2014年7月17日木曜日

トマ・ピケティ『21世紀の資本論』って?(3) 「ピケティ・パニック---『二一世紀の資本論』は予告する」赤木昭夫 (『世界』8月号)

ピケティ・パニック---『二一世紀の資本論』は予告する
赤木昭夫
(『世界』8月号)
1932年生。元慶應大学教授。英文学・学説史。著書に『電子書籍と文化の未来』など、訳書に『神と人種--アメリカ政治を動かすもの』。

*小見出しは勝手に付けさせて戴いた。
また、<引用>内についても、読み易さのために段落、改行を施した。

英仏でベストセラー
<引用>
「七〇〇頁、厚さ五センチの大著が、フランスとアメリカでたちまちベストセラーになった。フランス原語版が昨年九月、英語版が今年四月に出た。それぞれ初版が五万部と八万部、一か月で英語版は版元在庫切れとなり、増刷に入った。」

■右派と左派が書評で応酬
アメリカでは、共和党系シンクタンクAEI(アメリカン・エンタプライズ・インスティチュート)の誤報を含む書評を下敷きにして、出版前の3月から右派が本書を攻撃した。

<引用>
「でたらめに気付いたのか、クルーグマンが四月二四日付の『ニューヨーク・タイムズ』のコラム欄に「ピケティ・パニック」を寄せた。
狼狽した保守派が、ピケティ案を非現実的で実行不能と片付けようとするのみで、対案も出せず、ピケティと支持派にたいしコミュニスト呼ばわりを始めたと、クルーグマンは言論弾圧の危険な兆候を糾弾した。

それでも中傷はおさまらず、最後にレーガン政権で経済諮問委員会議長であったマーチン・フェルドシュテインが登場し、「ピケティの数字はつじつまが合わない」と、『ウォールストリート・ジャーナル』(五月一四日付)で異を唱えた。
彼は誤報の八割課税を受け売りし、さらにピケティはアメリカの一九八〇年代からの税制変更、つまり高額所得者の優遇を計算に入れていないと難癖をつけた。
これは語るに落ちたのを通り越し、フェルドシュテインの底意とは逆に、ピケティの資本主義分析(後述)に塩を送ったのではなかろうか。
保守派論陣の狼狽、耄碌、矛盾を露呈してしまった。」

■格差の激化で深まる右傾化
<引用>
「本書が大当たりした理由は、世界の行き詰まりとして現在進行中の「右傾化」に訴えたから以外にはない。

富裕層はいよいよ富み、貧困層はいよいよ貧しくなり、不平等が重大化してきた。
だが、まだ多数を占める貧困層が、変革を叫んで立ち上がるには至らない。
その前段階が右傾化である。
主導するのは、体制の巨悪をはぐらかされ、浮かばれないのは下層救済の負担のためと思いこまされた中間層であり、彼らは変革よりも旧態の安穏を求める。
それにたいし彼らの意を迎えようと、保守もどきの政権がポピュリズムへ傾き、行き詰まれば、ファシズムを呼び込みかねない。

ふりかえると、二〇一四年前半の日本を含め世界の主なニュースは、右傾化がらみであったと総括される。」

五月の欧州議会選挙、六月のアメリカの下院議員の予備選挙、三月のロシアのクリミヤ併合などにその兆候が見える。

<引用>
「エリツィン時代に経済相であったヤーシンは、独裁のため経済成長率は二パーセントで停滞が続くが、国民は従うであろうと右傾化を読んでいた(『フォーブス・ロシア』二〇一三年一二月二三日付)。」

■二一世紀末の世界を予告する
<引用>
「こうした状況の先はどうなるか。
三五三~三五八頁でピケティは実に明快に答える。
重大な政治的反作用がなく、金融の地球化が続けば、二一〇〇年には、資産保有者が一方的に富み、不平等が現在よりも激化すると予告する。

明確な理由は二つ、第一に資産にたいする税引き後の利率は四パーセント強が続くからである。
第二に(資産の大きさの尺度になる収入、その伸びに相当する)経済の年成長率は、現在の三パーセントから半分の一・五パーセントに低下するからである。
第一の要因と第二の要因の差がますます広がり、不平等を強める。・・・

なぜそうなるか。
第一については、利率は必然ではなく、長期的には、歴史的な社会的な政治的な力関係で決定されるためである。具体的には、これからも国際的規制が弱く金融工学が幅を利かす現在の状態が続き、利率が相変わらず操作され高く保たれるからである。
第二については、もっぱら(収入すなわち経済成長で重きを占める先進国の)人口減少のためであり、さらに技術の停滞も作用するからである。」

WTID(ワールド・トップ・インカムズ・データベース)の構築と公開
<引用>
「・・・一五年間にわたって一貫してピケティは、盟友のアトキンソン(英オクスフォード大)やサエズ(カリフォルニア州立大)たちとともに、国際的な新進気鋭の研究者の協力ネットワークを組織し、経済の総体は「資産と収入との関係」を中心に分析すべきと狙いを定め、データの集積と検討に努めてきた。・・・古くは一七世紀から、広くは日本も含め二〇を超える国々から、資産と収入(税金)のデータを集め、エクセルによるWTID(ワールド・トップ・インカムズ・データベース)を構築し、研究のため公開してきた。・・・」

英『フィナンシャル・タイムズ』記者がWTIDに基づきピケティの説を批判した際のピケティとの論争は、結果的には記者が引き下がったが、「公開のデータベースの真価が発揮され」、「アメリカでの中傷の暗闘とは対照的で、論争はフェアであった」という。

マルクスとは逆に、ピケティは「利子率の上昇ないし高止まり」を結論とする
<引用>
「ピケティは、マルクスの時代には歴史的データが不備であったにしても、マルクスが当時でも得られたデータを活用しなかった点を指摘する。
マルクスはデータよりも論理にたよって結論を導くのに急で、無限の資本の蓄積、そのための競争による「利子率の低下」、それを埋めるための搾取の強化、労働者の決起へと歴史の筋道を説いた。
資本の蓄積への着眼は大いに評価するとしても(八~一〇頁)、少なくともマルクスが予言した利子率の低下は結果的に誤りであったと、ピケティは明言する(五二頁)。・・・」

ピケティの自説にたいする確信は、彼の歴史的方法に由来する
<引用>
「・・・第一に、歴史的事実である資産と収入のデータから出発する。
第二に、それらを縦横に検討することを通じて、わかりやすく、かつ決定的な資産と収入の関係を見出す。
第三に、関係の推移から、関係の推移の原理、それから派生する法則を引き出す。
第四に、それらによって歴史的経過が説明できるかどうかを確かめる。
その上で第五に、法則に従って将来の推移を予測する。

第一から第四までを、時代や地域を変えて、幾通りも検討を重ね、方法が正しく有効かを確かめる。実に着実で明断である。・・・」

ピケティの第二法則「利率は常に成長率より大である」
「仏英・米・日について、資産の大きさの指数としての収入との比、つまり、それぞれの国の総資産をGDPで割った値の変化に注目する」と・・・、

「そこには二〇世紀の特質、富の恒常的な増殖という歴史の基調にたいして、両世界大戦と大恐慌とによる損失と大幅な増税のため、世紀の中央において著しい資産の減少、そのための不平等の軽減(Uカープ)が見られる。
だが、一九八〇年代からの力ずくの政治による大幅な金融規制解除と金融の地球化とによって、再び資産の増加、それに伴う不平等の増大へ転じた経過が確認される。」

従って、ピケティの第二法則は、「歴史的事実に合致し、かつ資産対収入比から数理的に導かれる」。

さらに、「複雑さに惑わされたり、煩わされたりせずに、明快に二一世紀の後半の富の不平等の度合いを、この章の冒頭のように明快に予告できるのである。」

■世界経済に停滞の兆候
<引用>
「ピケティが予告する二一世紀末の暗さ、経済的な不平等のための民主主義の後退、社会階層の流動性(ソーシャル・モビリティ)の低下、意欲喪失による競争の不振などの兆候は、すでに経済停滞(スタグネーション)として、ごく最近まで好調と思われてきたドイツ、中国、オーストラリアでもうかがわれる。しかし停滞はこれら三か国に限られない。」

「日本のアベノミクスは、庶民にとっては、円安、石油などの値上がり、増税でインフレ、かつ収入が伸びず、デフレ脱却どころか、厄介なスタグフレーションと化しつつある。」

■世界共通資産税の提案
<引用>
「世界を暗くする富の集中による不平等の激化を防ぐため、ピケティは五一五~五三九頁で世界共通の資産税を提案する。

二〇世紀の発明は社会民主制と累進課税による富の再配分であったが、二〇世紀の最後の二〇年間にそれが覆されたので、立ちなおさせるため、二一世紀には少なくとも世界共通資産税によって富の再配分を志向するのが当然なのである。」

「・・・数年前までは考えられなかったが、スイスの銀行もアメリカ当局に口座情報を提供するようになった。・・・」

「いきなり世界共通ではなく、地域共通から始め、それを世界共通へつなげていく。永続きさせるため毎年の低率課税とする。・・・」

「ピケティが提案する累進税率は、あくまでもEUに限定した仮の案であるが、・・・円に換算すると、六億五〇〇〇万円の資産にたいして税額が年六五〇万円と計算される。資産が一億三〇〇〇万円以下は無税である。」

■アメリカ的経済学への批判
ピケティの学風
<引用>
「彼は一六歳でバカロレア(大学入学資格)を得て、一八歳で高等師範に入学し、二二歳で博士号を与えられた。最初の論文では厚生経済学の分野を扱ったが、博士論文からは指導教授の専門の「経済的不平等」へ転向した。
二年間MIT准教授のあとは、フランスに戻り、所属は変わったが、テーマは変えずに研究を続けた。
知的活力にあふれる若いうちに大テーマに取り組ませ、結果的に他の国々の場合にくらべ長く深く研究させ、新天地を開かせる。
これがフランスの英才による知的生産の伝統的な制度であるが、ピケティの履歴はみごとにこの基本体制に合致する。

その賜物に他ならないが、フランスの社会科学(史学・政治経済学、社会学、文化人類学など)の独自性は、データに基づく理論の形成であるのはもちろんだが、まさにピケティの場合もそうであったが、それ以上に注目すべきは広大なテーマへの野心的な取り組みである。
その伝統はとくにエミール・デユルケーム、マルセル・モース、クロード・レヴィ=ストロースと、社会学者ないし文化人類学者において著しい。
なかんずくモースが提言した「フェ・ソシアル・トタール(総社会的事実あるいは活動)」を対象とする壮大な構えと、経済的不平等という総合的テーマに取り組むピケティの姿勢との間には、通底しあうものが色濃く存在する。」

アメリカの経済学への批判
<引用>
「ピケティは三二頁において、「歴史的研究を犠牲にしての、数学、そしてただ理論的な、しばしば高度にイデオロギー的なスペキュレーションにたいする、子供じみた熱情を克服しなければならない」ときがしく批判する。」

(おわり)




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