2013年5月30日木曜日

オミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(73) 「第8章 危機こそ絶好のチャンス-パッケージ化されるショック療法-」(その1)

江戸城(皇居)二の丸庭園 2013-05-29
*
第8章 危機こそ絶好のチャンス
-パッケージ化されるショック療法-
私の頭を破壊して、大切な資本である記憶を消し、仕事をできなくさせることにどんな意味があるんだ? 治療法としては素晴らしくても、患者という人間は失われてしまったんだ。
- アーネスト・ヘミングウェイ、電気ショック療法について(一九六一年、自殺の約半年前)

ジェフリー・サックスのボリビアでのショック療法の成功
ジェフリー・サックスにとって初めての国際舞台での実験の教訓は、強硬で徹底した適切な手段さえ使えば、ハイパーインフレを鎮静化させることができるというものだった。
彼はインフレ退治のためにボリビアに赴き、それを成功させた。
問題は無事解決した。

ジョン・ウィリアムソンの評価:
シカゴ学派ドクトリンを全世界に広げるキャンペーンに突破口を開くもの
ワシントンでは、有力な右派経済学者で国際通貨基金(IMF)や世界銀行の重要なアドバイザーを務めるジョン・ウィリアムソンが、サックスの実験を注意深く見守っていた。
彼にとってボリビアでの成功は、大きな意味を持っていた。
ショック療法プログラムはシカゴ学派ドクトリンを全世界に広げるキャンペーンに突破口を開くものだった。
また、その理由は経済とは殆ど関係なく、戦略的なものだった。

フリードマン信奉者にとって、ハイパーインフレは解決すべき課題ではなくて絶好のチャンス
ボリビアでのショック療法成功は、危機に関するフリードマン理論の正しさを、見事に証明した。
ボリビアのハイパーインフレは、通常の状況では政治的に実行不可能な政策を強引に実施するための口実にすぎなかった。
ボリビアは強力で戦闘的な労働運動と強固な左翼の伝統で知られ、チェ・ゲバラの最後の戦いの場でもあった国である。
にもかかわらず、この国は制御不能に陥った通貨を安定化するという名のもとに、過酷なショック療法を受け入れることを余儀なくされた。

八〇年代半ば、本格的なハイパーインフレ危機が軍事的戦争に類似した影響を及ぼすことを、数人の経済学者が指摘していた。
恐怖と混乱が拡大し、難民が生まれ、多数の死者が出るという。
ボリビアにおいて、ハイパーインフレがチリにとってのピノチェトの「戦争」やマーガレット・サッチャーにとってのフォークランド紛争と同じ役割を果たしたことはきわめて明白だった。
ハイパーインフレによって、緊急措置を取るためのお膳立てが整った。
言い換えれば、民主主義のルールを一時停止し、ゴニの自宅居間に集結した専門家チームに一時的に全ての経済統制を委ねることのできる「例外的状況」が到来したのだ。
ウィリアムソンのような筋金入りのシカゴ学派のイデオローグにとっては、ハイパーインフレは、サックスが考えたように解決すべき問題ではなく、逃すことのできない絶好のチャンスだった。

ハイパーインフレに突入しつつあるラテンアメリカの国々
八〇年代には、こうした機会はあり余るほどあった。
それどころか発展途上世界、とりわけラテンアメリカの多くの国々はまさにその頃、ハイパーインフレへと突入しつつあった。

原因はアメリカの金融政策にある
危機を引き起こした主な原因は二つあり、ともにその根源はアメリカ政府の金融政策にあった。
第一は、アメリカ政府がこれらの国に対し、独裁政権下で累積した不当な債務を民主化後もそのまま引き継ぐよう主張したこと、
第二は、米連邦準備制度理事会(FRB)がフリードマンの影響を受けて金利を急上昇させたため、こうした債務があっという間に膨れ上がってしまったことである。

引き継がれた忌まわしい債務:
アルゼンチンがその典型例
一九八三年、フォークランド紛争の敗戦によって軍事政権が崩壊し、ラウル・アルフォンシンが新大統領に選出された。
だが民政移管に伴い、アルゼンチンは”債務爆弾”のおかげで爆発寸前の状態に陥っていた。
民政への「尊厳ある移行」の一環として、アメリカ政府は軍政期に累積した債務の支払いを新政権に要求した。
アルゼンチンでは軍事クーデタの一年前に七九億ドルだった対外債務(IMF、世界銀行、アメリカ輸出入銀行、アメリカ国内の民間銀行などに対する)が、民政移管の際には四五〇億ドルにまで膨らんでいた。

ウルグアイでもブラジルでも
この地域の他の国々も状況は似たりよったりだった。
ウルグアイでは軍政期中に対外債務が五〇〇〇万ドルから五億ドルに増えたが、人口わずか三〇〇万人の同国にとってこれは膨大な負担だ。

もっとも極端なのはブラジルで、一九六四年に政権を握った軍部は財政の安定を約束したものの、一九八五年に民政移管するまでに対外債務は三〇億ドルから一〇三〇億ドルにまで膨れ上がった。

「忌まわしい」債務の引継ぎ
民主主義政権への移行期、こうした債務は「忌まわしい」ものであり、国民を弾圧し拷問にかけた政権のツケを民主化された新政権に回すべきではないという議論が、倫理的・法的観点から盛んに行なわれた。
なかでも対外債務の大部分が独裁政権下で軍や警察に回され、銃や放水銃、最新の拷問設備などの購入にあてられた南米南部地域では、そうした主張がとくに強かった。
たとえばチリでは、融資によって軍事費は三倍増となり、チリ軍は一九七三年の四万七〇〇〇人から一九八〇年には八万五〇〇〇人へと拡大した。世銀の推定によれば、アルゼンチンでは、債務のうちおよそ一〇〇億ドルが軍事費にあてられた。

そして腐敗・堕落(「自由詐欺ゾーン」の先駆け)
武器購入に回されなかった資金は消えてなくなった。
軍政支配には腐敗が蔓延し、その後ロシアや中国、占領下のイラクの「自由詐欺ゾーン」(イラクの現状を嘆いた米政府顧問の言葉)などにはびこることになる堕落の先駆けとなった。
二〇〇五年のアメリカ上院報告書によれば、ピノチェトはリッグス銀行(本店ワシントンDC)をはじめとする複数の外国銀行に、家族や自分自身の名前を組み合わせた偽名を名義にした秘密口座を少なくとも一二五保有し、推定で二七〇〇万ドルの不正資金を隠匿していた。 

「二〇世紀最大の詐欺行為」
アルゼンチンでの軍事政権の強欲ぶりはさらにこれを上回る。
一九八四年、同国の経済計画を立案したホセ・アルフレド・マルティネス・デ・オス元経済相が、かつて社長を務めていた会社に対する多額の国家補助金に関連する詐欺容疑で逮捕された(のち不起訴)。
一方、その後世銀が軍事政権への対外融資三五〇億ドルの行方を調査し、全体の四六%にあたる一九〇億ドルが海外に送金されていたことが判明。スイス当局者によって、その大部分が匿名口座に振り込まれていたことが確認された。
FRBによれば、一九八〇年一年間でアルゼンチンの債務は九〇億ドル増人し、同年、アルゼンチン人による海外預金の合計額は六七億ドル増加していた。
シカゴ大学の著名な教授でアルゼンチンの多くのシカゴ・ボーイズの指導にあたったラリー・スジャースタッドは、行方不明になったこれらの資金(彼の教え子たちの鼻先で盗まれた)について、「二〇世紀最大の詐欺行為」だと語っている。

*当時はおそらく「二〇世紀最大」だったと思われるが、その後二〇世紀が終わるまでに、ロシアのシカゴ学派たちによる実験が行なわれることになる。
*
*

0 件のコメント: