2013年1月28日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(57) 「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その6)

北の丸公園 2013-01-28
*
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(57) 
「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その6)

企業の後援を受けた拷問
 こうした労働組合への攻撃は、しばしばその職場の所有者との緊密な協力のもとで行なわれ、近年起こされた訴訟によって、外国の多国籍企業の国内子会社が直接関与した事例の詳細にわたる記録が明らかになっている。

アルゼンチン
 クーデター前、アルゼンチンでは何年にもわたって外国企業が左翼武装勢力に経済的にも人的にも被害を受ける状況があった。
一九七二年から七六年の間に、自動車会社フィアットでは五人の重役が暗殺された。
こうした企業の命運は軍事政権が成立し、シカゴ学派の経済政策が採用されたことによって劇的に変化した。
軍政のもとでは、大量の輸入製品を国内市場に放出し、賃金を低く抑え、都合のいいときに労働者を解雇し、上がった利益はなんの規制も受けずに本国に送金することができた。

 いくつかの多国籍企業は露骨なまでに謝意を表した。
アルゼンチンの軍事政権成立後初めての新年、フォード・モーター社は新聞に同政権と自社との結びつきを強調する祝賀広告を出した。

「一九七六年、アルゼンチンはふたたび自らの道を見出しました。一九七七年がアルゼンチンの善意あるすべての人にとって信念と希望あふれる年となりますよう。フォード・モーター・アルゼンチンは社員一丸となって、祖国の大いなる運命を実現するための戦いに身を捧げる所存です」。

ブラジル:OBAN運営の経済的基礎
 外国企業のなかには、単に軍事政権の仕事ぶりに感謝するだけでなく、恐怖作戦に積極的に参加するものもあった。
ブラジルではいくつかの多国籍企業が結託して資金を出し、自前の拷問集団を組織した。
一九六九年半ば、同国の軍事政権がもっとも残忍な時期に突入するなか、「バンデイランテス行動隊(OBAN)」と呼ばれる超法規的治安部隊が結成された。
『ブラジル ー 二度とくり返すな(ヌンカマイス)』によれば、軍将校で構成されたOBANは「フォードやゼネラル・モーターズなどさまざまな多国籍企業の出資によって」運営され、正規の軍・警察組織とは別組織であるため「尋問の方法を好きなように選ぶことができ、処罰の対象にもならなかった」という。
OBANはすぐさま他に類を見ない残虐さで知られるようになる。

アルゼンチン:緑のフォードファルコン
 だが、フォードの国内子会社と恐怖装置との関係がもっとも明白だったのは、アルゼンチンだった。
同社は軍に乗用車を供給しており、緑のフォードファルコンを使って何千人もの人が誘拐され、行方不明になった。
アルゼンチンの心理学者であり劇作家のエドゥアルド・パブロフスキーはこの車のことを「恐怖のシンボルであり、死の車」だったと表現している。

軍の野営地の様相を呈したフォード工場、労働者の拘留・拷問
 フォード社が軍事政権に車を供給する一方、軍事政権の側も独自のサービスを提供した。
厄介者の組合員を工場から駆逐したのだ。
クーデター前、同社は労働者の要求に従ってかなりの妥協(昼休みを二〇分から一時間にする、車一台販売するごとに売り上げの一%を社会福祉プログラムに寄付するなど)を強いられていた。
だがクーデターによって反革命、すなわち弾圧が開始すると同時に、すべては様変わりした。
ブエノスアイレス郊外のフォードの工場は戦車をはじめとする軍用車両であふれ、頭上ではヘリコプターが旋回し、さながら軍の野営地のような様相を呈した。
労働者の証言によれば、「工場には一〇〇人の部隊が常駐していたという。
「まるでフォードで戦争が起きたみたいだった。しかも僕たち労働者が敵とみなされていた」と組合代表の一人だったペドロ・トロイア二は言う。

 兵士たちは工場中を歩き回り、現場主任の助けを得ながら、もっとも活動的な組合員を次々と捕らえて頭巾をかぶせた。
トロイアニも組み立てラインから連れ去られた一人だった。
「僕を拘留する前、彼らは僕を引っ張って工場中を回った。皆の見ている前で、さらし者にするように。そうやって、フォードは工場から組合主義を排除しようとしたんだ」。
何より驚くべきだったのは、その次に起きたことだった。
トロイアニらによれば、兵士たちは彼らを工場の敷地内に設置された拘留所に連れて行った。
自分たちの職場の中の、ほんの数日前まで会社側と契約の交渉を行なっていた場所で、労働者たちは殴る蹴るの暴行を受けた。
電気ショックを与えられたケースも二件あった。
その後、彼らは外部の拘置所に連れて行かれ、何週間、場合によっては何ヵ月にもわたって拷問を受けた。
労働者の弁護士らによれば、この時期にフォード社の組合代表が少なくとも二五人連れ去られ、その半数が会社の敷地内にある施設に拘留された。
アルゼンチンの人権団体はこの施設をかつての秘密拘留施設の公式リストに含めるよう、働きかけを行なっている。

 二〇〇二年、連邦検察はトロイアニほか一四人の労働者の代理人としてフォード・アルゼンチン社を刑事告発し、社有地で行なわれた弾圧の法的責任は同社にあると主張した。
「フォード(・アルゼンチン)と役員たちが共謀して自分の会社の労働者を連行したのだから、彼らがその責任を問われるべきだと思う」と、トロイアニは言う。
メルセデス・ベンツ(ダイムラー・クライスラーの子会社)も、一九七〇年代に軍と協力して工場から組合指導者を追放した容疑で同様の捜査を受けている。
同社は軍に六人の労働者の名前と住所を渡したとされ、これらの労働者はその後行方不明となり、一四人は二度と帰ってこなかった。

 ラテンアメリカ史学者のカレン・ロバートによれば、軍事政権が終わるまでに「メルセデス・ベンツ、クライスラー、フィアット・コンコードなどの(中略)この国の大工場からは、事実上すべての労働者代表が姿を消していた」という。
フォードとメルセデス・ベンツはともに、自社の幹部がいかなる形であれ弾圧に関与したことはないと否定しており、裁判は今も係争中だ。
*
*


0 件のコメント: