2013年5月14日火曜日

「なぜ九六条を変えてはいけないのか」(伊藤真、『世界』6月号) (その2)

「なぜ九六条を変えてはいけないのか」(伊藤真、『世界』6月号) (その2)


(その1)より
4 自民党草案における改正手続要件の問題点

 自民党草案における手続要件の最大の特徴は、国会での発議要件の緩和である。
(現行憲法の2/3から、通常の法律案と同じ過半数に緩和)

 緩和する趣旨は、
①現行憲法の改正手続きが「世界的に見ても、改正しにくい憲法となってい」ること、
②「国民に提案される前の国会での手続きを余りに厳格にするのは、国民が憲法について意思を表明する機会が狭められることになり、かえって主権者である国民の意思を反映しないことになってしまう」こと、
等が挙げられている(「日本国憲法改正草案Q&A」34貢。以下「Q&A」と略)。

■改正手続要件緩和の問題点

(1) 憲法改正が行われなかったのは、発議要件が厳格なためではない

 現行憲法が一度も改正されなかった原因を、発議要件の厳格さに求めることは正しくない。

 日本以上に改正手続きが厳格な国でも、改正はたびたび行われている。

①アメリカ合衆国憲法は6回の修正(改正)
 日本以上に手続きが厳格(発議要件はほぼ同じ。承認手続きである「州議会の四分の三」の賛成は、国民投票の過半数よりも厳格)。
②スペインでは2回の改正
③ドイツでは12回の改正

 民意がまとまれば、2/3という要件は不可能な数字ではない。
憲法改正が行われたかどうかは、改正手続きの厳格さによるのではなく、政治的・社会的変化によって改正の要求が生じたかどうかによるところが大きい。
日本の場合でも、国民が改正を望んでいないから改正が行われていないのであり、改正手続きの厳格性とは関係がない。

 国民が憲法についての意思を表明する第一次的機会は国政選挙であり、今日まで国会の発議がなされていないことは、そこに改正不要との明確な国民意思が示されているのである。

 他国に比べて日本の手続きは硬性度が高いから、外国をまねて日本の憲法も緩やかにすべきだというのは根拠のない立論である。

(2) 改正手続要件を緩和する真の意図は憲法9条改正のための下準備にある

 手続先行論の狙いは、まず改正手続要件を緩和することによって現行憲法を改変しやすくし、次いで立憲主義や平和主義にかかわる重要条項を変えていくところにある。

 正面から自民党草案にある内容で、現行の厳格な改正手続きに則して改正しようとすれば、各方面から議論が噴出し、様々な抵抗を受けるだろう。
 手続先行論は、本来ならばなされるべきそのような議論を封じ、正規の手続きを潜脱する意図に出るものである。
 それは、一見、手続きの改変のように見えて、実は立憲主義、平和主義を改変する隠れ蓑とみなければならない。

 このような緩和論には一層反対していかなければならない。

(3) 改正手続要件の緩和は直接民主制の弊害を助長する危険がある

 現行憲法の改正手続き要件は、間接民主制と直接民主制を相互補完して、少数派の人権を守ることを目指している。
 発議要件緩和は、直接民主制の弊害を助長し、憲法の趣旨を没却させることになる。

 間接民主制によって現れる国会の意思と、国民投票という直接民主制によって現れる国民の意思とは、理論上も実際上も、必ずしも同じでありえない。
 両者は、どちらか一つを択ペば足りるという関係に立つものではなく、それぞれ特別の存在意義をもつものである。

 間接民主制は、慎重な審議の上で専門的で合理的な判断ができるメリットがある反面、主権者の意思が反映されないおそれもある。
 直接民主制は、憲法制定権力の主体である国民の意思を直接反映することができる反面、プレピシットの危険がある。

 プレビシットとは、人民投票が人民意思の名による権力の正当化として機能する場合をいう。
フランスでは同じ人民投票でも、付託された案件そのものについての賛否の意思表示として機能する場合はレファレンダムと呼ぶのに対し、提案者に対する信任を与えることによってその権力を正当化する意味合いが著しい場合をプレビシットと呼んで区別している。
 直接民主制の弊害である。

 憲法改正を狙う政権与党が、ある種の政治的ムードのもとに国民投票を行い、自己の意に沿う改正を正当化してしまうおそれがある

 そして仮に国会の発議が過半数で行われるならば、結局、国会の多数派が、少数派の人権を弾庄する改正をも比較的容易に実現してしまう危険がある。

 現行憲法が発議要件を過半数ではなく2/3としたのは、少数派の人権を守るという立憲主義思想の端的な現れである。
 国会の過半数を獲得した政権与党だけの提案によるのではなく、野党である他党も賛同できるような合理的な内容に落ち着くまで十分な審議討論を重ねて、合意を得た上で国民に提案することを憲法は予定している。

 国会議員の2/3の賛成という発議要件には、こうした重要な理由がある。
 それを過半数に緩和してこの趣旨を没却するような改憲は許されない。

(4) 改正手続要件の綬和は立憲主義の趣旨を没却する

 国会議員による発議要件緩和は、立憲主義思想の否定である。
 憲法によって縛られた当事者が、「やりたいこと」ができないから改正のルールを緩めるなどということは本末転倒である。

 憲法改正権は憲法制定権力をもつ国民のみにある。
 権力の行使方法を指示・命令する側が求めてもいないのに、指示・命令を受けて制限される側が、その内容を自由に変えられるというのでは、指示・命令は全く無意味なものになってしまう。

 憲法が、国会に憲法改正の発議権を与えたのは、国会が「国民代表機関」だからである。
 あくまで憲法改正権は、憲法制定権力をもつ国民に帰属しているのであり、国会が憲法改正を主導できるということではない。
 国会議員たちが「ここは自分たちにとって都合が悪いから変えたい」といって改憲発議をするのは筋が通らない

 まして、政権担当者として統治権の中枢をになう内閣が憲法改正を主導するなどということは、絶対に避けなければならない。
 憲法について国民に議論してもらう機会を国会や内閣が提供するという発想自体、憲法制定権力の主体を誤解しているのではないか。

 改正手続要件緩和の本丸は9条改正である。
国防軍なり軍隊を持ちたいのであるならば、国民が納得する改正案を示し、衆参で2/3を占めるほどの支持を国民から得たうえで改正をすればよい。

 現行憲法の改正手続が、自民党が言うように「世界的に見ても、改正しにくい」というのであれば、同様に、改正手続要件を緩和するための憲法改正がなされた例が世界的にどれだけあるのかをまず示して欲しい。

 ものの弾みのような過半数で、国の制度の根幹を変えてはならない。

(5) 改正手続要件の緩和は憲法の安定性を阻害する

 発議要件を過半数に緩和することは、わが国の政治の実情に照らしても危険である。

 改正手続要件を緩和する際に考慮しなければならないことは、憲法の安定性、すなわち憲法保障の機能が失われないようにすることである。
 改正のための発議に2/3の多数を求めれば、その改憲案が与党と主要な野党の合意に支えられ、公布された改正憲法は政権交代後も安定して施行されていくことになる。

 逆に、過半数で発議できることになると、このような合意の構造は担保できなくなる。

 政党間の政治的対立がそれほど際立っていない二大政党制が根付いた国ならば別だが、わが国では憲法の基本原理を含めて、政党間には(場合によっては政党内にも)、埋めることが困難な対立関係がある。そのため、審議・討論と妥協が十分に行われにくく、法案審議においても強行採決が繰り返されてきた。
 もし強行採決で改憲案が発議され、それが国民投票の過半数で承認されても、反対政党が与党になった次期政権において、同様に強行採決で元の憲法に戻すことが繰り返されるとすれば、憲法の安定性の価値は完全に失われてしまう。

 憲法は最高法規なのであるから、時の政権、政治状況によってふらふらと揺れ動くものであってはならない。
 あくまでも安定的に国家の基本法として機能しなければならない。
 これこそ、憲法が改正手続要件を厳格にしている理由である。
 これを揺るがすような要件緩和には反対である。

(6) 憲法違反の国会は改憲を論じる資格がない

 一人一票の裁判が全国各地で起こされ、違憲判決が相次いでいるが、この動きも無視できない。
 結論から言えば、衆参とも違憲と判断されている今の国会の構成のもとで、憲法改正を論じることはできないと考える。

 今の国会の構成は、衆参とも違憲と判断されている。
 2012年12月の衆議院選小選挙区については、弁護士グループのものだけでも全国で16件の選挙無効訴訟が起こされ、そのすべてにおいて各高裁が違憲判決を言い渡している。
 違憲違法判決14件、違憲状態判決2件、さらにそのうちの2件は選挙無効の宣告さえなされている。

 他方の参議院についても、2012年の最高裁は先の参院選を違憲状態と判断した。

 たしかに、これまでの裁判所は、選挙無効の宣告を避けるために事情判決の法理を援用し、違憲としつつも選挙自体の効力は維持する判断を示してきた。
しかしこれは、違憲の選挙に正当性を認める趣旨ではない。さまざまな事情を考慮して、一種の緊急避難的措置として無効にしないとしているにすぎない。

 「正当に選挙された代表者」(憲法前文)とは青いがたい今の国会議員が、何よりも先になすべきことは、選挙制度の違憲状態を解消し、憲法に則した正当な選挙を速やかに実施することである。 「緊急避難的措置」とはそういう意味である。
 それすらまともな成果をあげていないうちから、改正手続要件の緩和を議論するなど言語道断である。
 それは国の枠組みの根幹にかかわる問題であるのみならず、緊急性も全くないからである。

 憲法改正問題は、憲法違反の選挙で当選した国会議員が扱うべきではない事項の最たるものであり、そのような議員は、憲法改正を議論する適格性を欠くというべきである。

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