@kei_nakazawa
築地本願寺からの帰りに歌舞伎座の前を通った。想像していたよりもずっと元の歌舞伎座に近い感じの建物が半分、姿を現し始めていた。

12月27日 中沢けい ‏@kei_nakazawa
1度だけ勘三郎さんに触ったことがある。なんの芝居だったか?歌舞伎座2階席の最前列中央で舞台を見ていた時、ふっと生暖かいものに触れたので「なんだろう?」と見ると勘三郎さんが「し~」のポーズ。2階から姿を現すという趣向でした。よくあんなに気配を消せるものだと感嘆。

12月27日 中沢けい ‏@kei_nakazawa
中村勘三郎丈のお葬式。となりは茨城から来たというご婦人。お焼香を済ませたら、勘九郎さん七之助さんが立って挨拶をしていたのに、びっくり。12000人のひとりひとりに会釈するって、たいへん。

12月27日 中沢けい ‏@kei_nakazawa
@yoshi4201 本願寺の周りをぞろぞろぐるぐる。

12月27日 中沢けい ‏@kei_nakazawa
ただいま。築地本願寺で勘三郎さんのお葬式。3時間並んでお焼香してきました。空は「これぞ関東の冬の空」という雲一つない青空でした。並んでいるうちに日が暮れました。


1月3日
Yumiko Yamaguchi ‏@clione
「型を身につけてこその型破り」勘三郎さんの座右の銘のこの言葉は、無着先生の「こども電話相談室」で聴いた言葉だったとのこと。



2013/02/16「朝日新聞」


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