2013年5月11日土曜日

「96条改正論 国の信用下げる」(岡崎哲二) 「憲法改正の要件を議会の過半数の賛成に緩和することは、国家の裁量を過度に大きくするリスクがあり、国家のコミットメント能力を低下させる。」


2013-05-10付け「朝日新聞」
96条改正論 国の信用下げる      岡崎哲二(東大教授)
(段落、改行を施した)

 昨年末の総選挙で自由民主党が大勝したことをうけて、憲法改正をめぐる動きがあわただしくなっている。
現在、改正論議の焦点となっているのは、憲法改正の手続きを定めた第96条である。

 96条は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」と定めている。
改正に積極的な安倍晋三首相は、発議要件について、「2分の1に変えるべきだ。国民の5割以上が憲法を変えたいと思っても、国会議員の3分の1超で阻止できるのはおかしい」と述べている。

■英国王朝の教訓

 96条の規定は、憲法改正のハードルを高くし、憲法を安定させるようにデザインされている。
このような法制度は、単に「民意」を軽視するものでしかなく、合理的理由を持たないのだろうか。
この点を考えるために、近代国家の形成期にあたる17世紀のイギリスの歴史を参照することにしたい。

 経済発展における制度の意味に新しい光を当て、1993年にノーベル経済学賞を受賞した経済史研究者のダグラス・ノースは、政治学者のベアリー・ワインガストと、イギリスの名誉革命(1688年)に関する有名な論文を書いている。
中心的な論点は、国家の「コミットメント」能力である。

 名誉革命の前、スチュアート朝の王権は歳入不足に直面し、しばしば市民に貸し付けを実質的に強制する「強制貸付」という事実上の課税を行った。
この手段に頼ったのは、通常の市場取引に基づく貸し付けや国債による資金調達が難しかったことによる。
その理由は、王権に「コミットメント」能力が欠如していたことであった。

 当時、王権は議会や裁判所に優越する、文字通り「絶対的」権力を有していた。
そのような状況下では、王権は、事前に借金の返済を約束しても、約束を破って返済しないインセンティブ(動機付け)を持つ。
経済学で「コミット」するというのは、単に約束をするだけでなく、約束した主体がそれを遵守するインセンティブを持つ状態をつくることを意味する。
王権は絶対的な権力を持つがゆえに、返済にコミットする能力を持っていなかった。

 ノースとワインガストは、名誉革命と、その成果である「権利の章典」、すなわち今日のイギリス憲法(不成文)の構成要素となっている基本的ルールが確立した結果、国家が国民に対してコミットすることが可能になったと論じた。
「権利の章典」は、国王が議会の同意無しに資金調達をすること、平時に常備軍を持つことなどを禁じ、王の権力を制限した。
実際、名誉革命後、市場取引に基づく国の借り入れが活発に行われるようになった。
国民が返済を期待できるようになったからである。

 名著革命の経済的帰結はそれだけではなかった。
私的財産が国家の恣意的な課税等によって奪われる恐れが小さくなったため、人々の経済活動に関するインセンティブが高まり、その結果、株式取引や銀行貸し付け等の民間の経済活動も活発になった。

■憲法で国権制限

 国家は本来、個々の国民に対して圧倒的な権力と強制力を有している。
それを有効に制約する制度がなければ、国家はコミットメント能力を持たず、したがって国家と国民の間の経済取引は成立せず、国民の経済活動に対するインセンティブが低下してしまう。
長い歴史を通じて、この間題を解決する有効な手段として形成された制度が憲法にはかならない。

 大日本帝国憲法(明治憲法)、日本国憲法を含めて、近代国家の憲法は国家の権力を制約し、国民の権利を保障する条項をその本質的な部分として含んでいる。
これらの条項が国家のコミットメントの手段であるとすれば、変更されにくいことに意味がある

 特に今日の日本を含む議院内閣制の国では、政権は通常、議会の多数党によって組織される。
憲法改正の要件を議会の過半数の賛成に緩和することは、国家の裁量を過度に大きくするリスクがあり、国家のコミットメント能力を低下させる。
それは国債の借用低下や、民間経済活動のインセンティブの低下を生み、結局、国家にとってもよい結果をもたらさない。
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