2013年11月30日土曜日

「必ずしも治安維持法を恐れはしない。たゞこれを運用する小役人の手加減を恐れる」(朝日新聞、1925年1月25日「今日の問題」、いまでいえば夕刊掲載の「素粒子」)。危機の時代の記者でさえこういう認識だった。(有田芳生)




横浜 東戸塚駅前のいちょう並木 今年はちょっと残念 2013-11-30

今年は、わが町東戸塚のいちょう並木が残念な状況。
確かに剪定の時期だったようなので、それならば仕方ない。
例えば塩害が絡んでるとか、そういうことがないことを祈る。

写真は今日(11月30日)、信号待ちの車の中から撮ったもの。



みんな揃ってうちごはん 今日は男子が作ったパスタ 2013-11-30

今日のうちごはん
息子がパスタを作った
ワタクシは、調達及びサラダ担当
あれッ あとかたづけは、誰?
2013-11-30

東京 北の丸公園 紅葉もみじ 2013-11-29

北の丸公園 紅葉もみじ 2013-11-29

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11月30日 「11.30 秘密保護法案反対デモ!」 (ツイッター写真)








安倍政権は「秘密保護法強行採決」の日に「猪瀬Xデー」を持って来るつもりだろうか? テレビは「猪瀬」でハシャギまくり、秘密保護法にはほとんど触れないだろうな。

仲里氏、自民離党へ 辺野古転換で(琉球新報)  自民党県連顧問、仲里利信元県議会議長、エライ!!

琉球新報
仲里氏、自民離党へ 辺野古転換で
2013年11月30日

 自民党県連顧問の仲里利信元県議会議長は29日、県連が米軍普天間飛行場の県内移設を容認する方針に転じたことを受け、離党する意向を固めた。同日、顧問の辞任届を発送したという。

 仲里氏は「県選出の自民党国会議員が方針を変えても県連は踏みとどまってほしかった。残念だ」と述べ、顧問辞任について「もう一緒にやっていくことはできないと考えた」と説明した。


【秘密保護法案・各界から廃案の声あがる】 「週刊現代」「FRIDAY」「女性セブン」「SAPIO」「創」「週刊金曜日」など、編集者やライターらでつくる「出版人の会」が特定秘密保護法案に反対するアピールを発表した。

甲斐バンド 『ポップコーンをほおばって』  「僕等は飛べない鳥じゃなかったはず 翼を広げたらきっと飛べたんだ」

甲斐バンド 『ポップコーンをほおばって』


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東京 北の丸公園 日本武道館前の大いちょう ようやく黄葉 2013-11-29

北の丸公園 日本武道館前の大いちょう 2013-11-29

11月30日 TNT大阪反原発デモ 賑やかで楽しそう (ツイッター写真)








「しんぶん赤旗」日曜版12月1日号に俳優の菅原文太さんが登場。 「若い人たちに伝えてくれ。時代をしっかり見ろ、と。政治が何をたくらんでいるか目を離すな、と」

川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(56) 「三十一 陋巷での安らぎ」 (その2終) 「河向に聳えた松屋の屋根の時計を見ると、丁度九時・・・・・・」

北の丸公園 2013-11-29
*
昭和11年4月から5月にかけて玉の井を歩いた荷風が、さらに足繁く玉の井通いを始めるのは9月に入ってから。
9月7日
「言問橋をわたり乗合自働車にて玉の井にいたる」。
「今年三四月のころよりこの町のさまを観察せんと思立ちて、折々来りみる中にふと一軒憩むに便宜なる家を見出し得たり。その家には女一人居るのみにて抱主らしきものゝ姿も見えず、下婢も初の頃には居たりしが一人二人と出代りして今は誰も居ず。女はもと洲崎の某楼の娼妓なりし由。年は二十四五。上州邊の訛あれど丸顔にて眼大きく口もと締りたる容貌、こんな處でかせがずともと思はるゝ程なり」

荷風は、この年のころ24、5歳の美しい私娼となじみになる。
玉の井に行くと必ず女の家を訪ねるようになる。
女と会った日には何度か例の、女との交情があったことを暗示させる「・」の印が日付の上に付けられている。

9月7日の「日乗」では・・・、
女が「外山」(外で客と遊ぶ)のあいだ、荷風が2時間ほど留守番までしている。
相当親しくなっているだけでなく、荷風は女から、気の置けない客として好ましく思われていたようだ(無論、荷風は女には身分は隠していたことだろう)。

9月13日
「言問橋をわたり秋葉裏の色町を歩み玉の井に至り、いつも憩む家に立寄るに、女は扁桃線(ママ)を病みて下坐敷の暗き中に古蚊帳つりて伏しゐたり。十一時頃まで語りてかへる。蚊の聲きくもむかしめきて亦おもむきありき」
蚊の音まで「むかしめき」て聞えるという。艶っぽい昔の江戸情趣にひたっているといえようか。

9月15日
「夜玉の井に往く。途中牛の御前祭禮のかざり物を見る。いつもの家にて女供と白玉を食す」
「この夜女は根下りの丸髷に赤き手柄をかけ、洒木綿の肌襦袢に短さ腰巻の赤きをしめたり。この風俗余をして明治四十年代のむかしを思起さしめたり」
夜、女の姿に「むかし」を思い出し、過去に遊んでいる。
「根下りの丸髷、総髪の銀杏返しは仇ツぼく見えてよきものなり」。
玉の井の私娼のむこうに、荷風は明らかに失なわれた「むかし」を見ようとしている。

9月19日
「電車にて向嶋秋葉神社前終點に至りそれより雨中徒歩玉の井に行きいつもの家を訪ふ。構濱ちやぶ屋にゐたりしと云ふ女一人新に加りたり。雨降りてやまず。路地の中人の跫音絶え、家の中にて蚊の鳴く聲耳立つのみ。長火鉢圍みて女二人の身の上ばなし聞きて十時過に帰る」

9月20日
「今宵もまた玉の井の女を訪ふ。この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり。驟雨濺(ソソ)ぎ来ること数回。十一時前雨中家に帰る」
この日から「濹東綺譚」執筆にとりかかり、約1ヶ月後の10月25日に脱稿。
その執筆のあいだも、しばしば「玉の井の女」を訪ねている。

9月21日
「三時過雨中昼間の玉の井を観察せむとていつもの家を訪ふ。女は新に立板なる桐の重箪笥と桑の茶棚を購ひ下座敷に据え附けたるところ。四十歳ばかりなる抱主と二人にてあたりを掃除しゐたり。(抱主は許可地外に住居するなり。)女は箪笥が九十圓茶棚が七拾圓、抱主より前借して出物を買ひたるなりといふ。六時過女は髪結に行くとて余の帰るを迭り六丁目角にて別れぬ」

10月1日
「夜銀座に出で食料品を購ひ玉の井に往きいつもの家に憩ふ」

10月4日
「去って濹東陋巷の女を訪ふ」

10月6日
「白髯橋東畔より京成バスに乗りて玉の井なるいつもの家を訪ふ。日は早く暮れたり。家には三ツ輪のやうなる髷結ひし二十一二才の女新に来り、また雇婆も来り、茶の間にて夕餉を食し居たり。主人も来りたれぽこの土地のはなしきゝて、七時頃車にて銀座に行き銀座食堂に飯して麻布にかへる」

「一般に狷介孤高と思われている荷風が、玉の井の家で別人のようにくつろいでいる。女にも心易く扱われている。いっしょに白玉を食べたり、女の身の上話を聞いたり、女に頼まれて留守番をしたりしている。いかにも荷風は楽しそうだ。この家では荷風は、ただ物好きな老人と親しまれていたのだろう。女の抱え主から玉の井の町の様子なども聞いている。まるで一家の一人のような扱われ方だ。」(川本)

「濹東綺譚」に「わたくし」がほとんど毎夜のように玉の井に通ってくる理由のひとつに、「鎚座丸ノ内のやうな首都樞要の市街に封する嫌悪」が挙げられているが、荷風にとっては、世間から私娼の街と蔑まれている玉の井のほうがはるかに気の安まるところだったのだろう。

「濹東綺譚」発表後
昭和13年12月11日
「薄暮玉の井を歩む。私服の刑事余を誰何し廣小路の交番に引致す。交番の巡査二人とも余の顔を見知り居て挨拶をなし茶をすゝむ。刑事唖然として言ふ處を知らず。亦奇観なり」
玉の井に足繁く通っているうちに交番(いろは通りにあった玉の井派出所)の巡査と親しくなってしまった。

昭和14年8月30日
久しぶりに玉の井を訪ね、諸事窮屈になりつつある時局にもかかわらず玉の井が相変らずのにぎわいを見せていることに喜んでいる。
「月よければ吾妻橋より車にて玉の井に至る。暫く来り見ざる中に新来の美女多く出でたり」
「いづこより集り来るや知らねどこの地の繁華毫も時局の影響を蒙らざるは寔(マコト)に喜ぶべきなり」

昭和15年には、偏奇館を引き払い、玉の井に移り住むことさえ考えている。
7月2日
「近来種々なる右翼團體または新政府の官吏輩より活版摺の勧誘状を送り来ること甚頻々たり。このまゝになし置く時は余も遂には浪花節語と同席して演説せざる可らざる悲運に陥るやの虞あり。余はこれ〔以上補〕余(ママ)はこれを避けんがため不名等なる境遇に身をおとさんと思立ち去月半頃より折々玉の井の里に赴き、一昨々年頃より心安くなりし家二三軒あるを幸ひ、事情を聞き淫売屋を買取りこゝに身をかくさんと欲するなり」

「わたくしはこの東京のみならず、西洋に在っても、賣笑の巷の外、殆その他の社會を知らないと云ってもよい」と「濹東綺譚」にあるように、若い頃から「賣笑の巷」を好んだ「遊民」荷風は、普通の家庭や市民生活のなかよりもむしろ、はじめから虚偽、虚構とされている遊里のなかのほうがはるかにくつろぐことが出来た。
「衰残、憔悴、零落、失敗。これほど深く自分の心を動すものはない。暴風に吹きおとされた泥まみれの花びらは、朝日の光に咲きかける蕾の花よりもどれほど美しく見えるであらう」(「曇天」)とかつて書いた荷風の敗残趣味が、玉の井という場を得て生き生きとよみがえっている。
実際、「玉の井の女」と白玉を食べたり、身の上話を聞いたりしている荷風は「無用の遊民」としていかにも楽しそうだ。
女に頼まれて留守番をしている姿など想像するだけで微笑ましい。気難しい高踏的文王の顔はみごとに消えている。

「余はこの道の女には心安くなる方法をよく知りたれば」(昭和11年9月7日)と自らうれしそうに書いているように、荷風は玄人の女たちと付き合うのが上手だったようだ。
築地の花街に一人暮ししていたころ(大正8年4月22日)には、朝から新富町の芸妓が3、4人、荷風のところに押しかけて来て、汁粉を食べたり唄ったりしてにぎやかに騒いだ。
荷風の家が若い芸妓たちのたまり場になっていた。
玉の井で、女たちの身の上話を聞いているのはこの延長であり、それは戦後、浅草のストリッパーたちの人気者になることにつながっていく。
通常の市民生活では、人嫌いで通っている荷風が、ひとたび遊びの町の女たちに囲まれると別人のようにくつろぐ。玉の井は、そういうくつろぎの場所としても荷風にとって小さなユートピアに思えた筈だ。

「濹東綺譚」のお雪には特定のモデルはないと秋庭太郎は『荷風外伝』でいっている。
「『濹東綺譚』のお雪は荷風の敵姫(アイカタ)をモデルにしたに相違ないが、その馴染みの娼婦一人をモデルにしたといふより、この色里の娼婦たちの誰彼を綯ひ交ぜて描写したとみるべきであらう」。
とはいえこの「玉の井の女」が重要なモデルの一人になったことは容易に察しうる。

「濹東綺譚」には、「日乗」の「玉の井の女」の記述と重なり合う部分が多い。
お雪が歯痛のために寝込み、蚊帳を吊って伏っているのは、「日乗」昭和11年9月13日の、女が扁桃腺をはらして蚊帳のなかで寝ていたという記述と重なる。
お雪が歯医者に行くので、「わたくし」が留守番を頼まれるのは、9月7日の留守番に対応する。
お雪が久しぶりに訪ねてきた「わたくし」に、「あなた。白玉なら食べるんでせう。今日はわたしがおごるわ」といってふたりで、水屋から買った白玉を食べるくだりは、「日乗」9月15日の「いつもの家にて女供と白玉を食す」から材を得ている。
「わたくし」がお雪の抱え主と顔を合わせてしまうくだりは、「日乗」9月21日と10月6日の、抱え主に会って話を聞いた事実と共通する。

「さらにお雪と「玉の井の女」のいちばんの共通点は、二人の女がともに荷風=「わたくし」に、くつろぎを与えていることだろう。」(川本)

このことは、玉の井ユートピア論を語るうえで重要なことに思われる。
「濹東綺譚」はその詩情、哀愁で評価されることが多く、それはそのとおりなのだが、同時に見逃せないのは、安らぎである。日だまりのくつろぎである。そこからユーモアさえ生まれる。
「わたくし」がうっかりお雪の抱え主と差し向かいになってしまい、「かういふ家の亭主と遊客との封面は、両方とも甚気まづいものである」と困惑するところなどは、木村荘八の”差し向かいの図”の効果もあって微苦笑を誘われるほど。

身をやつし、匿名の日蔭者となって玉の井の陋巷で、女と親しくなっていったとき、やがて60歳になろうとする荷風は、他では得がたい安らぎを感じた筈である。
色恋は無論あっただろうが、女の家で荷風は、それ以上に隠居のような気分になった。
世間的な窮屈な衣裳を瞬時脱ぎ捨てて若い女といっしょに白玉を食べる。
その市井のくつろぎが荷風にとっては、夢の中の出来事に思われたに違いない。

「わたくし」がお雪に会ったその日に、お雪の家でやさしくされ、「何だか檀那になったやうだな。かうしてゐると。箪笥はあるし、茶棚はあるし・・・」というのは、そういう隠居のくつろいだ気分をあらわしている。
「わたくし」の年齢は、「もうぢき六十」。二十六歳のお雪とは親子の隔りがある。二人のあいだに恋愛感情が生じたとは思えない。お雪が「わたくし」にやさしくしたのは一種親孝行のようなものだったのではないか。

「濹東綺譚」を恋愛小説と見て、「わたくし」との結婚を口にするお雪を「わたくし」が最後に”捨てる”のは男のエゴイズムだといった批判はその意味で的はずれだと思う。
お雪は、「わたくし」に安らぎを与えてくれる夢の女、「ミユーズ」なのであり、それは一瞬の夢とはじめから決定されているから、いずれ消えていかざるを得ないのだし、「わたくし」も最後には夢から醒めて現実に帰っていくしかないのだ。

「河向に聳えた松屋の屋根の時計を見ると、丁度九時……」。
夢の時間は、時計を見た瞬間に終る。
玉の井は荷風にとってそういう小さなユートピア、別世界だったのであり、「濹東綺譚」はそこから生まれた隠れ里探求譚である。
昭和12年4月、荷風が私家版『濹東綺譚』を出版したとき、出版元を「烏有堂」としたのは、そのためだったのだろう。
いうまでもなく「烏有」とは「全くない状態」のことであり、しかも「烏有堂」とは「ユートピア」を思わせる言葉でもあるのだから。


鏑木清方は、随筆集『明治の東京』(山田肇編、岩波文庫、1989年)所載の小文「歴史のある顔」で、明治の向島が江戸の文人たちの文化村になったとしている。

「明治維新と一緒に、東都は今までの江戸っ子ばかりの土地ではなくなって、新興勢力といえる薩長の大官小官、また諸国から新しい帝都を目がけて出て来たものが夥しい数にのぼって、東京は日に日に賑いを増して来た」「その時古い江戸人は長い橋を渡って、本所、深川へ退却するものが多かったということである。それかあらぬか、幕臣であった人だの、商人の隠居だの、向島に隠れ家をもとめた者がかなりあって、もっとずっと後、明治の中期には、ここが文人村の観を呈したことがある」
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安倍晋三、政治資金で豪遊 2日に1回 一晩123万円も

東京 北の丸公園 晩秋の風景 いちょう(2) 2013-11-29

北の丸公園 2013-11-29

デモや国会・官邸前抗議はテロと同じ? 自民党・石破氏の発言の危険性(伊藤 和子)


twitterで有名な福島第1原発作業員のハッピーさんサニーさんが、赤旗日曜版(12月1日号)で収束作業の現状について紙上対談



原発作業員が実名で驚きの告発。 酷い原発労働環境の現実は昔から続いているのにフタをされてきた。明らかにしていくのが必要。

京都の紅葉 光明寺の紅葉はやっぱり絶品! (ツイッター写真)

特定秘密保護法案に反体声明=児童書関係者 (時事)   作家の角野栄子さん、森絵都さんや編集者ら約150人でつくる「児童書出版関係者有志」

時事ドットコム
特定秘密保護法案に反体声明=児童書関係者

 作家の角野栄子さん、森絵都さんや編集者ら約150人でつくる「児童書出版関係者有志」が29日、参院で審議中の特定秘密保護法案の廃案を求める共同声明を発表した。

 国民の知る権利の侵害などへの懸念を指摘した上で、「法制化されると、秘密だらけの息苦しい非民主的な国家ができかねない。私たちは次の世代に自由で民主的、平和的な社会を残す責務がある」として、いったん廃案にし、議論を尽くすよう求めた。(2013/11/29-21:05)

今の日本は「言論弾圧の時代」へ逆戻りしている

プロ写真家団体 秘密保護法案に反対声明 (NHK)

HNK
プロ写真家団体 秘密保護法案に反対声明
11月29日 17時0分

参議院での審議が始まった特定秘密保護法案について、プロの写真家らで作る団体が、「撮影や発表に政府が介入する道を開く」と、法案を強く批判する声明を出しました。

特定秘密保護法案に反対の意見を表明したのは、プロの写真家、1660人で作る日本写真家協会です。

日本写真家協会が今月22日付けで出した声明文では、特定秘密保護法案について、「撮影から発表に至るまで、政府が介入する道を開くことになり、表現の自由や国民の知る権利が阻害され、戦争への道に走る危険性がある」と指摘しています。

そのうえで、「写真表現を手段として現代史を伝達することを生業とする写真家にとって、深刻でゆゆしい事態だ」として、特定秘密保護法案に対して強く反対すると述べています。

特定秘密保護法案を巡っては、作家らで作る日本ペンクラブなど、表現に携わるさまざまな人たちから、反対の意見が表明されています。

秘密保護法案:「過去の外交文書も指定」…森担当相 (毎日新聞)

毎日JP
秘密保護法案:「過去の外交文書も指定」…森担当相
毎日新聞 2013年11月30日 00時17分

 国家機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法案を巡り、森雅子同法案担当相は29日の参院国家安全保障特別委員会で、特定秘密に指定される外交文書について「過去の文書も要件を備えれば指定できる」と述べ、過去の領土交渉などの記録も新たに指定されるとの見通しを示した。

 同法案は特定秘密も「原則60年」で公開する規定を盛り込んだが、これまで非公開だった戦後の外交文書が改めて指定されることで、事実上100年を超えて秘匿され続ける可能性が出てきた。共産党の井上哲士氏への答弁。【小山由宇】

「原発は援助しない」、世銀と国連が表明 (AFP=時事)

YAHOOニュース
「原発は援助しない」、世銀と国連が表明
AFP=時事 11月28日(木)14時49分配信

【AFP=時事】世界銀行(World Bank)と国連(UN)は27日、最貧国に電力網を整備するため数十億ドル規模の資金援助が必要だと訴えるとともに、いずれの国においても原子力発電への投資は行わない考えを表明した。

 世銀のジム・ヨン・キム(Jim Yong Kim)総裁と国連の潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)事務総長は、2030年までに世界中の全ての人が電力の供給を受けられるようにする取り組みについて記者団に説明した。その中でキム総裁は「われわれは原発は行わない」と明言した。

 キム総裁によると、世銀は来年6月までに42か国の発電計画をまとめる予定。電力網の整備やエネルギー効率の倍増、再生可能エネルギー比率の倍増などを掲げ、目標達成には年間およそ6000~8000億ドル(約61兆~82兆円)が必要になるとしている。 

 しかしキム総裁は、集まった資金は新エネルギー開発にのみ使用すると報道陣に明言。「原子力をめぐる国家間協力は、非常に政治的な問題だ。世銀グループは、原発への支援には関与しない。原発は今後もあらゆる国で議論が続く、たいへん難しい問題だと考えている」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News

都議らと都の敗訴確定=養護学校性教育訴訟—最高裁 土屋敬之と古賀俊昭と田代博嗣の三都議。この一連の難癖に乗っかって安倍総理が「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」なるものを作ったのも忘れてはならない。


東京 北の丸公園 晩秋の風景 いちょう 2013-11-29

北の丸公園 2013-11-29

2013年11月29日金曜日

【これはひどい】菅官房長官、福島みずほ(社民)の質疑にとんずら。


石破茂氏「(議員会館前での秘密保護法反対デモについて)ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。




「除名」を武器に沖縄で振るったその強権こそ「テロ」であろう。
悪相にますます磨きがかかる。







11/29、いい肉の日

産経新聞も危惧する取材規制の可能性 → 「公務員と報道の接触に規範検討」 森担当相、秘密保護法案で - MSN産経ニュース


東京 北の丸公園 もみじの紅葉 見ごろピーク 2013-11-29

北の丸公園のもみじの紅葉
見ごろピークを越えているように見える
色の鮮やかさは絶妙なんだけど
先日の暴風雨のせいか、葉のボリューム感がない

11月29日の状況











堀田善衛『ゴヤ』(15)「マドリード」(4) 「 それは革命的でもなく、反革命的でもなく、きわめてスペイン的であった」

北の丸公園 2013-11-29
*
1766年3月2日、数人が逮捕され刑務所に収監される。イエズス会を背景に全土で民衆の抵抗運動が組織される。
「一七六六年三月二日、この御法度を犯した数人が逮捕され、罰金を払うことを拒否して、刑務所へ送られた。敵意を催した群衆が警察をとり囲んだが、これは簡単に追い払われた。
民衆の、ユーモアたっぷりの智恵は、今度は逆手の方法を見出した。数人の男が、お祭りの山車にも似た、巨大なフランス風のカツラをかぶって通りへ出て来て、人々と一緒になって大騒ぎをし、大笑いに笑った……。
こういう奇妙な抵抗運動は、ほとんどスペインの全都市でひそかに組織されて行った。しかもその背後には強力なイエズス会がいた。」

3月23日、暴動始まる。衛兵所占領、武器奪取して自ら武装
「かくて三月二三日、四旬節最後の日曜日の夕刻、・・・。
・・・物陰から五〇人ばかりのヤクザ連中がとび出して来て、衛兵を武装解除し、衛兵所を占領しただけではなくて、武器弾薬を持ち出して自らを武装した。
・・・
「王様万歳、エスキラーチェ(*首相)を殺せ、奴の女もやっつけろ!」
・・・」

「・・・王は、例によって、狩猟に行っていて、マドリード北郊のエル・パルドの森から戻りつつあった。・・・
王の一行が王宮に無事帰りついてみると、エスキラーチェ首相が、ぶるぶるふるえていた。
インファンタ通りにあった首相邸は襲われて掠奪された。召使の二人が殺され、彼は自ら禁止を命じたツバ広帽子と黒いマントで変装して命からがら逃げ出したものであった。群衆はついでジェノア人の大臣グリマルディ邸を襲い、これを掠奪し、むちゃくちゃにしてしまった。」

翌24日、軍隊に出動命令
「あくる二四日、民衆は首都の中心をなす広場、プエルタ・デル・ソル(太陽の広場)を占領し、お祭り騒ぎをやらかした。・・・そうして王は、軍隊に出動を命じた。
・・・軍隊それ自体が、その四分の一くらいは外国人の雇い兵であった。スイス人、ウォルーン人(ベルギー南部)、アイルランド人、イタリア人、それに各国からの志願兵からなる外人部隊。この志願兵とは、要するに各国軍隊からの脱走兵や、ありとあらゆる犯罪を故国で犯して来た連中である。そうして最高指揮官は国防大臣の、アイルランド人の将軍アレクサンダー・オライリーである。
・・・」

「のこりの四分の三の、スペイン人の部隊は、五人一組でクジを引いて一人が徴兵されるという、インチキの入るべき余地のはなはだ多い兵で構成されていた。・・・。彼らはもっぱらおしゃれと金儲けにはげんだ。おしゃれとは、この場合きっぱりフランス風にすることである。胸に金時計を二つぶら下げ、鼈甲の嘆ぎタバコ箱をもち、絹靴下をつけて、バックルつきの靴をはく……。」

「・・・
ともかくこういう軍隊が武装した群衆に対して何の役に立つか。
彼らに出来ることは、彼ら自身を衛るために零距離で民衆に発砲することだけである。
零距離ならば、距離はない。次の弾丸を銃にこめているあいだに、撲り殺されて、四肢をばらばらにされてしまった。勇気ある聖職者の呼びかけに耳をかすものは誰もいなかった。群衆は娼家から売春婦たちを解放して、街頭でバッカスとエロスの一大祝祭を敢行した。」

民衆は王宮に殺到。国王一行はマドリード南50キロのアランホエースの離宮に落ち延びる
「あとにのこるもの、もう一つ残されたものは、宮廷だけである。暴動から革命へ、王を殺せ!王宮に火がかけられた。火事は幸か不幸かポヤ程度で消しとめられた。
この際、いかにもスペイン的なのは、民衆も軍隊も、双方ともに〝昼寝(シエスタ)〞の時間は休戦ということになっていたことである。
アイルランド人の軍指揮官は、冷静な男であった。夜に入って王宮の地下道を通って逃げ出し、一行はマンサナーレス川に沿ってマドリードの南方五〇キロ弱のところにあったアランホエースの離宮に落着いた。憎まれたエスキラーチェ首相も一行のなかにいた。

マドリードにのこされたものは、略奪と打ち壊しである。
暴動は全スペイン規模に広がり、血の熱いサラゴーサでは二五〇人の死者を出し、パルセローナ、ムルシア、サラマンカ、ブルゴス、シュウダード・レアールなどにも及んだ。」

何かが起るようでいて、たしかに何かが起って、しかもなお結果としては、あたかも何事も起らなかったかのような結果になるのは、スペイン史の謎とでも言うべきものであろう
「この稿のはじめのところで、私は次のように書いたことがあった。
何かが起るようでいて、たしかに何かが起って、しかもなお結果としては、あたかも何事も起らなかったかのような結果になるのは、スペイン史の謎とでも言うべきものであろう、と。」"

暴動のあっけない終結
「王は、エスキラーチェを、スペイン王国の大使として、彼の故国であるナポリへ帰してやった。・・・
それだけである。
王はマドリードへ戻った。
内閣の後釜には、アラゴン出身の、われわれの主人公と同郷のアランダ伯がすわった。」

ともあれ、ツバ広帽子とマント党の大勝利
「しかしともあれ、ツバ広帽子とマント党には大勝利であり、スペイン伝統主義者にとっても大勝利である。そしてもっとも快哉を叫んだものはイエズス会の会士たちである。」

この民衆蜂起は、革命的であったのか、反革命的であったのか
「暴動は、その根底に、反フランス的な要素をこめていた。反フランスだけではなく、全般的に排外的な要素、つまりはスペイン保守主義の擁護という要素を強くもっていた。そうしてイエズス会があまりに強力であることは、政治の開明化、教育の普及、産業の奨励などの邪魔になったことである。すでに海の彼岸では産業革命がはじまろうとしている。

ピレネーのかなたでは、一七四八年にはモンテスキューが『法の精神』を書き、ディドロ等は一七五一年から『百科全書』を発行しはじめている。ルソーの『民約論』は一七六二年に出ている。六四年にはヴォルテールの『哲学辞典』が出る。フランス革命は目睫の間に迫っている。

いったいこのマドリードの民衆の蜂起は、革命的であったのか、反革命的であったのか。

反進歩、反改革、反フランス的であった下層階級が蜂起したからと言って、またそれを暗黙のうちにイエズス会が支持したからと言って、それが反革命的であったとは言えないのである。
そうして、結果として、追い出されたエスキラーチェにかわって、アラゴン出身のブルジョアジーであったアランダ伯が首相になり、この伯爵がヴォルテールと親交があったからと言って、結果としてこの擬似革命が、革命的なものであったとも言えないであろう。・・・

イギリスが産業革命へ向って邁進し、フランスがルソー、ディドロ、ヴォルテールなどの啓蒙思想を経て大革命へと傾斜して行くなかで、スペインもまたかつての先進大帝国から、いまでは後発国の様相を呈して来たことのなかで、身をよじって苦悶をしていたのである。」

それは革命的でもなく、反革命的でもなく、きわめてスペイン的であった
「それは革命的でもなく、反革命的でもなく、きわめてスペイン的であった、としか言い様がないであろう。・・・
ツバ広帽子とマント禁止は、われわれにとっては、明治維新のときの、廃刀令あるいはチョンマゲ廃止、ザンギリアタマの奨励と瓜二つであろう。」
*
*

違憲状態の国会が解釈改憲を行い、秘密警察国家作りに邁進。一流ホテルが表示偽装し、組員融資でも頭取は辞めず、重大事故を起こして責任をとらない東電を国民の税と電気料金で支え、事故原因も究明せずに原発を再稼働・輸出する。それでも国民は安倍政権を支持する。このままでは国が滅びていきます。(金子勝)

外務委員会。共産党の笠井代議士が突っ込む。トルコの原発予定地の断層調査の件で、有識者会議の委員は集まらずにメールで会議したことにした。しかも、その四人の有識者を選んだはずの決裁文書に、四人の名前がない。後から有識者会議を捏造した疑惑が。(河野太郎)   

元自民県連会長の外間盛善元県議会議長が「辺野古の海を埋め立てて基地を整備するのなら、県民は納得できない。私も反対だ」と強調。仲里利信元県議会議長も西銘氏の辺野古容認に抗議し後援会長を辞任。

読売新聞は、解説と社説で丸々1ページ使い、広島高裁岡山支部の判決を酷評。国会の裁量権を幅広に認めた最高裁判決を無視してると言うが、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」のだよ。批判を向けるべきは、格差解消に動かない国会。(江川詔子)

名護市長意見に過半数賛同 首長アンケート(沖縄タイムス)

沖縄タイムス
名護市長意見に過半数賛同 首長アンケート
2013年11月29日 07:00

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐる埋め立て申請手続きで稲嶺進名護市長が仲井真弘多知事宛てに「不承認」を求めた市長意見について、沖縄タイムスが実施した全41市町村長へのアンケートで、回答があった39市町村長のうち過半数の22人が「賛同する」と考えていた。知事に「不承認」を求める首長も半数を超える20人で、「県外」「無条件返還」と県内移設を認めない首長は合わせて35人に上った。自民党の県関係5国会議員や県連が辺野古容認に転じてもなお、県内世論の半数以上が明確に辺野古移設に反対している状況が浮き彫りとなった。


「北朝鮮にスパイ送った」 元陸自別班メンバーが実態語る (中国新聞) / 英国紙「テレグラフ」に、「日本の軍隊の秘密部隊が北朝鮮でスパイをしていた」というタイトルで報道されています。

中国新聞 '13/11/28
「北朝鮮にスパイ送った」 元陸自別班メンバーが実態語る

 首相や防衛相が関知しない独断による情報活動が明らかになった陸上幕僚監部運用支援・情報部別班(別班)。国内担当だった元メンバーが28日までの共同通信の取材に、陸自内部でも存在そのものが秘匿されてきた情報部隊の実態を語った。

 ▽養成

 突然上司に命じられ、諜報(ちょうほう)や防諜(ぼうちょう)の教育、訓練をした旧陸軍中野学校の流れをくむ陸自小平学校の心理戦防護課程に入校。同期は7、8人でごくまれに海自、空自の隊員もいる。追跡、潜入、張り込み…。教室の鍵は昼間も厳重で、小平学校長でさえ入室できない。

 同課程を修了して別班員になると、外部との接触禁止に。「身分証明書は自宅で保管し、持ち歩くな」「年賀状も出すな」と指示され、防衛大の同期会は当然欠席。休職扱いか、いったん自衛官の身分を離れるが、給料や退職金は満額が出る。

 ▽任務

 別班の本部は東京・市谷の防衛省地下。民間のビルの一室を借りた「アジト」が東京都内に数カ所あり、組織を秘匿するため、渋谷、池袋、新宿…などを転々とする。

 班員は数人ずつのグループで活動。他のグループのメンバーとは本部でたまに会うだけで、本名さえ知らない。在日朝鮮人を買収し、スパイに仕立てて北朝鮮に送り込んだこともある。

 ▽資金

 活動資金が足りなくなれば、防衛省情報本部にもらう。金が余り、内輪で豪華宴会をしたこともある。領収書は一切いらない。

 別の班員から「数百万円まで湯水のように使えた」「協力者には数十万円単位で使えと言われた」「金を使わないと仕事をしていないと思われた」と聞いたこともある。








新潟は紅葉と雪が同時に見れる季節になりました (ツイッター写真)

今朝の東京新聞、特報のページ。東京都の規則では都職員が利害関係者に借金をすることは禁じられていて、借金を申し出るだけで懲戒免職の対象となるらしい。猪瀬知事、ケジメつけないと、しめしがつかないよなぁ

秘密保護法案:参院委審議入り 与党再び採決強行も(毎日新聞) : 「参院は荒れてもいい。野党は野党だと分からせる」(自民党幹部)。 「我々だけで前に進めばいい。答えは簡単だ」(町村信孝)  

毎日JP
秘密保護法案:参院委審議入り 与党再び採決強行も
毎日新聞 2013年11月28日 22時02分(最終更新 11月28日 22時38分)

 与党は28日の参院国家安全保障特別委員会で、特定秘密保護法案の審議入りを強行した。12月6日の臨時国会期末までの法案成立を図るため、「参院は荒れてもいい。野党は野党だと分からせる」(自民党幹部)と「数の論理」を前面に出しており、実質残り6日間の審議で再び採決強行も辞さない構え。これに対し、法案修正で合意した日本維新の会やみんなの党を含む野党7会派は徹底審議を要求している。

 「ご異議ありませんか」。午後1時の予定から約2時間遅れた特別委の冒頭。中川雅治委員長は、目の前に詰め寄って「ルールを守れ」「応じられない」と抗議する野党理事を無視し、審議開始を宣言した。

 直前の理事会では、職権で委員会開催を決めた中川氏に野党が謝罪を要求。さらに理事会を途中退席して強引に審議を始めた中川氏を野党理事が連れ戻し、再度の理事会は怒号に包まれた。結局、中川氏は特別委で「おわび申し上げます」と陳謝。ようやく審議がスタートした。

 みんな、維新との修正合意で「与野党の協力」という体裁を整えた与党は、会期内成立を譲らない構え。修正実務者の自民党の町村信孝元官房長官は、28日昼の町村派会合で「我々だけで前に進めばいい。答えは簡単だ」と胸を張った。

 この日の自民党岸田派の会合では、金子一義元国土交通相が苦言を呈した。「世間様が『やっぱり強行突破じゃないか』というのは、これから尾を引く」。ただしこうした声は少数派だ。

 民主、みんな、共産、維新、社民、新党改革、生活の野党各党は同日、国対委員長らが会談。民主党の榛葉賀津也・参院国対委員長は7会派の記者会見で「立法府として徹底した審議を求めたい」と強調した。【影山哲也、小山由宇】



特定秘密保護法案に元警察幹部が懸念表明(NHK) : 「この法案は警察の権限を際限なく拡大させるおそれがある」

NHK
特定秘密保護法案に元警察幹部が懸念表明
11月29日 5時46分

参議院で審議が行われている特定秘密保護法案に反対する集会が28日夜、都内で開かれ、元警察幹部が「この法案は警察の権限を際限なく拡大させるおそれがある」などと懸念を表明しました。

集会は、フリージャーナリストらでつくる「アジア記者クラブ」が開いたもので、東京・千代田区の会場にはおよそ120人が集まりました。

取り上げられたのが、28日の参議院の特別委員会でも審議の焦点の1つとなった「適性評価」という規定です。

適性評価は、特定秘密を取り扱うことになる公務員や民間業者が情報を漏らすおそれがないか、過去の犯罪歴や飲酒や借金の状況などを細かく調査する仕組みです。

集会では、これについて元北海道警幹部の原田宏二さんが「犯罪歴などの適性評価の調査項目を考えると、最終的には警察が調査を行うことになると思う。法案は、警察の権限を際限なく拡大させるおそれがある」などと懸念を表明しました。

集会に参加した女子大学生は「警察も間違うことがあるので、法律で権限が拡大したら怖いと思います」と話していました。

この適性評価について、法案を担当する内閣情報調査室は「適性評価は、特定秘密を扱うそれぞれの行政機関が行い、犯罪歴などについて警察に『照会』することはあるかもしれないが、警察の権限だけが拡大することはない」としています。


秘密保護法案:ノーベル賞学者ら抗議声明「戦争へと…」(毎日新聞) : 「特定秘密保護法案に反対する学者の会」結成

毎日JP
秘密保護法案:ノーベル賞学者ら抗議声明「戦争へと…」
毎日新聞 2013年11月28日 22時26分(最終更新 11月29日 00時22分)

ノーベル賞を受賞した益川敏英・名古屋大素粒子宇宙起源研究機構長や白川英樹・筑波大名誉教授ら31人が「特定秘密保護法案に反対する学者の会」を結成し、同法案の廃案を求める声明を28日、発表した。

声明は「情報の開示は民主的な意思決定の前提で、同法案はこの原則に反する」「与党の政治姿勢は、思想の自由と報道の自由を奪って戦争へと突き進んだ戦前の政府をほうふつとさせる」などと訴え「憲法の定める基本的人権と平和主義を脅かす立法」と結論づけている。

同会には、樋口陽一・東北大名誉教授(憲法学)▽加藤陽子・東京大教授(歴史学)▽姜尚中・聖学院大教授(政治学)▽佐和隆光・京都大名誉教授(経済学)−−ら、さまざまな分野の学者が参加。304人の賛同者が集まっているという。【日下部聡】

◇特定秘密保護法案の廃案を求める声明を出した研究者(28日現在、敬称略)

浅倉むつ子(早稲田大教授、法学)▽池内了(総合研究大学院大教授、天文学)▽伊藤誠(東京大名誉教授、経済学)▽上田誠也(東京大名誉教授、地震学)▽上野千鶴子(立命館大特別招聘=しょうへい=教授、社会学)▽内田樹(神戸女学院大名誉教授、哲学)▽内海愛子(大阪経済法科大アジア太平洋研究センター特任教授、歴史社会学)▽宇野重規(東京大教授、政治学)▽大沢真理(東京大教授、社会学)▽小熊英二(慶応大教授、社会学)▽小沢弘明(千葉大教授、歴史学)▽加藤節(成蹊大名誉教授、政治学)▽加藤陽子(東京大教授、歴史学)▽金子勝(慶応大教授、経済学)▽姜尚中(聖学院大全学教授、政治学)▽久保亨(信州大教授、歴史学)▽栗原彬(立教大名誉教授、政治社会学)▽小森陽一(東京大教授、文学)▽佐藤学(学習院大教授、教育学)▽佐和隆光(京都大名誉教授、経済学)▽白川英樹(筑波大名誉教授)▽杉田敦(法政大教授、政治学)▽高橋哲哉(東京大教授、哲学)▽野田正彰(元関西学院大教授、精神医学)▽樋口陽一(東北大名誉教授、憲法学)▽広渡清吾(専修大教授、法学)▽益川敏英(京都大名誉教授、物理学)▽宮本憲一(大阪市立大・滋賀大名誉教授、経済学)▽鷲田清一(大谷大教授、哲学)▽鷲谷いづみ(東京大教授、生態学)▽和田春樹(東京大名誉教授、歴史学)




HP
特定秘密保護法案に反対する学者の会





【秘密保護法案・各界から廃案の声あがる】 演劇集団円(橋爪功氏代表)や無名塾(仲代達矢氏代表)など、演劇界23団体が、戦前・戦中の弾圧の歴史を繰り返すなとの緊急アピールを発表した。

11月29日夜 今夜は参議院議員会館前で抗議 1000人超が参加 「特定秘密保護法~成立させない!絶対させない!永田町大集会」 (ツイッター写真)



















2013年11月28日木曜日

60年安保・国会包囲デモ。スゴイね!ネットもない50年前。


懐かしがってもしゃーない。
けど、
ゼンガクレンちゅーのも聞かないね、この頃。
まあ、ナレノハテがイノセちゅーオチもあるし。
どっちもどっちかな。



「大阪都」ダメなら「大阪州」で(橋下徹)


「アホ」言うもんが「アホ」や、
とさんざ言ったので、
自分では言えない。

ヒトの手(口)を借りることにする。




生活保護受給者への締め付け強化 日本の受給者は正直者ではあるが… (The Economist): 「さらに警鐘を鳴らすべき問題がある。貧しい人々が自宅で飢え死にする例が毎年数十件に上っており、今後も増加するリスクがあることだ。」

日経ビジネス
生活保護受給者への締め付け強化
日本の受給者は正直者ではあるが…
The Economist

 騒音と煙草の煙が充満するパチンコ店で、しかめ面をしながらパチンコ台に向かっている客が、人生を楽しんでいるとは到底思えない。だが、兵庫県の小都市、小野市では万が一にもそんなことのないようにしたいようだ。

(略)

 安倍晋三首相が打ち出した様々な経済政策が奏功し、株式市場は急騰、不動産市場も値上がりに転じた。大企業は先行きの見通しに楽観姿勢を強めている。こうした状況は富裕層にとっては追い風となっているが、貧困層は目に見えるほどの恩恵に浴してはいない。人口に占める生活保護受給者の割合は上昇の一途をたどっている。

(略)

 さらに警鐘を鳴らすべき問題がある。貧しい人々が自宅で飢え死にする例が毎年数十件に上っており、今後も増加するリスクがあることだ。以前は、こうした例が発生すると、当局は恥ずべきことだと考え、国の援助を受けやすくするなどの対策を講じた。しかし現在、状況は厳しさを増す傾向にある

 小野市では4月の新しい条例を施行した後、生活扶助費を浪費しているとの通報が6件あった。過度の飲酒とされた1例は、メンタルヘルス問題に関わるもので、当局はすでに把握済みだった。パチンコ屋に入り浸っていると名指しされた3例では、実際には政府からの支援を受けていなかった。残り2例では、直ちに生活保護を受ける必要があることが明らかになった。








東京 北の丸公園 もみじの紅葉がピークに 2013-11-28

北の丸公園のもみじの紅葉が見ごろピークに
11月28日

ただ今日はうす曇りの天気

明日もう一度チャレンジする










「オモニよ わたしは空を取り戻そうと思う /ハッキョへの坂の上の空が/自由に海峡を渡っていけるように/その日まで帝国の犯した罪を忘れず/啼き交わす鳥たちの喜びを夢みて 生きていこうと思う 」(辻井喬「オモニよ」最終連、『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』)




堤清二氏死去 セゾンG創設 作家・辻井喬でも活躍  (ツイッター 追悼の声)














「あれは左翼」「運動屋の言うこと」「アカ」「主流派になれなかった負け犬の愚痴」「あいつは極端」「そんなこと言っているのはあいつだけ」と、私たちは、警告を無視し、現状をできるだけ変えず、惰眠を貪ることの言い訳だけはいつも実にクリエイティブでした。そして巨大な腐敗の塊を抱えています。(烏賀陽弘道)

ちあきなおみ 『さだめ川』 (youtube)

ちあきなおみ 『さだめ川』

野茂英雄さん・・・。在米移住者の一人として、彼は私の中で勝手に、深い敬意をはらう対象である。彼が幾多の困難をまず先に引き受け、差別、誤解にもくじけずアメリカで野球を続けてくれたこと。今の日本出身選手の活躍の礎には彼がいる。(矢野顕子)

ロイター スライドショー:ウクライナでEU統合を求める大規模デモ (写真)

明治37年(1904)4月11日~4月13日 ロシア海軍マカロフ中将戦死 堺利彦控訴公判 廣瀬中佐の葬儀

新宿御苑 2013-11-23
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明治37年(1904)
4月11日
・「初め中佐の死を聞て嘆惜す、中佐何ぞ自ら重んぜざるや、中佐の死は一兵曹の為なり、弾丸雨飛の際三度一兵曹を探ぬ、豈に乱暴ならずとせんやと、計らざりき、兵曹は中佐が親友にして肝胆相照らせるなり、中佐三度兵曹を探ねて得ず、得ずして将に去らんと欲す、友として遺憾なし、人として遺憾なし、将軍として亦遺憾なし、共時其際、弾丸中佐を打つ、遺憾なき中佐は更に限りなき満足を得たり、中佐は其探(たずぬ)る友に逢ひ得たるなり。」(『萬』4月11日)

廣瀬中佐の行動は軍の規律上は問題あるが、単なる職務上の関係を超えた慈愛という観点から、軍の外部にいる人間に受け容れやすい形での解釈。
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4月11日
・4月1日に旅順で、海上に浮かんだ日本海軍将校の葬儀が鄭重に行なわれたという報道を受けて、『東京朝日新聞』は次のように述べる。

「報中の日本将校厚葬は廣瀬中佐の遺体に係るものの如し。頭部の負傷といひ福井丸の船首に浮び居たる事といひ袖に金線ある事といひ、廣瀬中佐ならではと思はるゝ節のみ多し。日本武士の名誉の死骸は敵中に於ても亦日本武士が相当に享受す可き尊敬と儀礼とを享受したるに相違なし。又想ふに中佐は嘗て久しく露国に在りたるを以て敵中にも必ず相識のものありたらん。其戦死の趣も必ず欧洲を廻りて敵の軍中に達し居るぺければ、此厚葬は或は中佐の遺骸と知りて此(かく)したるものなるやも知れず。敵中亦中佐のために涙を流したるものありしや否や。」

敵方も自分たちと同じように、廣瀬を追悼する気持ちを持ったに違いない、涙を流した者もいるかもしれないと考えている。
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4月12日
・旅順口の太平洋艦隊司令長官マカロフ中将、日本軍上陸阻止作戦発令。
午後6時30分、駆逐艦8隻が出撃。
午後10時5分頃、日本軍機雷敷設隊計17隻、ロシア駆逐艦隊とすれ違う形で南東から旅順口湾口に接近(ロシア艦はこれを味方と誤認)。
13日午前1時45分、日本艦隊は機雷44個投下して引揚げ。
午前4時頃、ロシア駆逐艦「ストラシヌイ」が日本軍第2駆逐隊4隻に接近。
午前4時50分頃、日本駆逐艦「雷」が砲撃。「ストラシヌイ」艦橋付近に命中、艦長ユラソフスキー中佐戦死。
午前5時35分「ストラシヌイ」沈没始める。
午前6時20分、巡洋艦「バヤーン」が現場に到着、「ストラシヌイ」乗組員5名を救助して引揚げ。

13日午前7時50分、再び出港命じられた巡洋艦「バヤーン」、日本第3船隊を発見。マカロフ中将に連絡しこれを砲撃。
午前8時5分、第3戦隊司令官出羽少将、太平洋艦隊の出撃を連合艦隊司令長官東郷中将に打電。
午前8時10分、第3戦隊は「誘敵」のため第1戦隊の方向に転進、ロシア艦隊がこれを追尾。
午前8時40分、ロシア艦隊は第1船隊に気付き反転。
午前9時39分、旗艦「ペトロパウロフスク」が老虎尾灯台東方で触雷、爆沈。司令長官マカロフ中将・参謀長モーラス少将など幕僚、戦死。乗組員773人中生存者129。
16日、後任に黒海艦隊司令長官スクルイドルフ中将、任命。
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4月12日
・堺利彦控訴公判。東京控訴院。弁護人今村力三郎・花井卓三・高木金之助・木下尚江ら。
16日、判決。「平民新聞」発禁棄却・軽禁固2ヶ月(←3ヶ月)。
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4月12日
・斉藤兼次郎・石川三四郎、5月1日より週刊新聞「社会新報」発行届出。「平民新聞」発行禁止が確定した場合の処分対応。
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4月12日
・セルビア・ブルガリア、秘密軍事同盟条約締結。
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4月13日
・廣瀬中佐の葬儀
前日の12日、廣瀬中佐の柩は兄の勝比古邸を出て築地の水交社に収められ、通夜。
13日、海軍省の公葬として葬儀。
午前10時、勅使によって幣帛(へいはく、紅白絹)が下賜される。通例、勅使が差し遣わされるのは勅任官以上であり、海軍中佐の葬儀では空前のこと。

午後1時、水交社を出た葬列は、青山斎場まで行進。軍楽隊と儀伏兵220名らが先導し、東伏見宮依仁親王ほか海軍関係者などから贈られた七対の真榊、紅白旗四対、勲章などが水兵らに捧持され、ついで砲車に乗せられた廣瀬の霊柩が水兵に曳かれてゆく。
その後を、「当年十二歳の少女、妻子を有ざりし故人が愛情の凝(かたまり)とも見るべき姪の馨子」が、「親戚にまもられて従へるは亦一種異様の感を以て沿道の人々の鼻をつまらせぬ」。
親族の後を山本権兵衛海相、伊東祐亨軍令部長ら海軍高官が徒歩で従い、儀杖兵250名がこれに続き、その後を多数の一般会葬者が歩むという大葬列。
途中からは、学校帰りの学生らが 「書籍と弁当箱とを小腋にかゝへ静粛に」、これに参加している。
このことからも、「如何に中佐が学生間に其遺徳の仰がれ」ているかが分かると報じられている。

そして、「各戸弔旗を掲し其沿道に人垣つくり一里余の両側を埋に埋たる人々」が、この一行を見送っている。
葬列の勇士たちが 「其繕はぬ面に包みがたき悲痛の色を浮めて、胸轟かすべき軍楽の哀譜の中を粛々として進行くさまは、実に是れ崇高の極悲壮の限にして、かかる葬列は東京市民が多く見るを得ざりし処、況んや軍国の民此『軍神』とまで慕ふの人の葬式に於て之を見る、むべなり往々感極て稠人(ちゆうじん)の中に涙を拭ふ髯男の多りし事や」というありさま。

沿道の帝国ホテル前では、「同館外泊中の外国紳士淑女数十名」が「整列し脱帽して哀悼の意を表」し、様々な学校の生徒たちが、各所に整列して葬列を見送った。
なかでも、北白川宮武子、擴子両女王を含む華族女学校生徒530人と、「武装して」並んだ青山、赤坂両小学校生徒が、「わきて人の感情を惹」いたという。
「職員は両殿下を路傍に立たしめ給ふ事余りに勿体なしと其思召しを伺ひたるに、両殿下は容(かたち)を改め給ひ、中佐の如き誠忠義烈の人に対して弔意を表するに身分の階級など問ふの要あるべきや、他の生徒と一列にて何の差支へもなしと仰せありしとぞ、中佐たる者死して余栄ありしと云ふべし」という(『萬』4月14日)。

また、「沿道幾多の子女感極まり涙を垂るゝもの」ばかりであったが、「中にも赤阪(ママ)小学校、青山学校の女生徒が教師指揮の下に、哀悼の唱歌を声を震はせながら歌ひつゝ送迎したるは一段の感を深うしたり」という。

「此の日の天気殊に好く、幾千人と云ふ会葬者が行列正しく進み行く順路中の所々、日本男児の紀念たる桜花の雪心ありげに中佐の遺骸を乗せたる砲車に散りかゝる様は、如何にも哀深く覚えたり」(『東朝』4月14日)。

桜が花吹雪を作る下を、廣瀬の葬列が通っていった。

青山斎場には、「陸海軍人、朝野の紳士、外国新聞記者等数百人集まり居り、英国公使マクドナルド及同館附武官、米国領事なども来り会し」ていた。
そして、「村田斎主祭文を朗読し、読で中佐が最期の事に至るや満場寂として婦人席より鳴咽の声のみ高かりき、特に黒紋付の婦人連の間に、襟のつきたる綿服着て一種の異彩を放ちたる杉野兵曹長の北堂(ほくどう、母堂)の如きは、小笠原(長生)少佐夫人に向ひ、今日の御仏は妾が倅孫七郎の姿が見えざるとて三度迄も御捜しくだされたはつかりにかう云ふ事になりました、其の優しき御心ばせは何と申しても御礼の申しやうが御坐りませんと、感極つて号泣せしは慰めんかたなく気の毒なりけり」という(『萬』4月14日)。「式場に臨める杉野兵曹長の老母身の粗服を顧み、躊躇して入らず、子爵小笠原海軍少佐之を慰め、子爵夫人をして導いて場中に入らし」めた。

黒紋付きを着ることもできないような貧しい杉野の母親が、このような盛大な葬式で埋葬された海軍中佐の温情に号泣し、それがまた周囲の人々に深い感銘を与えていた。

廣瀬の盛大な葬送は参列者たちの流す涙が支配する場であった。
「衆人愔然(いんぜん)として首を低(た)れ又一人として能く仰ぎ見るもの無し、悼惜(とうぜき)の感は電気の如くに左右両列十数万の心胸を撃てり、悲哀の涙は噴泉の如くに老となく若となく各人の瞼に満てり」。

「此の如く国民の追慕を受くる所以のもの、是れ氏の天品の力なり、人格の力なり、語を更(か)へて言へば幾百年来我大和民族の精神的帝国を支配したる武士道の力なり」。
廣瀬の「人格の力」は、日本の伝統に深く根ざした「武士道の力」であり、日本人が心の奥底に持っている崇高な精神を、はっきり発現させたところに、廣瀬の偉大さがあると捉えている。

日本人が揃って泣くのは、自分たちが共有する精神を、廣瀬が命を懸けて見せてくれたからだ。「氏の偉大なる精神は、永く国民の教条として万代に振ふべし。吾人は士風動(やや)もすれば廃れんとする現代に於て、此の活きたる経典を得たるを、寧ろ一捷報(しようほう)よりも貴重なるものとして茲(ここ)に聊(いささ)か意を安んず、懐(おも)ふに偉霊亦当(まさ)に地下に瞑すべし」(『戦報』7)。
廣瀬の死を悲しむことが、すたれがちだった「士風」を復活させるきっかけとなり、戦闘で一度勝つよりも重要だとみなされた。

乃木の弔文
謹テ海軍中佐廣瀬君ノ霊ニ告ク。鳴呼君ノ功ヤ偉大。君ノ死ヤ壮烈、世ヲ挙(こぞ)リテ君ノ名ヲ嘖々(さくさく)シ、君ノ精神ヲ欽慕スル。洵(まこ)トニ宜(よろしき)ナル哉。而シテ吾人ノ特ニ君ニ感謝セサルへカラサルハ、我国未曾有ノ大戦ノ劈頭ニ於テ、広大無限ナル、精神上ノ教訓ヲ垂レラレタルコト是ナリ。君ノ徳ニ感シ、君ノ志ヲ継ク者、応(ま)サニ長(とこし)へニ尽ルナケン。鳴呼君ハ万古死セサルノ人卜謂フへシ。今ヤ質素ニシテ盛大ナル君ノ葬儀ニ方(あた)リ、桜花爛漫沿道ニ送迎シ、君ノ雄魂ヲ慰セントス。是レ亦天意卜人心トヲ表スルニ庶幾(ちか)シ。謹シテ吊(ちよう)ス。
星桜会総代  乃木希典敬白

廣瀬の葬儀は、13日の東京以外に、17日に廣瀬の出身地、旧岡藩藩主中川伯爵邸で在京関係者を集めて行なわれたものや、5月1日には故郷大分県竹田町で地元の名士や中学生らを集めて行なわれたものなど、各地で追悼会が催された。

『海軍中佐廣瀬武夫弔詞集』(竹田や中川伯爵邸での追悼式の弔辞46通を纏めたもの)をみると、意外にも、杉野兵曹長を三度捜索したことに、半分以上が触れていない。これに言及しているものは46通中19通のみ。

3回も船内を回って部下を捜したという話は、他の戦死者との違いを際だたせ、だからこそ、廣瀬が軍神と賞讃されるようになったと思われるが、それは軍神となる契機を与えたに過ぎなかったと思われる。

戦争が始まり日本人としての同胞意識が高まる中で、人々は無意識のうちにその一体感を投影できる人格、体現する英雄を望んでいた。
廣瀬はその受け皿になれるような条件を備えていたから、国民の関心を集めたと思われる。
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普天間移設「県外」を堅持 那覇市議団 (琉球新報)

YAHOOニュース
普天間移設「県外」を堅持 那覇市議団
琉球新報 11月28日(木)11時50分配信

 自民党の那覇市議17人のうち14人が27日、同市を中心とする沖縄1区選出の国場幸之助衆院議員の事実上の公約撤回を受け、1区支部の役員を辞任した。

 14人のうち11人が急きょ記者会見し、国場氏の辺野古容認への方針転換を批判し、県外・国外移設方針を堅持する意向を強調した。

 金城徹市議は市議会で過去5回、県外・国外移設を求める意見書を可決したと述べ「日米安保の負担を県から全く動かさないのは理解できない」と不快感を示した。

 県連の方針転換には「説明を受けていないのでコメントできない」と述べるにとどめ、今後話し合いの機会を持ちたいとの考えを明らかにした。



沖縄タイムス 社説[自民県連 辺野古容認]恥ずべき裏切り行為だ : 「説明する石破幹事長は琉球処分官。一言も発言する機会がなく、椅子に座ったまま硬い表情の国会議員5人は、沖縄から連行され、恭順を誓った人びと…。」

沖縄タイムス
社説[自民県連 辺野古容認]恥ずべき裏切り行為だ
2013年11月28日 05:30
 
 沖縄関係の自民国会議員5人に続き、県議団(議員15人)も「県外移設」の公約をあっさり撤回した。「みんなで渡れば怖くない」を地でいくような雪崩現象だ。

 有権者はこれから何を信じて投票すればいいのか。「信なくば立たず」という格言があるように、言ったことを守り、ウソをつかないことが政治の信頼を維持する前提だ。有権者を欺き、政治への不信感を極限まで高めてしまった責任は限りなく重い。

 東京・永田町の自民党本部で開かれた石破茂幹事長の会見の光景は、歴史の歯車が1879(明治12)年の琉球処分まで後戻りしたような印象を抱かせた。

 説明する石破幹事長は琉球処分官。一言も発言する機会がなく、椅子に座ったまま硬い表情の国会議員5人は、沖縄から連行され、恭順を誓った人びと…。

 国場幸之助衆院議員ら3人は、それまで「県外移設」の公約を堅持していた。離党勧告をちらつかせた党本部の圧力に耐えきれなくなったのである。

 27日には、自民党県連(翁長政俊会長)が県議団の議員総会を開き、米軍普天間飛行場の辺野古移設を容認する方針を決めた。

 外堀から埋めていって、「オール沖縄」の構図を崩し、政治状況が変わったことを理由に仲井真弘多知事の翻意を促す-それが、安倍政権と自民党が一体になって進めてきた沖縄対策だ。

 だが、この方針は、政府自民党の強権的な手法と強引さを際立たせる結果を生んでいる。もういちど思い起こしてみよう。

 自民党県連は、2010年の参院選沖縄選挙区、12年末の衆院選で、党本部とは異なる「県外」の公約を掲げて戦い、衆参合わせて5人を当選させた。昨年6月の県議選で当選した15人も、そのほとんどが県外もしくは県外・国外を公約に掲げた。

 県内41市町村の代表らは今年1月、安倍晋三首相に会い、建白書を提出してオスプレイの配備撤回や県内移設の断念を要請した。自民党県議団は、その要請行動にも他の会派と共に加わっている。

 現在の自民党の国会議員と県議の大部分は「県外移設」を公約に掲げて当選した人びとであり、どの党にもまして県外移設に力を入れなければならない政治的な義務を負っているのである。

 それができないのなら、関係議員は全員辞職し、あらためて辺野古移設の公約を掲げ、信を問うべきだ。それが代表制民主主義の王道である。

 国会議員や県議団は公約撤回の理由について「普天間の固定化を避けるため」だと主張する。

 政府自民党首脳が「県外移設を求めるなら普天間は固定化する」と指摘するのは、沖縄の声を分断し、県外移設の公約を撤回させるための政治的な揺さぶりである。脅し以上の意味はない。

 思い通りに進まないことに対するいらだちの表れだとみたほうがいい。

 米軍が普天間返還に合意したのは(1)訓練の制約要因が多すぎる(2)墜落事故の危険性を除去する必要がある(3)施設全体が老朽化していることなど、米軍の中にも移設しなければならない理由があったからだ。

 そもそも普天間の固定化とは一体何を指すのか。返還計画そのものを白紙に戻すことなのか、返還が計画よりも遅れるということなのか。計画の遅延ということであれば、すでに固定化されていると言うべきだろう。

 普天間返還を白紙化することはあり得ない。グアム移設計画を含む米軍再編そのものが頓挫し、あらゆる問題に波及するからだ。

 仲井真知事は普天間固定化発言について「簡単に固定化を口にする役人がいるとすれば無能」「一種の堕落」であると批判した。至言である。

 政府は辺野古が唯一の選択肢だと強調する。ならば、安倍政権は、ほかにどのような選択肢を検討したのか、どのプランのどこに問題があったのかをまず明らかにすべきである。

 それもせず結論だけを押しつけるのは情報操作と言うしかない。




琉球新報社説  県連公約撤回 民意を裏切る行為だ 議員辞職し信を問え : 「公約を撤回する以上、有権者との信託関係は消滅した。」

琉球新報 社説 
県連公約撤回 民意を裏切る行為だ 議員辞職し信を問え
2013年11月28日

 自民党県連が県議の議員総会を開き、米軍普天間飛行場の辺野古移設容認を決めた。県議らは県外移設を公約していたから、公約の撤回だ。公約を媒介に有権者と候補者が契約を結ぶという代表制民主主義を根底から破壊した。

 それだけではない。沖縄の政治家の公約の軽さを全国に発信した。恫喝(どうかつ)に屈して節を曲げる大人の姿を子どもたちに見せてしまった。自らが県民の命と人権を脅かす側に回る罪深さを自覚しているのか。

 公約を撤回する以上、有権者との信託関係は消滅した。自民党県連の県議は全員、議員の職を辞し、信を問うべきだ。

近現代史に残る汚点

 県連は、党本部と県関係国会議員が合意した内容を進めるという。「普天間の危険性除去へ、辺野古移設も含めあらゆる選択肢を排除しない」というのがそれだ。県外移設も排除しないのだから公約撤回ではないと強弁したいのだろうが、詭弁(きべん)でしかない。

 昨年6月の県議選で、自民党県連の県議15人のうち、無投票の2人と回答保留の1人を除く12人全員が、移設先について「県外」ないし「県外・国外」を公約に掲げていた。「県内」を主張していた者は一人もいない。今後、彼らの公約を信じられるだろうか。

 県議会は2010年2月、「県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書」を、自民会派も含む全会一致で可決した。ことし1月には超党派の県議団が県内の全市町村長とともに県内移設断念を求める「建白書」を政府に提出した。県連の決定は、民意もこれらすべても裏切る行為である。

 党本部は今回、離党勧告をちらつかせていた。自民党国会議員も県連も、自分の保身のために沖縄を売り渡したに等しい。沖縄の近現代史に刻まれる汚点だ。

 彼らは普天間固定化の危険を方針転換の理由に挙げる。だがキャンベル前米国務次官補は「普天間で事故が起きれば住民の支持は壊滅的打撃を受ける」と述べ、米上院の重鎮マケイン氏も新駐日大使にその危険を警告した。固定化は、実は米側こそが避けたい事態であることを示している。

 こうした情報を収集しようともせず、沖縄に基地を押しつけておきたい側の言をうのみにしたのでは、分析能力が問われよう。

 西銘恒三郎衆院議員は「ボクは、正直だ」と公約違反に居直り、島尻安伊子参院議員は「待望の子どもが生まれた時にはみんなでお祝い」と、辺野古容認を無邪気に称揚した。侮辱的発言だ。

政府がネック

 キャンベル氏もデミング元米国務副次官補も、現行計画と別の選択肢の必要性を示唆している。現行計画をごり押しする言動を繰り返したアーミテージ元米国務副長官ですら、現行案と違う計画「プランB」の必要性を唱えていた。

 米国の財政悪化は深刻で、軍事費削減は焦眉の急である。海兵隊3個師団を2個に減らすことも決定事項だ。黙っていても在沖海兵隊は撤退の流れにある。なのにそれが表面化しないのは、日本政府が妨害しているからではないか。

 復帰後の1972年10月、米国防総省が在沖米海兵隊基地の米本国統合を検討していたのに、日本政府が引き留めたことが豪州の公文書で明らかになった。2005年の米軍再編協議でも、米側が県外移設を打診したのに日本側が受け付けなかった事実がある。

 沖縄の基地負担軽減のネックになっているのは日本政府なのだ。「県外移設などとんでもない」と言い放つ菅義偉官房長官の口ぶりに、政府の体質が表れている。

 県連は今後、知事に埋め立て承認を働きかけるというが、沖縄に犠牲を強いる先兵になるというのか。「県外」を堅持し気骨を見せる那覇市議団には、今の姿勢を貫いてもらいたい。沖縄さえ拒否の姿勢を続けていれば、現行案の断念は時間の問題なのだ。そうした情勢を冷静に見極めておきたい。



陸自が独断で海外情報活動 首相、防衛相に知らせず(47ニュース)

47ニュース
陸自が独断で海外情報活動 首相、防衛相に知らせず

陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」(別班)が、冷戦時代から首相や防衛相(防衛庁長官)に知らせず、独断でロシア、中国、韓国、東欧などに拠点を設け、身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきたことが27日、分かった。

陸上幕僚長経験者、防衛省情報本部長経験者ら複数の関係者が共同通信の取材に証言した。

自衛隊最高指揮官の首相や防衛相の指揮、監督を受けず、国会のチェックもなく武力組織である自衛隊が海外で活動するのは、文民統制(シビリアンコントロール)を逸脱する。

2013/11/27 20:16   【共同通信】




今朝の札幌をご覧ください。 (ツイッター写真)   ← ゆき!



内閣総理大臣への「「特定秘密保護法案」の廃案に関する要望書」提出について(真宗大谷派東本願寺)

真宗大谷派 東本願寺
内閣総理大臣への「「特定秘密保護法案」の廃案に関する要望書」提出について


(略)

「特定秘密保護法案」の廃案に関する要望書


  私たち真宗大谷派は、かつて戦争に協力した罪責を深く懺悔するとともに、仏教の教えに立ち、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設に向けて歩むことを誓いとしております。その教団を代表するものとして、「特定秘密保護法案」に対して深い懸念を表明いたします。

 本法案は、すでに各方面より指摘されているように、防衛・外交等に関する事柄についての国民の知る権利を著しく制限するものであるだけでなく、情報を得ようとした者の処罰まで規定されており、国民が知ろうとすることも制限するものとなっています。したがって、該当する事柄について、政府・行政が現在何を行っているのかを知ることができないばかりか、速やかな事後の検証も困難となってしまうことが予想されます。

(略)

現在、震災及び原発の問題や経済・国際問題など、国民の多くは大きな不安を抱えながら生活しています。国は、公明正大に国民の信頼にこたえ、人々の不信や不安を除くことを責務とするべきであります。本法案は、その責務に背くものであり、深い懸念を表明するとともに、速やかに廃案されるよう強く要望いたします。

2013年11月27日


秘密法案 戦争の足音 (インタビュー「むのたけじさんの実感」 『中日新聞』)


原爆が投下された直後の広島・長崎を調査したのは、日本では「日米合同調査団」とされている。しかしアメリカの公式文書では、それは「アメリカ軍合同調査委員会」と称される。この一例が示すように、調査を行った主体についてすら日本で正しく理解されているとは言えない

共産・仁比氏の「警鐘」に議場拍手(毎日新聞) : 「この法案は国会議員をも処罰対象にしている。巨大な行政権力・官僚機構に断固迫ってこそ、国会議員ではないか」

秘密保護法案:参院審議入り 「市民も処罰」懸念消えず(毎日新聞)

毎日JP
秘密保護法案:参院審議入り 「市民も処罰」懸念消えず
毎日新聞 2013年11月28日 06時00分(最終更新 11月28日 07時19分)

 国家機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法案が、27日の参院本会議で審議入りした。特定秘密を知った民間人などに対する捜査・処罰の規定を巡り、衆院採決で賛成したみんなの党を含む野党側が一斉に拡大解釈の恐れを指摘。与党からも市民の情報収集活動に支障が出かねないとの苦言が出た。安倍晋三首相は「国民の基本的人権や報道の自由に十分配慮する」と強調したが、「知る権利」を行使する市民を萎縮させたり冤罪(えんざい)を招いたりするとの懸念は払拭(ふっしょく)されなかった。

 「処罰対象になる行為があいまいだ」(民主・桜井充氏)「逮捕・起訴するだけで民間人や対抗する政治勢力への威圧になる」(みんな・真山勇一氏)。27日の参院本会議での質問は、民間人や報道記者の特定秘密の入手を巡る規定に集中した。詐欺、暴行、脅迫などの違法行為のほか、情報を保有する公務員の「管理を害する行為」に最高懲役10年▽情報漏えいの共謀やそそのかし、あおった場合は実際の漏えいがなくても最高懲役5年−−とする内容だ。

 これに対し安倍首相は、人権侵害の防止や国民の「知る権利」に配慮する法案の努力規定を挙げ、「罪に問われる場合、(情報を)取得した人自らが特定秘密だと認識していなければならない」と説明。森雅子特定秘密保護法案担当相が衆院審議で述べた「一般人が特定秘密と知らずに情報を知ろうとしても一切処罰されない」との答弁を踏襲した。しかし、情報を取得した人が「特定秘密と知っていたかどうか」は捜査機関が個別に認定するもので、恣意(しい)的な運用につながる懸念が拭えない。

 現行の国家公務員法や自衛隊法などは機密を漏らした公務員への処罰が主眼だが、特定秘密保護法案は漏えいした公務員に加え、情報を入手した側の民間人や報道機関まで広く処罰の「網」をかけるものだ。しかし、衆院審議では知る権利や情報公開の阻害、国策を巡る世論の萎縮といった問題についての議論は深まらず、自民、公明、みんな、日本維新の会の4党修正案もほとんど改善していない。



【秘密保護法案】 批判の声、各方面から/海外からも厳しい視線/「十分な審議が行われないまま」 (47トピックス)

47トピックス
【秘密保護法案】 批判の声、各方面から/海外からも厳しい視線/「十分な審議が行われないまま」

▼批判の声、各方面から 海外でも「自由弱体化」 
 情報漏えいへの罰則を強化する特定秘密保護法案には、各方面から批判の声が上がっている。「国民の知る権利が侵害される」「社会全体を萎縮させる」。数多くの団体が反対声明を出し、シンポジウムや集会を相次いで開催。海外からも「言論の自由を弱体化させる」などと厳しい視線が注がれている。
 日本ペンクラブ、日弁連、新聞労連、憲法や刑事法の学者、長崎の被爆者団体…。さまざまな団体が反対や懸念を表明した。
 今月7日の法案審議入り以降、市民団体やメディア関係者などが中心となり、各地で集会も開いた。東京・日比谷公園で開かれた21日の反対集会には、主催者発表で約1万人が参加した。
 地方にも動きが広がっている。弁護士会は地域ごとに街頭行動や集会で反対をアピール。札幌市の集会では寸劇も交えて法案の危険性を伝えた。
 一方、世界102カ国の作家やジャーナリストでつくる「国際ペン」は、法案について「政治家と官僚が言論の自由を弱体化させ、自らに権力を集中させようとしている」と指摘した。
 米紙ニューヨーク・タイムズも「何が秘密に当たるのかの指針がない」と批判した。(2013年11月26日)

▼記者や告発者の処罰懸念 人権団体が修正求める
 【ニューヨーク共同】国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)は25日、日本の特定秘密保護法案の修正を求める声明を発表した。
 公益を考慮した「内部告発者やジャーナリストへの保護を明示的に与える」ようにし、特定秘密の定義を「安全保障に深刻な脅威となる情報」に限定するよう修正を要求。修正されなければ国会は否決すべきだと主張した。
 声明は、国家秘密が内部告発により漏れた場合でも、公表による公益の方が大きければ処罰しないのが国際基準だと指摘した。その上で法案が「民主主義にとって大切なことを知る権利と、情報が漏れた場合の害の大きさとを比べる」仕組みがないままに情報を秘密にできることを批判した。
 日本も締約している国際人権規約の規定を紹介し、知る権利の国家による制限は国の安全を守るのに必要な場合、最小限に限り認められると主張した。(2013年11月26日)

▼怒りを込めて抗議 浅田ペン会長が会見
 日本ペンクラブの浅田次郎(あさだ・じろう)会長は26日、東京都内で記者会見し、特定秘密保護法案について「深い失望を覚えるとともに、大いなる怒りを込めて抗議する」との声明を発表した。
 声明は、参議院で今後、法案の不当性が明らかにされ、廃案とされることを求めている。
 浅田会長は会見で「私たちの社会を危うくする、最も許し難い法案。自由に表現できなくなることは文化の崩壊だ」と厳しく批判した。
 同席した理事で作家の下重暁子(しもじゅう・あきこ)さんは「はっきりものを言わなくなる自主規制が怖い。それが法案の狙いの一つでもあると思う」と発言した。(2013年11月26日)

▼拙速採決に抗議する 日弁連会長が声明
 日弁連の山岸憲司(やまぎし・けんじ)会長は26日、特定秘密保護法案が衆院本会議で可決されたことに「拙速な採決に強く抗議するとともに、良識の府である参議院で十分な審議を尽くすよう要請する」との声明を出した。
 声明で「十分な審議が行われないまま採決が強行された。法案のもたらしかねない重大な影響に鑑みると到底是認できない」とも述べた。(2013年11月26日)

▼成立阻止に全力 新聞労連委員長
 新聞労連の日比野敏陽(ひびの・としあき)委員長は26日、特定秘密保護法案が衆院本会議で可決されたことを受け「参院では徹底した審議を行い、廃案にすべきだ。言論・表現の自由を守る立場から、法案の成立阻止に全力を挙げる」とする緊急声明を出した。
 声明で「十分な審議を行うことなく強行採決したことは、国民主権と民主主義の原則を踏みにじる暴挙だ」とも述べた。(2013年11月26日)

▼「知る権利覆しかねない」 出版団体が抗議
 日本雑誌協会と日本書籍出版協会は26日、特定秘密保護法案について「国民の『知る権利』や報道・出版の自由を根底から覆しかねない法案の衆院可決に断固抗議する」との声明を発表した。
 声明では秘密の内容や範囲など、ほとんどの疑問が解消されていないとして「国民が知るべき情報が隠匿されてしまう」と指摘している。(2013年11月26日)
 (共同通信)

togetter 「特定秘密保護法案」衆院可決翌日の、各紙社説一覧

togetter
「特定秘密保護法案」衆院可決翌日の、各紙社説一覧

 11/27付けの全国紙、地方紙の「秘密保護法案衆院可決」についての社説一覧になります。
元々「社説リーダー」というアプリ(現在配信停止中らしい)から取得しているため、朝日新聞、信濃毎日新聞、北海道新聞については、サイト登録および信毎と道新については有料記事になるかと思います。
予めご了承ください。
また、中日新聞は東京新聞と同じだったため、省略しております。


11月28日夜 今夜も官邸前で抗議 「秘密保護法いらない」 「STOP!特定秘密保護法案 官邸前アクション」 (ツイッター写真)











2013年11月27日水曜日

パワーズ 『領収書』   「ひとつよろしく 領収書」


2審もアレフの名誉毀損認める 長官銃撃事件「オウム」名指しの捜査結果公表 (MSN)



MSN
2審もアレフの名誉毀損認める 長官銃撃事件「オウム」名指しの捜査結果公表
2013.11.27 11:40


東京 北の丸公園のイチョウはいまピーク 2013-11-27

北の丸公園のイチョウはいまピーク
11月27日

▼メイン道路の中央に仁王立ちしているイチョウ

▼武道館前の大イチョウ
色はこれからもっと鮮やかになる



東京 江戸城(皇居)東御苑の紅葉 いまピークでしょ 2013-11-26

江戸城(皇居)東御苑の紅葉
いまピークでしょ

前日の暴風雨でかなり散った様子が見て取れた

11月26日
やや駆け足で二の丸雑木林と本丸広場をまわった

12月4日の状況
東京 江戸城(皇居)東御苑の紅葉 ピークは過ぎたけれどもまだまだ見ごろ 2013-12-04

▼二の丸雑木林




▼本丸広場


▼本丸裏

ちあきなおみ 『紅とんぼ』 (Youtube)


ちあきなおみ 『紅とんぼ』

ロイター MLB=野茂氏が米殿堂入り候補に、日本人初


[26日 ロイター] -全米野球記者協会は26日、2014年の米国野球殿堂入りの候補者を発表し、大リーグ(MLB)ドジャースなどで活躍した野茂英雄氏(45)が日本人選手として初めて選ばれた。

野茂氏はメジャー入りした1995年、ドジャースでリーグ最多の236奪三振を記録し、新人王を獲得。12シーズンで123勝を挙げ、通算1918奪三振を記録した。

カブスとブレーブスなどで通算355勝を挙げたグレグ・マダックス氏も候補入りした。また、通算305勝のトム・グラビン氏、通算521本塁打のフランク・トーマス氏らも有力候補と見られている。

投票結果は来年1月8日に発表される。

赤福前社長:「おかげ横丁に外人は来てほしくない」(毎日新聞) : 伊勢神宮のお膝元で排外主義者が公然と商売をやっているという事実。

毎日JP
赤福前社長:「おかげ横丁に外人は来てほしくない」
毎日新聞 2013年11月27日 08時30分(最終更新 11月27日 10時30分)

20年に1度の式年遷宮でにぎわう三重県伊勢市の伊勢神宮内宮(ないくう)門前にある商店街「おかげ横丁」について、地元の老舗和菓子製造販売「赤福」の前社長、浜田益嗣(ますたね)氏(76)が26日、津市であったフォーラムの対談で「おかげ横丁には外人は来てほしくない」などと発言した。伊勢市は今年の神宮参拝者を1300万人と予測し、外国人誘客にも取り組んでいる。

フォーラムは同県などが主催。地域活性化をテーマに、経営者ら約350人が集まった。この中の対談で、おかげ横丁建設の経緯などについて聞かれた浜田氏は「外人は来てほしくない。いたらおかしいでしょ。来ないでくれとは言えないが、英語の表記をするような気遣いはしない」と話した。

内宮、外宮(げくう)では今年10月、式年遷宮のクライマックス「遷御(せんぎょ)の儀」が行われ、参拝者が過去最高の1000万人を突破している。市は外国人観光客をもてなすため、飲食店や土産物店の経営者向けに英会話の研修会を開くなどしている。

浜田氏は毎日新聞の取材に、社長を務める関連会社を通じて「伊勢は日本人の心のふるさとで、日本の方々に喜んでもらう街をつくりたいという意味の発言だった。外国人への偏見ではない」とコメントした。【大野友嘉子】

【ことば】おかげ横丁

浜田益嗣氏が発案、赤福が140億円を投じて1993年7月にオープンさせた伊勢神宮内宮前にある商店街。約1万3000平方メートルの敷地に、飲食店や土産物店など50店以上が並び、江戸末期から明治初期の門前街の風情を再現している。運営は赤福の子会社。三重県によると、昨年は452万人が訪れた。浜田氏は元伊勢商工会議所会頭。