2013年4月6日土曜日

忌野清志郎『瀕死の双六問屋』を読む(その8終) 「日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ」

武道館ポスター
*
没原稿その二 日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ

 地震の後には戦争がやってくる。
軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。
国民をバカにして戦争にかり立てる。
自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
阪神大震災から5年。
俺は大阪の水浸しになった部屋で目が覚めた。
TVをつけると5カ所ほどから火の手がのぼっていた。
「これはすぐに消えるだろう」と思ってまた眠った。
6時間後に目が覚めると神戸の街は火の海と化していた。
この国は何をやってるんだ。
復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。
これが日本だ。私の国だ。
とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄(*注)ですと言って返り咲いた政治家。
弟はドラムを叩くシーンで僕はロックン・ロールじゃありませんと自白している。
政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後もどりできやしない。
そのうち、リズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。
政治家はみんな防衛庁が大好きらしい。
人を助けるとか政界を平和にするとか言って実は軍隊を動かして世界を征服したい。

 俺はまるで共産党員みたいだな。
普通にロックをやってきただけなんだけど。
そうだよ、売れない音楽をずっとやってきたんだ。
何を学ほうと思ったわけじゃない。
好きな音楽をやっているだけだ。
それを何かに利用しようなんて思わない。
せこい奴らとはちがう。
民衆をだまして、民衆を利用していったい何になりたいんだ。
予算はどーなってるんだ。
予算をどう使うかっていうのはいったい誰が決めてるんだ。
10万円のために人を殺す奴もいれば、10兆円とか100兆円とかを動かしてる奴もいるんだ。
いったいこの国は何なんだ。
俺が生まれて育ったこの国のことだ。
君が生まれて育ったこの国のことだよ。
どーだろう、・・・この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 
戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。
俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。
戦争はやめよう。
平和に生きよう。そ
してみんな平等に暮らそう。
きっと幸せになれるよ。

(*注)映画スターの兄
1995年、石原慎太郎は、突如として衆議院議員(当時)を辞職したが、99年、これまた突如として東京都知事選に立候補、当選。立候補表明の記者会見の第一声は、「どうも、石原裕次郎の兄です」というものだった。「弟のドラム」は、裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」(1957年日活)の中の有名なシーン。

没原稿その三 忍びの世界

号外     眠れなかった男

絵画開眼四

瀕死の双六問屋インスタント写真館

解説        町田康

あとがき      忌野清志郎 2000年8月吉日

文庫版あとがき   忌野清志郎 2007年7月
2006年7月に、喉の不調を感じ新宿の大きな病院に行くと、喉頭ガンと診断された。
手術をしガンを摘出、声は失われると宣告された。
セーテンのへキレキというやつであった。
ずいぶん大きく出たもんだなと思った。
ガンといえば死の病、重病ではないか、俺は死ぬのかもしれない、そうでなくても、もう歌えないんだと思った。
喉の調子が悪いだけで、体も気持ちもたいしてへタってない、こんなに元気なのに、ガンという病気はなんという恐ろしい病気かと思った。
(略)

 そうして2週間ほどの入院生活が過ぎ、医者の説得をかわし、代替医療(民間療法)へと治療法を変えたのだ。
現代医学におさらばだ。
いろいろな民間療法の先生に俺は「ガンではない」と言われた。
現代医学では、わからない病気は何でもガンにされてしまうのだそうだ。
とてもいい気分だった。
心がかるくなった。
思っていたとおりじゃないか。
俺がガンだったら本当のガンのひとに失礼だと思っていたんだ。
(略)

 『瀕死の双六問屋』の物語は、俺が唯一(絵本以外で)というくらい、まじめに(ゴーストライターやインタビューおこしではなく)自分で書いたものだ。
たいして話題にはならなかったが、とても気にいってる一冊である。
文庫として復活するとはゴキゲンなことだ。俺の再生、完全復活の先駆けのようで、幸先のよい出来事だと思う。

たくさんの、勇気を与えてくれた皆さんに感謝します。

                     忌野清志郎/2007年7月

文庫版解説     角田光代

下は、東京新聞の記事。
東京新聞
筆洗  2013年1月31日

 「地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ」。昔、有名なロック歌手がそう書いていた▼「日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ」という題名でつづったのは、四年前に亡くなった忌野清志郎さん。雑誌で連載していたエッセーをまとめた『瀕死(ひんし)の双六(すごろく)問屋』(小学館文庫)に収録されている▼書かれたのは阪神大震災から五年後。ただ、よく見ると、「没原稿その二」とある。事情があって雑誌には掲載されなかった原稿が、単行本化する際に復活したのだろう▼欧米とは違って政治的発言を控える芸能人が多い中、レコード会社の横やりにも負けず、反核や反原発を訴える曲を発表してきたこの人が健在だったら、福島の原発事故の後、どんな行動をしただろうか、と想像してみる▼衆院の代表質問で安倍晋三首相はきのう、憲法九六条の改正に強い意欲を示した。反発の強い九条は後回しにして、発議の要件を緩める既成事実をつくり、外堀から埋める戦術だ▼「五十年以上もの間、戦争の無かった国は世界でも珍しいのだ。その点だけでも日本はすばらしい国ではないか」とも清志郎さんは書いていた。それを誇りに思えない人たちが、残念ながら増えているらしい。

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清志郎の反原発ソング 「素晴しすぎて発売出来ません」(1988年6月22日)

「まず、総理から前線へ。」 「とにかく死ぬのヤだもんね。」

「日本は強力な軍事国家、技術国家になるべきだ。・・・経済を蘇生させるには防衛産業が一番いい。」(石原慎太郎)

忌野清志郎『瀕死の双六問屋』。「地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めている。」




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