2013年1月27日日曜日

学校教育が育てているのは産業戦士やグローバル企業の使い捨て人材ではない。これらの干渉には「ノー」と言おう。(内田樹)

佐賀新聞
「使い捨て人材育成にノーを」 内田氏講演

 ■内田樹(たつる)・神戸女学院大名誉教授 基調講演要旨(佐賀市の教育研究全国集会において)

 学校教育を考える上で、社会システムの変容は無視できない。国民国家システムが解体過程にある一方、グローバル資本主義が地球表面を覆っている。両者の摩擦が、学校教育にも影響を与えている。

 学校教育は国民国家の中で営まれ、国富を増やすことを目指してきた。これに対し、グローバル資本主義は「無国籍企業」といわれるように、いかに企業の収益を増やすかということが最大の目的で、特定の国家を利することはしない。私財は増やすが、国富を増やすことには関心がない。生産拠点を日本に限定する必要もない。

 グローバル資本主義は、時間のスパンが短い。ヒット商品を連発したアップル社が10年後にも存在しているかどうか、誰も言えない。企業は5~10年ぐらいの短いスパンで人材を求める。逆に学校教育は長い時間を見据える。ここに根本的な違いがある。

 学力の低い大学生が多く、質保証のため大学の数を減らした方がいいという議論が起こっている。大学を減らせば、確かに大学生の平均学力は上がるだろう。しかし、18歳の平均学力は間違いなく下がる。この問題は見方を変えると、企業は低学歴、低学力の労働者を欲しがっているということ。「国際競争力を高める」という主張のもと、人件費削減は社会的な合意事項になりつつある。

 企業がやっているのは個々人の自尊感情を崩壊させること。大量採用、大量離職の背景には、育てるのではなく、ふるいにかける企業姿勢がある。簡単には解雇はできないため、自己啓発、研修、能力開発など「指導」のもと、自己評価を下げさせる。そして自己都合退職に追いやる。

 学校現場にも、文部科学省を通じて、「日本のことは知らないよ」というスタンスで経済活動している大企業の要求がどんどん来ている。「社会が要求するならそれに合わせようか」と思ってしまうのが教師の悲しい“さが”。しかし、学校教育が育てているのは産業戦士やグローバル企業の使い捨て人材ではない。これらの干渉には「ノー」と言おう。学校教育は、何十年も続く人生の中で生きる知恵と力を育むこと。短期的な企業の雇用戦略に軽々に応じる必要はない。

 人間の基本的な振る舞いである「学び」は、その時々の経済や政治状況で変わるべきものではない。先人から受け取った贈り物としての「知恵」を後人に伝えるという、教える人の「エートス」はこれからも変わらないはずだ。

2013年01月27日更新



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内田樹 ‏@levinassien
根本の問題は「数値主義」「成果主義」「勝利(金儲け)第一主義」のために人間はどれほど使い捨てにしても構わない。長く使い伸ばしてゆくべき心身の資源を「この四半期」程度の短期間に「先食い」して「結果」を出して、あとは野となれでよいとしているイデオロギーそのものだと思います。


内田樹 ‏@levinassien
このイデオロギーを僕は「グローバル資本主義」と呼んでいます。子どもたちをそこから利益をもぎとる収奪の対象ではなく、こちらが身銭を切ってその成熟を支援する対象とするためには、「国民国家」という共同体幻想にもうしばらく生き延びてもらうしかないというのが僕の立場です。



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