2013年5月25日土曜日

「グローバル化の総仕上げとしての自民党改憲案」(内橋克人X小森陽一、『世界』6月号) (その2) なぜいま、改憲なのか

(その1)より
なぜいま、改憲なのか

内橋 漱石が見たイギリス中間層の崩壊はまさに法則的なもので、アメリカでも日本でも起こった。いまや全地球的規模だ。

小森 しかも急速に。
また、同じ家族の中でも、父母の世代は高度経済成長で中産階級のつもりでいるが、子どもたちには中産階級的生活はあり得ないという、世代間階級差とでもいうべき格差が家族内にも現出している。

 そういう世代間の対立になるように、意識的に90年代後半から歴代政権によって仕掛けられ、そこにはめられていった人々の中で、広い意味での「思考からの逃避」が進行させられ、現実と合理的な形で向き合いたくないという気分が社会的に広範囲に広がっている。

 どう押し返したらいいか、非常に深刻な問題だ。

内橋 いま全国で「九条の会」の広がりは?。

小森 ここ2年ぐらいは7,500前後で推移している。

内橋 大変な数で、地域社会にそれぞれ根ざして活動している。

小森 中学校区ぐらいの単位で「九条の会」が存在している。

内橋 「鎌倉九条の会」の呼びかけ人をした。私は戦後、ぼろぼろの校舎で『あたらしい憲法のはなし』を学んだ世代だが、「九条の会」にもそういう方々が多いのでは。

小森 2004年6月10日に「九条の会」のアピールを発表した記者会見の写真が週刊誌に載った時に、呼びかけ人の「平均年齢七六歳」というキャプションがあった。この呼びかけに呼応した多くが戦争体験者の方たちだった。60年安保世代の方たちまでが、アピールに共鳴してくれた。

内橋 自民党や維新の会の改憲草案では、現行憲法と原理も精神も全く違う、歴史の歯車を逆戻しするような、極めて幼稚で稚拙なものが堂々と出てきた。

 翻訳調だと憲法を糾弾した石原慎太郎自身が手を入れたと言われる維新の改憲案前文、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」 - これが憲法前文にふさわしい文章なんだろうか? 

小森 漱石は文学論で、ある表現技法について、「支離に滅裂し、滅裂に支離する」と言っているが、石原にそのまま当てはまる。

内橋 「九条の会」で多くの方々が学んで意識を高めている中で、なぜいま、稚拙極まる改憲草案が出てくるのか。あるいは、なぜ再び安倍政権なのか。

小森 世代別に問題を整理すると・・・。
 「九条の会」の83歳の方の子どもが63歳ぐらい、その方の子どもが43歳から33歳の間くらい。
 いまの63歳は、団塊の世代からは「おまえら何もわかっていない」と言われた、ポスト団塊の世代。
 その前の世代までは、憲法を守り日米安保条約に反対する、日米安保条約こそが私たちを抑圧しているのだという政治的な合意あるいは常識が共有されていた。大学の中にも民主主義的な討論を通して切磋琢磨する場所としての寮などがあった。

 私たちが大学に入った時に寮の学外への移転と個室化(「新寮攻撃」と言っていた)という解体が始まる。

 私の世代は72年の大学入学で、受験勉強の追い込み中にテレビで連合赤軍のあさま山荘事件を見て、もう誰も学生運動などやらないと心に決める、そんな世代だ。そこまでが60年安保闘争からの一つの大きな転換点だ。
 60年安保での社会党、共産党、その間を総評(労働組合)がつなぐという「社会党・共産党・総評プロック」が革新自治体の母体になっていくが、40代~50代はそういう運動へ参加した経験もなく、信頼も伝授されていない。

 今年になって、地域の「九条の会」で、第二次安倍政権になってあまりにも危機感が強いので初めて息子や娘夫婦と語らった、今日の講演会に来た、ということが起きている。

 一般化できないかもしれないが、ある時期まで「社会党・共産党・総評ブロック」で運動してきた人の家族の中で、運動が理解されたり、引き継がれたり、語られたりすることがなくなった。

 日本住宅公団の「陰謀」かと疑いたくなるが、子ども部屋の個室化など、マンション型の分離個室家屋の中に核家族が押し込められるようになって、炬燵にみんなで入って話をするような文化の喪失を含めて、驚くほどに護憲連動の継承がなされていない

 世代間断絶の問題は大きい

 加藤周一さんは、常に「いま大事なのは老人と若者、学生が連帯することだ」とおっしゃっていた。

内橋 ある時、尊敬している先生に、「これだけみんな、社会のあり方を考え、懸命に取り組んでいる。にもかかわらず、世界に戦争、飢餓、恐慌は絶えません。なぜ繰り返されるのでしょうか」と訊ねたことがあった。
 先生は泰然として、ちょっと悲しそうに、「それは、人間は死ぬからですよ」とおっしゃった。

 戦争で悲惨な経験を嘗めた当事者もいつかは死んでしまう。だからこそ当事者が生きている間に、再び繰り返さないための制度をつくっておくべきなのだ。

 ある意味では、それが日本国憲法だ。だからこそ硬性憲法として、簡単には変えられないように96条ほかの強い縛りを施したわけだ。

 世代間の断絶とか、体験が継承されていないこと、受難者が死んでしまうという人間の宿命のほかに、それをも越えるカが存在していないか。

 いま日本の財界は、経団連はじめ、自民党改憲草案に賛成している。 相応の知識も教養も身につけているはずの人たちが、漱石や河上肇など先人とは全く異次元の旗を掲げて日本経済界を先導している。
 その空気を巧みに操りながら、アベノミクス丸は易々と主流派をからめとってしまった。

 日本が明治以降、近代化を追い求める中でも、しっかりと固定化された社会的装がエンジンとして働いていて、間断なく社会をシフトさせ続けてきたのではないか?

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(敬語、丁寧語を簡略化した)
(その3)につづく

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