2013年6月30日日曜日

脱原発デモ、京でも衰えぬ熱 毎週100人以上が参加(京都新聞)

京都新聞
脱原発デモ、京でも衰えぬ熱 毎週100人以上が参加

 脱原発を求める市民が毎週金曜夕に関西電力京都支店前(京都市下京区)で続けている抗議デモが28日、1年を迎えた。規模は小さいものの、参加者がいなかった週は一度もなく、毎回100人以上が声を上げてきた。参院選を前に、政府は原発再稼働に向けた方針を明確にした。53回目となったこの日は約200人が「福島を忘れるな」と熱い思いを訴えた。

 抗議デモはいつも通り午後5時に始まり、「高浜動かすな」「人類と原発は共存できない」などと連呼。1年の節目に合わせて関電京都支店の周りをデモ行進した。

 抗議デモが始まったのは昨年6月29日。大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働が翌月に迫り、約300人が集まって反対を訴えた。以降は、首相官邸前の抗議行動に連動する形で毎週行い、8月31日には約700人とピークに達した。

 鍼灸(しんきゅう)師寺野哲也さん(41)=下京区=は防護服姿で全ての抗議デモに参加してきた。目立つ服装は、「関電だけでなく、一般の人にアピールする狙いもある」。福島第1原発事故から2年3カ月がたち「関西では他人ごとになりがち。日本や世界全体の問題として考え続けたい」と話す。

 抗議デモは、官邸前デモとは異なり、当初から主催者を設けていないのが特徴だ。NPOや市民団体に所属している人はいるが、あくまで個人として参加している。特定団体の宣伝や看板設置などが確認された場合は、参加者同士の話し合いで撤去してきた。

 参加者の数は徐々に減っているが、官邸前デモがピーク時の10万人規模から数千人に減ったのと比べると、減り方は少ない。

 減少を食い止めようと、さまざまな企画が打ち出されてきた。1月からは毎回、「ふるさと」や脱原発の歌詞を盛り込んだ替え歌を全員で歌うようになった。音頭を取る会社員藤井悦子さん(48)=中京区=は「歌うことで幅広い年代の人に興味を持ってもらえる」と手応えを感じる。抗議デモが終わった後、有志が呼び掛けて飲食する交流会も何度か開かれている。

 抗議デモの参加者たちは「全ての原発が止まるまで続ける」と意気込む。とはいえ、脱原発を求める声は依然として国に届いていない。民主党政権が打ち出した「2030年代に原発稼働ゼロ」は白紙となり、安倍晋三首相は原子力規制委員会が安全と認めた原発は再稼働する方針を明らかにした。

 この1年間、ほとんどの抗議デモに参加してきた長崎市出身のアルバイト荒木晋太郎さん(35)=下京区=は、原爆で祖母が被爆し、母親は44歳のときに白血病で亡くなった。「被爆と病気の因果関係は分からないが、放射能の恐怖は一生続く。放射性廃棄物の処分もできない原発が安全であることはあり得ない。だから小さくても声を上げていきたい」

【 2013年06月29日 08時50分 】

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