2014年5月29日木曜日

オプラ・ウィンフリーが師と仰ぐ黒人女性作家マヤ・アンジェロウが死去 (Masako Iwasaki) / Hate, it has caused a lot of problems in the world, but has not solved one yet. (憎しみ、それは世界中で数々の問題を引き起こしてきたが、問題を解決したことは一度としてない)

YAHOOニュース
オプラ・ウィンフリーが師と仰ぐ黒人女性作家マヤ・アンジェロウが死去
GQ JAPAN 5月29日(木)1時4分配信

1969年上梓の自伝『歌え、翔べない鳥たちよ』で知られる黒人女性作家・詩人のマヤ・アンジェロウが死去した。享年86歳。

大統領就任式での朗読のビデオはこちらから

アンジェロウは1928年にミズーリ州で生まれた。出生時の名前はマルグリット・アン・ジョンソン。当時、黒人差別の根強い南部では、黒人が公共施設を利用することを禁じるジム・クロウ法を制定する州が多く、ミズーリもそんな州の一つだった。隔離された黒人だけの社会で育ったマルグリットは、母親の恋人による性的虐待など、苛酷な少女時代を過ごす。若くして未婚の母となり、コックやダンサーとして働きながら子供を育て、30代にさしかかったときにマヤ・アンジェロウ名義で文筆活動を始める。そして黒人の地位向上を目指す運動に身を投じ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)らとともに公民権運動の担い手として精力的に活動した。

アンジェロウはその生涯において『歌え、翔べない鳥たちよ』をはじめとした7冊の自叙伝と、3冊のエッセイ、詩集をいくつか出版した。簡潔でわかりやすく、それでいてとても力強い彼女の言葉は、時代を超えて受け継がれている。

1993年にはクリントン大統領(当時)の就任式に出席し、自作の詩「On the Pulse of Morning」を朗読した。文筆家としても人権活動家としても素晴らしい功績を残したアンジェロウは、米国で最も有名な黒人女性作家として知られていた。そして米国で最も有名な司会者であるオプラ・ウィンフリーは、アンジェロウを師と仰いでいたという。

晩年も講演活動を積極的に行い、ウェイク・フォレスト大学でアメリカ史を教えるなどしていたが、86歳という高齢からか入退院を繰り返していた。そして米国時間5月28日、アンジェロウのFacebookページに家族による訃報が書き込まれた。

「マヤ・アンジェロウは朝8時前に、自宅で静かに息を引き取りました。彼女は教師、活動家、アーティスト、そして人間として生きました。彼女は平等と平和のために戦った戦士でした。彼女の家族は、ともに過ごすことができたことを心から感謝しています。そして彼女は、愛に満ちたまなざしで我々を見守っていてくれているでしょう」。

最後に、アンジェロウの言葉を引用したい。

Hate, it has caused a lot of problems in the world, but has not solved one yet. (憎しみ、それは世界中で数々の問題を引き起こしてきたが、問題を解決したことは一度としてない)

ウクライナ紛争、シリア内戦、日韓・日中問題……今、この時にも憎しみをぶつけ合う世界情勢を思うに、この言葉は心に響く。

Masako Iwasaki


NHK
米作家マヤ・アンジェロウさん死去
5月29日 6時00分

アメリカの公民権運動に取り組み、波乱万丈の少女時代をつづった「歌え、翔べない鳥たちよ」がベストセラーとなったことでも知られる黒人の女性作家のマヤ・アンジェロウさんが28日、アメリカの自宅で亡くなりました。
86歳でした。

マヤ・アンジェロウさんは、1928年、中西部ミズーリ州に生まれ、ダンサーや女優を経て30代になってから本格的に文筆活動を開始しました。
7歳の時、母親の恋人から乱暴された過酷な幼少時代から17歳で未婚の母になるまでをつづった自伝、「歌え、翔べない鳥たちよ」は1969年に発表され、ベストセラーとなりました。
一方、キング牧師やマルコムXといった人権活動家との交流も深く、黒人に対する差別撤廃を求めたアメリカの公民権運動にも取り組みました。
アンジェロウさんが紡ぎ出す力強い詩は、その後もアメリカで多くの人に愛され、1993年のクリントン元大統領の就任式ではみずから詩を朗読しました。
今回の訃報をアメリカのメディアは大きく取り上げたほか、オバマ大統領も声明を発表し、みずからの妹の名前がアンジェロウさんにちなんで名付けられたことを紹介したうえで、「彼女の優しいことばや力強い抱擁は、わたしたちに世界のためにできることがあると教えてくれた」と述べ、死を悼みました。















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