2013年12月29日日曜日

「英霊」は餓死、自殺攻撃をさせられた--装置「靖国」賛美の違和感(アゴラ 石井孝明) : 「靖国神社は死を「聖化」するための国家神道内の「装置」であり、「人工物」である。純粋な宗教施設ではない。」

アゴラ
「英霊」は餓死、自殺攻撃をさせられた--装置「靖国」賛美の違和感
石井 孝明

宗教施設ではなく「聖化」の装置

安倍首相が戦没者の慰霊を目的に、靖国神社を訪問した。太平洋戦争をはじめ、戦争で亡くなった方を慰霊することに反対する人はいないであろう。私もそうだ。

しかし慰霊の形が「靖国神社を参拝すること」であるべきとは思わない。靖国神社は、合理性、人間性を欠いた組織である帝国陸海軍の施設であり、問題の多いイデオロギーである国家神道の「装置」である。「慰霊の場」だけの意味を持つ存在ではないのだ。それを賛美するのは不思議だ。
そもそも靖国神社はどのような存在か。日本の軍事史を学べば次のことが分かる。

1・近代国家では、どの軍隊でも、異常な行為である戦争を遂行するための精神的支柱を必要とする。日本帝国の場合は、天皇を神とし、それが軍を統率するという虚構を作った。国家神道というイデオロギーを作り、天皇を祭祀長とした。

2・国家神道は、日本の土俗宗教である神道を変容させたものだ。そして内容は漠然とした面があり、理を突き詰めない日本の精神的風土と合っていた。

3・靖国神社、また全国に置かれた護国神社は、戦争による不条理の死を、生きる軍人、また周囲の遺族に納得させるための存在だった。死者が尊い神になるという虚構をつくり、その死を意味のあるものした。

4・つまり、靖国神社は死を「聖化」するための国家神道内の「装置」であり、「人工物」である。純粋な宗教施設ではない。

ちなみに、高橋哲哉東大教授の著書『靖国問題』(ちくま書房)、池田信夫アゴラ研究所所長のコラム「靖国参拝という非合理主義」も、同趣旨の認識を示していた。左右に言論界を分けるのはばかばかしいことだが、左(?)の高橋氏も、右(?、というより合理主義者だが)の池田氏にも共通したということは、これらはどの立場の人も問題を考える際に受け止めるべき事実であろう。

靖国神社が当時の人々の戦死の恐怖を完全に乗り越える装置になったとは思わない。しかし重要な役割を果たした。境内には戦前の陸海軍関係の記念碑が大量に並んでいる。

日本帝国陸海軍の非合理性

(以下略)


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