2014年8月31日日曜日

戦後70年へ 国家の枠を超えて (孫歌 『朝日新聞』2014-08-27) : 「沖縄で集団自決を強いられた民衆の記憶も、南京で虐殺された民衆の記憶と重ねてとらえることができます。」

戦後70年へ 国家の枠を超えて (孫歌 『朝日新聞』2014-08-27)
スングー 55年、中国吉林省生まれ。竹内好ら日本の政治社会思想を研究。一橋大客員教授など歴任。著書に「歴史の交差点に立って」ほか。

共に相手直視せず
日中が相互不信
対等な心理持とう

「人間」の視点で
歴史の本質を捉え
理解積み上げて

戦争が終わって70年がたとうとするのに、歴史認識をめぐる日本と中国の溝は深まるばかりだ。
歴史論争を国家や政治家だけにゆだねていいのか。
加害と被害という立場の違いを超えて歩み寄ることははたして可能なのか。
中国を代表する日本社会思想の研究者で、日中の知識人交流に力を注いできた孫歌さんに聞いた。

■日中間の相互不信がなかなか解けません。
「よく日本の人から言われます。『中国はとても活気に満ちていますね。でも言論の自由がない』。経済は発展しているけど、市民の教養度は低く、人権は軽んじられ、独裁で大変だと。
問題は実際の中国を見る前からこの結論が用意されていること。これも冷戦思考です。
確かに中国には不自由がありますが、日本のように『空気を読む』必要のない自由はあります。体制でも反体制でもない空間で、自分で考える個人も確実に増えています。彼らの声、認識、発想は実に多様なのです」

社会生活面の優越感が差別にもつながっています
日本人の『中国産食材イコール危険』はイデオロギーの域に達しています。
日本でも産地偽装など問題はあるのに、なぜ同じ尺度で考えないのでしょうか」

■中国側にも問題はありませんか。
「列強に植民支配された中国は劣等感が強い歴史を経験し、それが逆転した形での反発も強まりました。外国を見るときに、つい中国の立場を意識してしまうのです。外国に素直に好奇心を持ち、対等な心理で接する準備がまだできていない」

「かつて中華世界の辺境にあった日本が先進国になったことへの屈折した思いもあります。優越感と劣等感の間で心のバランスが取れない。つまり日中間に対等な社会心理がずっと存在してこなかったのです」

■2年前の中国の反日デモは多くの日本人に衝撃を与えました。
「中国社会には、日本に対してよりも、『弱腰』だと考える自分たちの政府への不満が強い。私は同調しませんが、『過去を直視しない日本に断固対抗すべきだ』という心理になりやすい雰囲気はあります」

「でも反日デモでは『釣魚島(尖閣諸島)は中国のもので、(日本のセクシー女優の)蒼井そらは世界のもの』というメッセージが若者の間を駆け巡りました。中国のマンガ世代は大衆文化を通じて日本に親しみを感じています。日本を訪れた観光客もそうです。安倍政権への反感は強いですが、国家政治レベルの『反日』は生活実感とはかけ離れています。
現代中国人の日本理解は、こうした位相の異なる反感と好感の上に成り立つ実に複雑なものなのです。」

■     ■

■歴史認識をめぐって日本に対する見方も厳しくなっています。
「日中で戦後処理をめぐる時間軸が大きくずれていて、認識がかみ合わないのです。
多くの日本人は、1952年の台湾との平和条約(日華条約)で戦後処理が終わったと考えましたが、大陸中国にとって日本との戦後は(国交が正常化した)72年に始まりました。当時は文化大革命で賠償の問題より国のプライドが優先しました。しかし日本の謝罪は不十分でした。90年代以降、中国社会も変わり、自立し始めた民間から補償などの要求が出てきたのです」

「一方で中国では、ある世代までは非常にリアルな被害の経験と意識がありました。南京以外でも大勢が殺されました。日本人は被害者の心情を想像せずに『政府にコントロールされている』と思い込んでいませんか。戦争責任を認める日本の良識層も、それを否定する右派との論争は国内にとどまり、被害者との連帯は十分ではありませんでした」

■戦争の被害をどのように考えればいいのでしょうか。
「慰安婦にされた人や細菌戦で健康を害した人、様々な被害証言を集める活動が中国ではあります。その体験を記憶することは被害国の人の歴史的責任です。その努力の上に平和は成り立つのであって、報復のためではないことを知ってほしい」

「日本人にも被害体験がありますね。
広島、長崎での被爆の記憶が福島の事故でよみがえりました。誰が犠牲になったのか、加害者は誰か。福島をはじめ多くの日本人が今これを追及しているでしょう。
沖縄で集団自決を強いられた民衆の記憶も、南京で虐殺された民衆の記憶と重ねてとらえることができます
広島・長崎、沖縄、そして南京は、いずれも戦後の文脈の中で国際情勢によって絡み合っています。これらの文脈を一緒に整理する作業は、国の枠組みを超えて戦争・戦後責任の追及に結びついていくはずです」

■加害と被害を「国家」という枠組みではなく、人間の視点でとらえようということですね。
「加害と被害を国の単位で整理することも必要でしょう。しかし国と国の関係だけでは歴史の本質を突くことになりません。
国の視点から見ると人間は人形のように権力に翻弄される存在ですが、生活の視点から見た人間は決して人形ではない。それを実感したのが、春に訪れた長野県の満蒙開拓平和記念館でした」

■「実感した」とは?
「満州事変後、中国東北部に移住した開拓者の多くが日本の貧しい農民でしたが、地元農民から土地を奪い、彼らを使用人にして豊かな生活を得ました。しかし敗戦で集団自決に追い込まれたり、極貧状況に追い込まれたりなど大変な苦難も経験しました。記念館はそうした記憶をありのままに保存しているのです」

「当時、日本人を手助けした中国の農民がいた。苦労しながら日本人孤児を育て上げた養父母もいた。彼らは道徳的勇気と豊かな人間性をたっぷりと表現した人間です。被害者という一語で片づけられない強い力も体現しています。残留孤児も単なるかわいそうな日本人ではなく、普通の日本人にはない『越境』という貴重な文化的経験を背負っています。被害者と加害者という二つの分類しかなければ、こうしたことは解釈不能になってしまうのです」

「当初は優越感や差別意識を持っていた日本人入植者は、苦難を経て中国人も自分と同じ人間なんだ、という実感に至りました。こうした現象も国家単位で歴史をとらえているとなかなか見えてきませんね」

■   ■

■でも、なぜ中国の農民は自分たちを虐げた日本人に手を差し伸べたのでしょうか。
「簡単にいえば、『天下』という公理感覚、人間関係を規定する道徳システムです。中国の王朝権力ではなく庶民の空間に古くから息づく生活倫理です。かつて中国の農民は王朝が滅びるのは恐れないが、天下が滅びるのを恐れる、といわれました。危機にさらされた幼い子供がいれば、敵の子供でも手を伸ばして助ける。学歴がなかった農民だったからこそ、その感覚がストレートに表出されたのでしょう」

「人間は単純な存在ではありません。彼らは時に抵抗し、時に従順な態度をとる。それでいて時には国家を無視する。いろいろな変化があります。国家政治とは関係がない庶民の人間関係も存在するのです」

■庶民の生活倫理は今の中国にもあるのでしょうか。
「今の中国にも『天下』はあります。近代国家システムとの関係は複雑で、当然、混乱も起こります。日本人はとかく西洋のレンズで『法治社会でなく人治社会だ』などと片づけがちです。しかし、こうした中国の歴史の論理を先入観なしに見ることによってはじめて、相互理解は深まるはずです」

■   ■

■日中の緊張を解消するために個人でできることは何でしょうか。
「好奇心です。うっかりしていると陥ってしまう傲慢、偏見とか差別などの社会心理と戦いながら、平等な視点で他の国や人々を理解しようとする好奇心さえあればいい。
昔はお互いの文化の接触が少ないところから戦争へと動員されました。いまは様々な形で日中の個人的な交流が蓄積しつつあります。個人の体験を踏まえて、文化理解を積み上げていけばいいのです」

「ネット時代、情報は氾濫していますが、自分の好きな疑似世界に閉じこもりがちです。短い会話を交わす気分的パターンから、思考も短絡的になります。同じ現象は中国にもあります。あらかじめ用意された前提はいったんゴミ箱に捨て、日本、中国という未知の世界をお互いに発見しあいませんか」

取材を終えて
孫歌さんが訪ねたという満蒙開拓平和記念館に私も足を運んだ。
戦前の国策入植と戦争末期のソ連軍侵攻に翻弄された元開拓者たちが、中国の農民への罪悪感や謝意も淡々と語る証言展示にはっとした。
加害と被害の両方を体験した彼らには、もはや「国」に義理立てする必要はなかったのだ
ナショナリズムを鼓舞して支持を集めたい為政者にとって歴史問題は都合の良い道具にもなりうる。
だからこそ過去の教訓をくみ取るために歴史を「民」の手に取り戻そう。
中国の知識人が発する呼びかけがかの国に広がり、日本が呼応する日が来るのを待ち望みたい。                      (沢村亙)

非正規社員57%「自活できず」 40歳未満、家族が頼り (共同)

47ニュース
非正規社員57%「自活できず」 40歳未満、家族が頼

 正規雇用で働いた経験がない40歳未満の非正規社員の57・1%が低収入のため自活できず、生活費の大半を同居家族らに頼っていることが、求人広告会社アイデムのアンケートで31日分かった。

 景気は回復傾向にあるものの、依然として不安定な雇用が若者の自立を妨げている実態が浮き彫りになった。

 23~39歳の働く未婚男女に生活費を主に誰が出しているかを聞いたところ、「家族など自分以外の人が大部分または全部を出している」と答えた割合は、最初の就職から現在まで正社員の人が29・3%だったのに対し、正社員経験のない非正規社員では57・1%に上った。

2014/08/31 15:49   【共同通信】



8月30、31日 鉾田の祭り (ツイッター写真)


8月30、31日 茨城県つくば市 「まつりつくば2014」 (ツイッター写真)







8月31日 げんぱついらない中野デモ 中野駅北口~杉山公園 (ツイッター写真)



8月30日、31日 登別地獄まつり (ツイッター写真)




英誌エコノミスト誌。日本の右傾化に懸念。高市早苗を名指しで警戒。 ← すぐ失言大臣になるゾ ヘイトデモ関連でその兆しも見える

『朝日新聞』2014-08-31


8月30、31日 静岡県磐田市 国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭 (ツイッター写真)









8月31日 ストップ川内原発再稼働!8.31川内行動 (ツイッター写真)






4月以降、新車販売台数が伸びず、その代わりに中古車の軽にシフトしていたのが、その中古の軽も売れなくなり、当然新車も売れなくなった。実質賃金は下がり、消費支出も削りまくり。状況的には、リセッションに突入したとみた方がいいんでないのかね? — フジヤマ ガイチ


レスポンス
軽四輪車中古車販売台数、2か月ぶりにマイナス…7月

全国軽自動車協会連合会が発表した7月の軽四輪車中古車販売台数は、前年同月比4.7%減の23万7890台と2カ月ぶりに前年割れとなった。

前月はプラスに転じたものの、4月の消費税増税前の駆け込み需要があったことによる反動減で市場全体は低調に推移している。

車種別では、乗用車が同3.3%減の18万1383台、貨物車が同9.0%減の5万6507台となった。貨物車のうち、バンが同11.6%減の2万9590台、トラックが同5.9%減の2万6917台だった。

ブランド別では、日産、トヨタ、スマート、その他が前年を上回った。シェアトップとなったスズキは同7.2%減の7万4980台と落ち込んだ。ダイハツは同0.9%減の7万2270台と微減だった。
《編集部》



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増税の影響を直視せよ (『朝日新聞』経済気象台2014-07-18) : 「まず消費が落ち込んでいる」 「投資も懸念材料だ」 「落ち込みはすでに「想定内」ではない」

総理の戦犯追悼メッセージについてのニューヨークタイムズの記事。これまた厳しい論調ですね。⇒Japan’s Premier Supported Ceremony for War Criminals

「日本の暴力団よりタチが悪い在日米軍」 (日刊ゲンダイより)

花よ蝶よと・・奥山の朝。 山霧・16.9℃のヒンヤリ。 ・・・ 今を咲かりのミソハギに、ヒョウモンチョウが。 (ツイッター写真)

「たかの友梨」で横行するマタハラ・残業代未払い・数十万円の美容器材購入させる「自爆営業」、そして腐敗 (井上伸) / 「たかの友梨」はブラック企業なのか? (今野晴貴) / たかの友梨に対して声を上げた当事者たちが求めていること (上西充子)                 

YAHOOニュース
「たかの友梨」で横行するマタハラ・残業代未払い・数十万円の美容器材購入させる「自爆営業」、そして腐敗
井上伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
2014年8月30日 17時32分
 
「たかの友梨」が典型的なブラック企業であることは、すでに今野晴貴さんが指摘し、上西充子法政大学教授が「たかの友梨に対して声を上げた当事者たちが求めていること」というエントリーで今回の事態の経過等を紹介されていますが、この問題にかかわっていくつか興味深い点があったので備忘録がわりにアップしておきます。

 (略)


「たかの友梨」はブラック企業なのか?
今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
2014年8月30日 4時38分
 
2014年8月5日、「たかの友梨ビューティクリニック」を運営する不二ビューティに対して、労働基準監督署による労基法違反の是正勧告が行われた。それに対して、高野友梨社長は、労基署への申告を行ったりユニオンに加盟して会社と交渉したりしていた同社の女性を、精神的に圧迫するという行為に出たことが判明した。

<たかの友梨>通報者に精神的圧迫 女性社員が保護申告(毎日新聞)

こうした行為は、これまで過酷な労働が話題になってきた、すき家、ワタミ、ユニクロなどと多くの共通点をもつ。ここではそれらの共通の特徴をあげていこう。

 (略)


たかの友梨に対して声を上げた当事者たちが求めていること
上西充子 | 法政大学教授
2014年8月30日 0時46分

高野友梨社長の従業員に対する詰問

エステサロン大手「たかの友梨ビューティクリニック」の職場環境改善を求めて動いた従業員に対する高野友梨社長の詰問の様子が録音データと共に報じられ、大きく注目されている(※)。

朝日新聞8月28日「たかの友梨社長、組合活動に圧力」 従業員ら申し立て
つぶれるよ、うち。それで困らない?この状況でこんだけ働けているのに、そういうふうにみんなに暴き出したりなんかして、あなた会社潰してもいいの

出典:withnews8月28日:「たかの友梨氏がパワハラ?「あなた会社つぶすの」 録音データ公開」
この事態を前にして、ツイッターを見る限り、「嫌なら辞めればいいのに」と従業員を批判するコメントはほとんど見られない。かわりに多く見られるのは、労働基準法を守れないような会社なら潰れればいい、と高野友梨社長の経営姿勢や今回の言動を批判するコメントだ。

しかし、声を上げた従業員たちが求めているのは、たかの友梨が潰れることではなく、働きやすいエステ業界をつくることだということを、私たちは忘れてはならないだろう。

 (略)


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たかの友梨氏がパワハラ?「あなた会社つぶすの」 録音データ公開 (withnews) : 「残業代といって改めて払わないけれども、頑張れば頑張った分というのがあるじゃん。そうやって払っている」と、支払いが適正ではない可能性を認めた。 ← 「ひどいな。ブラック企業大賞の有力企業かもな。」 渡辺美樹(ワタミ)とお友だちだったとは・・・!









産経新聞の石破茂評「国家観が首相に比べて格段に頼りない。若いころ朝日新聞を読んでいたせいか、慰安婦や靖国神社に関する言動も首を傾げるものが多い」 (産経抄8月30日)    

8月30、31日 えちごせきかわ大したもん蛇まつり 大蛇パレード:9時30分~12時頃(高瀬温泉~関川村役場) 







8月30日 八咫の火祭り 和歌山県田辺市 (ツイッター写真)




上記「聖地熊野」さんFBより ↓


8月30日 辺野古 : 海上保安官は「安全指導」の一点張りでした。安倍暴走政権の蛮行に対する非暴力の抗議行動を、法的根拠示さぬまま排除する異常事態が続いています。→海保、一時20人拘束 辺野古 - 琉球新報 - / 海保によるカヌー隊の拘束は手荒く、まずカヌーを転覆させ、乗員を拘束。「気道を確保しているから大丈夫だ」と言いながら顎と首を抑えつけ、カヌー隊員は声も出せない状態になった   


24時間テレビの真実ヤバ過ぎる。。。 ・高額なギャラ ・募金詐欺 ・障害者利用 / 「24時間テレビ」に(明石家)さんまが出ないわけ」 / 拝啓、高額ギャラのチャリティランナー様 (東洋経済オンライン)   




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「24時間テレビ 愛は地球を救う」の総製作費は4億2000万円で、CM収入合計は22億2750万円とのこと。 → 「愛は読売Gを救う」

マツコ・デラックスの名言と映画「追憶(THE WAY WE WERE)」
名言は ↓
「私では地球を救えませんので協力できません。
  どなたか今まで、地球を救った人はいましたか?」

YAHOOニュース
拝啓、高額ギャラのチャリティランナー様
東洋経済オンライン 8月29日(金)6時0分配信

  テレビ局というところは、視聴者の声がなかなか届かないところなのだろうか。今年も夏の風物詩となった「24時間テレビ・愛は地球を救う」(日本テレビ)にチャリティランナーが登場する。しかし、視聴者はそのうさんくささをとっくの昔に感じている。「アイス・バケツ・チャレンジ」もそうだが、2014年の夏はもっと“チャリティ”について考えるべきではないかと思えてならない。

【詳細画像または表】

■ チャリティ番組のギャラが1000万円という現実

 「24時間テレビ・愛は地球を救う」(以下、24時間テレビ)の出演者にギャラが発生しているのは有名な話で、昨夏には週刊誌『FLASH』が24時間テレビに出演するタレントのギャラを掲載した。

 その記事によると、チャリティランナーは1000万円、総合司会は500万円という高額な報酬が支払われているという。確認しておくが、24時間テレビは「チャリティ番組」だ。

 また24時間テレビの予算は総制作費4億2000万円で、CM収入合計が22億2750万円。そのうち出演者のギャラと制作費を除いて、赤字にならない範囲で寄付に回すとも書かれていた。そうやって作られた番組が昨年は18.1%という高い平均視聴率をマークして、15億4523万円という寄付金を集めている。

 (略)






軍事国家へますます加速。 「防衛省、過去最大の概算要求 武器調達で膨張5兆円」(東京新聞) : オスプレイをはじめ、質量とも従来をしのぐ防衛装備品が盛り込まれた。攻撃型の武器も目立つ。


憲法 沖縄から 「沖縄の意思 根本否定 辺野古と高江、続く強行 自己決定権求め闘いを」 (琉球新報 2014.8.31)

景気、進まぬ回復 消費、4ヵ月連続減 7月 (『朝日新聞』2014-08-30) 

『朝日新聞』2014-08-30

増税以降の経済記事リンクあり ↓
増税の影響を直視せよ (『朝日新聞』経済気象台2014-07-18) : 「まず消費が落ち込んでいる」 「投資も懸念材料だ」 「落ち込みはすでに「想定内」ではない」







8月20日~30日 「おわら風の盆」前夜祭(PARTⅡ) 前夜祭は11の町が日替わりで町流しや輪踊りを繰り広げる (ツイッター写真 PARTⅡは26日~30日の写真)















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PARTⅠはコチラ ↓
8月20日~30日 「おわら風の盆」 前夜祭が始まってる 11の町が日替わりで町流しや輪踊りを繰り広げる (ツイッター写真 25日までのPARTⅠ)






2014年8月30日土曜日

ベランダに来る鳩防止にありとあらゆる手段を使うも全部ムダに終わった。のに。まさかこれが効くとは。ダイソーで100円。 ← 即、買うべし。

明治37年(1904)11月1日~13日 社会主義協会大演説会(田添鉄二・佐治実然・幸徳秋水) 石川三四郎「小学校教師に告ぐ」発禁  「共産党宣言」(幸徳、堺訳)発禁 剣南(角田勤一郎)の与謝野晶子弁護    

雨にぬれたムクゲ(竹橋) 2014-08-28
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明治37年(1904)
11月
・上海、光復会結成(蔡元培・秋瑾・陶成章・徐錫麟ら、暗殺団母体)。
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・黄興ら、長沙で挙兵を図って失敗。
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・吉野作造「大に黄禍論の起これかし」(「新人」)。日本が「満韓の主人」にあることの正当性。
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・小杉未醒『陣中詩篇』
1月、「戦時画報」特派員として朝鮮半島に渡り従軍、9月に帰国。
近事画報社に勤務しながら、従軍中に画帳に書きためていた詩を整理し、26編を選んで刊行。
従軍し、戦場を見た人間によるリアルタイムの反戦詩。
未醒の意図は「反戦」ではなかったかも知れないが、収録作品は赤十字病院を訪ねた折に作った作品や兵士らの望郷の念を読み込んだものが多い。
この詩集には自作挿絵が豊富に載せられているが、扉に掲げられた「戦後」というタイトルの絵は、戦死した兵士の死骸を喰らう狼もしくは野犬を描いたものだった。机上のィデオロギーではなく、冷徹な写実による「表現」を、この画家は持っていた。
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・この頃、安部磯雄、「資本論」翻訳に専念するとして平民社から遠ざかる。
翌年(明治38年)夏、早稲田大学野球部を率い渡米。
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・正宗白鳥「寂寞」(「新小説」)、坪内逍遙「新曲浦島」(「早稲田大学出版」)、綱島梁川「真理と人生」(「中央公論」)
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・ハンガリー首相ティサ、議会と対決し、反対派を力で抑圧したため国内の危機高まる)
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・マックス・ウェーバー、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」第1章を『アルヒーフ』第20巻に発表。
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11月1日
・ロシア・バルチック艦隊、ビーゴ港出港。
2日、モロッコ領タンジール入港。石炭補給。
4日、スエズ運河通航の独立支隊、タンジール出港。
5日、希望峰迂回の本隊、タンジール出港、ダカールを目指す。
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11月1日
・ジョージ・バーナード・ショーの『ジョン・ブルのもう一つの島』、初演。
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11月2日
・社会主義協会大演説会。神田YMCA。聴衆約1千。
田添鉄二・佐治実然・幸徳秋水、全て弁士中止。巡査と小競合い。

最初の弁士の田添鉄二が中止、次の佐治実然も途中で中止、三番目に登場した幸徳秋水も中止となったところで、警察は解散を命じた。だが、これに納得しない約千人の聴衆が騒ぎ出して大混乱となり、拍手と万歳が三十分ほど続いて警察は何もできず、聴衆は凱歌をあげてようやく解散した。

第一席の田添鉄二は、昔の封建主義社会も今の資本主義社会も、階級制度の下に平民を束縛していることは同じで、昔の常備軍は飼い殺しの武士であったが今の常備軍は無給で徴集された平民……といったところで「弁士中止」。

第二席は佐治実然。四千万人の国民がみな守らねばならぬ法律は、わずか百万人ばかりの有権者が選挙した代議士によって作られている。都合のいい時は挙国一致というが、それほど挙国一致が良いものなら普通選挙を実施するに如くはない。新聞は、満洲の野に戦っている兵士を祖国のために忠勇無双の働きをしていると書き立てているが、あれはただオダテるためか……というところで「弁士中止」。

第三席の幸徳秋水は、国際戦争がいつも経済上の原因から起る所以を説き、現に銀行家や富豪を大蔵大臣の官邸に招聘してその承諾を得てからでなくては、戦争は決定されねではないかというと、またたちまち中止、つづいて解散!

聴衆は憤慨激昂して口々に「横暴」、「解散の理由をいえ」と叫び、演壇の上下で警官隊ともみ合う。いつも臨監の更科警部の制帽を何者かがたたき落し、それをまた誰かがふみ潰す。場内のアチコチで巡査と会衆の小競合がおこる。この喧騒擾乱は三十分間も続いてようやく納まった。
(荒畑寒村『平民社時代』)
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11月2日
・(露暦10/20)ロシア、ペテルブルク、解放同盟第2回大会、立憲主義。
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11月3日
・天長節、国民後援会大会、日比谷、5万。
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11月3日
・植村正久、東京神学社設立。
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11月3日
・鉄幹・晶子、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷村字大通549番地第四荻の家へ転居。明治書院の所有。
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11月3日
・阪鶴鉄道、福知山(京都府)~新舞鶴間と舞鶴~海舞鶴間開通。
鉄道局で舞鶴線として建設し、阪鶴鉄道会社に貸与。1907年7月31日返還。大阪~新舞鶴間直通運転開始。
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11月6日
・清国の山西永済で民衆反乱。
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11月6日
・週刊『平民新聞』第52号発行

石川三四郎「小学校教師に告ぐ」発禁。
9日、編集人兼発行人西川光二郎・印刷人幸徳秋水、朝憲紊乱で起訴。
第1審、印刷人幸徳禁固5ヶ月・編集人兼発行人西川禁固7ヶ月・夫々罰金50円。「平民新聞」発禁。印刷機没収判決。

この号は1周年記念の前号。
石川三四郎「小学校教師に告ぐ」のほか、西川光二郎「社会主義者の教育観」、堺枯川「小学修身書漫評」、小学教師の無価珍子と称する人の「戦争に対する教育者の態度」を掲げ、吾人は本号をもっていささか日本の教育家に呈す--と称して、ほとんど全紙をあげて教育批判号のような形であった。
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この日、平民社で社会主義婦人演説会開催。弁士に寺本みち子。
みち子は、堺の近所に住む福田英子とならぶ平民社を訪れる女性常連客の一人。「たてよ君たたぬ男の子を踏みこえて乙女主義よぶ時なり世なり」という勇ましい歌もつくっていた。
その後、みち子は美容師になり、美容界に名を馳せていた初代遠藤波津子の元で働くようになる。日活の映画監督の小口忠と結婚後、仕事と家庭で多忙になり、しばらく堺たちの前から姿を消していたが、売文社発足後に交流が復活する。
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11月6日
・イタリア総選挙。カトリック、反社会主義の候補者に投票。
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11月7日
・黄興、陳天華ら、上海で挙兵計画。
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11月8日
・大本営陸海軍部合同会議。伊東祐亨軍令部長・伊集院次長・山県有朋参謀総長・長岡次長。
9日午前1時、山県参謀総長名で大山総司令官に203高地(艦隊砲撃の拠点)占領要請電。
大山返電は203高地の戦略的重要性否定。第7師団増派要請。
山縣元帥は第3軍への第7師団増派決定。
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11月8日
・アメリカ大統領選挙、共和党のセオドア・ルーズベルト、民主党のバーカーを破り当選。
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11月9日
・日蓮宗、福岡市博多東公園に完成した元寇記念日蓮銅像前で国祷会挙行。
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11月10日
・第2回6分利付英貨公債1200万ポンド募集、公布。
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11月11日
・第7師団を第3軍戦闘序列に加える下命。
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11月11日
・清国・ポルトガル間で通商条約締結。
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11月12日
・ロシア・バルチック艦隊、北アフリカ仏領ダカール入港。フランス、港外での石炭積込勧告。ロジェストヴェンスキー中将港内積込強行。
16日、ダカール出港。
*
11月13日
・週刊『平民新聞』1周年記念号(第53号)発行。
「共産党宣言」訳載(幸徳、堺訳)。
未明、即日発禁。発行兼編集人の西川、翻訳した堺と秋水の3人が起訴される。
滝野川紅葉寺での園遊会禁止処分。

園遊会は、予告記事によれば、会場の滝野川の紅葉寺に団子屋、おでん屋、甘酒屋などを設け、記念撮影を行い、弁当を食べながらさまざまな余興を楽しむ、と書かれている。余興は「人形ボンポコ踊」「仮装行列」など他愛のないものばかり。
そして4日後、社会主義協会も「安寧秩序に妨害あり」という理由で、治安警察法によって禁止を命じられる。

堺も秋水もドイツ語には通じていなかったため、この「共産党宣言」は英訳からの重訳。訳文の前につけた序文で「全篇の誤謬瑕疵、亦定めて多かるぺし」と断っている通り、訳語がおかしいところもあり、第三章は省略されている。
しかし、「一個の怪物欧州を徘徊す」と「ヨーロッパに幽霊が出る」とを比べると、堺らの訳のほうが力強く、読み手の心に響いてくる。
ただ、即日発行停止となったため、この「共産党宣言」は、ごく一部の人々の目に触れただけだった。

幸徳の後年の回想。
「我ながら其佶屈聱牙(きつくつごうが)なのに恥入った。此の失敗は、斯(かか)る世界のクラシックとあって社会問題、経済問題研究者のオーソリチーとする歴史的文書は、成可く厳密に訳さねはならぬといふ考へで、非常に字句に拘泥したのと、荘重の趣きを保ちたい為めに多く漢文調を混じた故である。」(『文章世界』(明治41年3月号)

冒頭は、・・・
「一個の怪物欧州を徘徊(はいかい)す、何ぞや、共産主義の怪物是れ也、今や古欧州の権力者は、此の怪物を退治せんが為めに、挙(こぞ)って神聖同盟に加盟せり、羅馬法王も露国皇帝も、メテルニヒもギゾーも、仏国の急進党も独逸の探偵も
見よ、在野の政党にして、曾て在朝の政敵の為めに、共産主義的なりとして毀傷(きしよう)せられざる者ある乎、又見よ、在野の政党にして、骨て他の急進的在野諸党派に対して、並に保守的政敵に対して、共産主義てふ詬罵(こうば)を投返さゞる者ある乎」

訳語は、たとえば「ブルジョアジー」を「紳士閥」、「プロレタリアート」を「平民階級」と訳している。
「共産主義者」をすべて「共産党」とし、「剰余価値」を「剰余価格」、「交換価値」を「交換の価格」とするのに反して、「商品の価格」は「商品の価値」となっている。
また「工場制手工業」は「工場制度の製造業」、「生産要具」は「生産機関」、「第三身分」は「第三級団」、「小市民」は「小町人」((一)紳士と平民)と訳されている。
「(二)平民と共産党」では、「亡命者」が「移民」、「資本は共同の産物」というべきを「資本は生産物の集積」とされ、「労働者は祖国を有せず」とあるべきを「労働者は国家を有せず」とし、「全生産様式を変革」が「全生産方法を革命」などと誤って訳されている。

当初の計画では、紙面を12ページに増して、『宣言』全文を訳載する予定であったが、前号の発禁事件やなにかで編集事務が阻害され、やむなく紙面を10ページにとめ、かつ原文(三)の「社会主義及び共産主義文献」の一項を省略することにした。この一項はエンゲルスの序文中にもあるごとく、1848年当時現存していた諸潮流を批評したものなので、ヨーロッパの形勢が当時とまったく変化した今日において大して有用でないからという見地に立って省略した。

堺利彦「日本社会運動史話」
「『共産党宣言』と『資本論』との名は、幾度も平民新聞で紹介されたが、実を云へば、誰もまだ本当に読んでは居なかった。然るにー周年記念号の材料が問題になっている中、小島龍太郎君が『共産党宣言』を推薦してくれた。小島君は自由党左翼系の、『前期の運動者』であったといふばかりでなく、又平民社時代の財政的援助者であったと言ふばかりでなく、現に我が実際の運動史上に於ける思想的発展の一指導者であったと言ふ事もできるわけである。・・・
反訳は幸徳と堺が担任した。『予等倶(とも)に独逸文に通ぜざるを以て、英訳に依りて重訳し』た。『思ふに共産党宣言の如き貴重の経典は、之を訳する、一字一句決して荀くもすべからず』『予等の浅学不才、任務の光栄を感ずると同時に、窃かに僭越の罪過るる所なきを知る、全篇の誤謬瑕疵、亦定めて多かるべし』
とは二人が『和訳序』に記した言葉である。

実際、誤謬は少なからずあった。又第三章を欠いて居た。そして発行の即日、禁止となったので幾許可(いくばく)の人の目にも触れなかったわけである。
然し明治三十九年三月十五日発行された月刊雑誌『社会主義研究』第一号には、幸徳、堺合訳の『共産党宣言」が全文チャント載っている。それは、『古の文吉は如何に其の記載事項が不穏の文字なりとするも、単に歴史上の事実とし、又は学術研究の資料として新聞雑誌に掲載』するのは差支ないと言ふ理由からである。そしてこの時には、第三章も(幸徳米国行不在の為、堺一人の手で)反訳された。然しそれが間もなく、他の多くの社会主義的出版物と共に、一切禁止されてしまい、今日でも『宣言』だけはやはり厳重な禁止である。尤も、その後、幾回も、何人かの手に依り、それの秘密出版が行はれている。……」
*
11月13日
・評論家剣南(角田勤一郎 1869~1916)、大町桂月の与謝野晶子攻撃(「太陽」)読んで反論。
剣南は、晶子が桂月に対して反論した「ひらきぶみ」(「明星」12月号)を「言ひ得て好し」と晶子の肩をもっている(「読売新聞」11月13日)。
桂月は「ひらきぶみ」に対して何も答えていないのに、剣南には12月号の「太陽」誌上で答え、それに対し剣南は「理情の弁」(「読売新聞」12月11日)として答えている。

「理情の弁」(「大町桂月子に与ふ」)による剣南の結論は、晶子詩は理性を加えない刹那詠嘆の情を表白したもの、というもの。
この詩に表現されているものは、偏に、弟に死ぬなという詠嘆の情を痛切に寄せているにすぎない。だから理性の調摂がなく、ために思想とみることはできない。国家的観念があるかないかを連想する必要がなく、あえて危険な思想とも感じる理がないと信じる。情理の調摂がどうかによって、思想ができ、思想ができて後に見解があり、見解があってその後に是非の論がある、という。

剣南は、桂月がすぐれた判断力や広い知識を持ちながらも、往々に国家対個人の問題にたいし、このような説諭のみえるのは、偏に「国家主義に密着する思想のしからしむるところ」であろうか、と評している。
「理情の弁」は論理的で熱っぽく、迫力がありしかも普遍性がある。晶子の作詩精神をみごとに分析もしている。
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11月13日
・ポーランド人民連合成立。ワルシャワ、ポーランド社会党(パリ)、最初の武装デモ組織。
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8月30日 今日は軽くソトご飯

8月30日(土)
9月末~10月初なみの気温になって3、4日経ったかな。
過ごしやすいけれども、いつ雨が降ってもおかしくない程の曇り空が続いた。
が、今日は、久しぶりに青空が見えるほどのお天気。

いま、
長男は韓国、次男は軽井沢と、お仕事やら遊びで不在。

夜は、買物に出たついでに、軽くソトご飯で済ませた。



8月30日 「あべ?NO!in大阪デモ」 : 「戦争始める総理はやめろ」「憲法壊す総理はやめろ」「原発動かす総理はいらない」「消費税上げる総理はいらない」「安倍はやめろ」などとコール。





小樽の街中でよく見かける、お父さん預かります、の看板。

「再増税 リスク大きい」ーー産経新聞のインタビューで、本田悦郎内閣官房参与が、来年10月に予定する消費税率10%への引きあげ・再増税に慎重な姿勢をしましました。2014年8月27日付 ← 本田悦郎っちゅうのは、これがまた「ナショナリスト」と評判の男                            



今年のハナシなんです。 ↓

ハフィントンポスト
「アベノミクスで強力な軍隊」内閣官房参与の本田悦朗氏が米紙に語る
The Huffington Post
投稿日: 2014年02月20日 12時41分 JST 更新: 2014年02月20日 12時41分 

安倍首相のブレーンを務める経済学者の本田悦朗氏が、アベノミクスの目標の一つに、軍事力を強化して中国に対抗することがあると語っていることを報じた。アメリカの新聞「ウォール・ストリート・ジャーナル」の電子版にインタビュー記事が掲載された。

同紙は本田氏を「安倍晋三首相の経済再生計画で中心的な役割を担う顧問(内閣官房参与)だが、戦時中の話を熱く語るナショナリストでもある」と紹介した上で、以下のように書いている。

本田氏は、「アベノミクス」の背後にナショナリスト的な目標があることを隠そうとしない。同氏は、日本が力強い経済を必要としているのは、賃金上昇と生活向上のほかに、より強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだと語った。同氏は中国に「深刻な脅威を感じている」としている。

(WSJ.com「ナショナリスト本田悦朗氏がアベノミクスで目指す目標」2014/02/19 13:15)
また、このインタビューの中で、昨年12月の安倍首相の靖国参拝についても、本田氏は言及。太平洋戦争で自爆攻撃をした「神風特攻隊」を引き合いに出して理解を求めたという。

本田氏は大学教授でもあるが、その言わんとすることを強調するため神風特攻隊が米空母に体当たりするさまを頭の高さに上げた左手を落として表現した。同氏は「日本の平和と繁栄は彼らの犠牲の上にある」と、目を真っ赤にさせながら言い、「だから安倍首相は靖国へ行かなければならなかったのだ」と語った。

(WSJ.com「ナショナリスト本田悦朗氏がアベノミクスで目指す目標」2014/02/19 13:15)
ただ、このインタビュー記事について本田氏は「発言の趣旨を違えて報じている」と批判した。47NEWSによると本田氏は以下のように述べて、靖国参拝について書かれた部分について反論したという。

本田悦朗内閣官房参与は20日、安倍晋三首相の靖国神社参拝を称賛したとの米紙ウォールストリート・ジャーナルによるインタビュー記事に関し「靖国神社は日本国民にとって特別な場所という例として説明した。ああいう記事になり予想外だ」と官邸で記者団に反論した。

(47NEWS『本田参与「発言趣旨違う」と反論 米紙記事に』2014/02/20 12:13)
【※】本田悦朗氏がアベノミクスの目標の一つに、中国に対抗する軍事力を掲げたことをどのように感じましたか?コメント欄にご意見をお寄せください。


画像はシチリアのフィアットに勤めてた元工員、いま年金生活者の台所 39年前にオークション3千円で買った果物の絵が、ロンドンで盗まれたまま行方不明のゴーギャン真物(数十億円相当)と知れた顛末 ← ホンマらしいよ!  



AFPBB
伊民家の台所からゴーギャン盗難画、数十億円相当
2014年04月03日 13:04 発信地:ローマ/イタリア


8月30日 0830川内原発再稼働やめろ!再稼働反対★国会前大集会 (ツイッター写真) / 「デモ規制、危ぶむ声 脱原発の集会参加者」(『朝日』)

















日航側の不当労働行為認定=労組スト権に介入-東京地裁 (時事ドットコム)

時事ドットコム
日航側の不当労働行為認定=労組スト権に介入-東京地裁

 労働組合のストライキ権確立に介入したと認定され、東京都労働委員会から不当労働行為救済命令を受けたのを不服として、日本航空が都に取り消しを求めた訴訟の判決が28日、東京地裁であった。古久保正人裁判長は「命令に違法はない」として、日航の訴えを退けた。

 問題となったのは、経営破綻した日航が再建中の2010年11月、管財人を務めていた企業再生支援機構の幹部が一部労組との折衝中に行った発言。スト権確立に向けて実施中だった組合員投票について「スト権が撤回されるまで、(機構は)日航に出資できない」と述べた。

 都労委は11年7月、「発言は組合員に威嚇的効果を与え、組合の組織運営に影響を及ぼすものだ」と指摘し、救済命令を出した。判決も「発言は組合への支配介入に当たる」と認定した。(2014/08/28-18:13)




中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が (LITERA/リテラ) : 「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」(『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)

livedoorNEWS
LITERA/リテラ  2014年08月29日21時00分
中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が

 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の"手記"の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」

 まず、"手記"の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の"手記"のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。

「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日~同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

 そして2つの地図を見比べてみると、"ある変化"があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした"強制連行"に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。
(エンジョウトオル)





エアギター選手権、19歳日本人女性が優勝 — AFPBB

大宅壮一ノンフィクション賞『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(佐々木実) / 講談社ノンフィクション賞『しんがり 山一證券 最後の12人』(清武英利)

二つのノンフィクション賞、なかなか良さそう。

竹中平蔵をどこまで追い詰めたのか期待大。

「志操の高い人に出会い、自分自身が救われる思いだった」という清武の言葉も意味深。

『朝日新聞』2014-08-26夕刊

8月27、28日 すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り (ツイッター写真) トリは「五月会」の五月家一若師匠。反核河内音頭『サチコ』を叫ぶ!










NAVERまとめ
河内音頭をフリースタイルで踊りまくる?“錦糸町の盆踊り大会”
錦糸町で毎年開催されている河内音頭の盆踊り大会。盛り上がっていてたのしそう!でもなんで錦糸町で河内音頭? 更新日: 2013年08月29日




皆の衆、東京は恐ろしいとこだあ。来ちゃなんねえ。(西原理恵子) ← んだな~。 エキストラ・ナンチャラ・ケーキが25,000円とか5,000円とか! しかも税抜ィときた! 

福島県知事選 : 佐藤知事は出馬しないはずが、「連合」が再度立候補を促し、来週明けに進退を明言するという。自公と民主双方が押せば勝てる候補と佐藤知事を推し、本人も、もったいつけて待っている。この県民不在・責任逃れの感覚麻痺が、福島をひどくしてきた。— 金子勝


ここでいう「連合」は、東電労組が主軸なんだろうか?

岐阜市立図書館と岐阜県図書館は、所蔵していた同性愛や性同一性障害に関する書籍60冊が盗まれたと発表。 (共同)

47ニュース
図書館で性同一性障害の書籍60冊盗まれる 

岐阜市立図書館と岐阜県図書館は、所蔵していた同性愛や性同一性障害に関する書籍60冊が盗まれたと発表。

2014/08/30 00:39   【共同通信】




新宿ゴールデン街 納涼感謝祭は8月31日(日)

マダガスカル首都を覆う黒雲、イナゴの大群襲来 — AFPBB

福島第一原発3号機で燃料プールに機器落下 (NHK) : 「落下したのは・・・「操作卓」と呼ばれる機器で、大きさはおよそ1メートル四方、重さは400キロあるということです。」

NHK
福島第一原発3号機で燃料プールに機器落下
8月29日 18時20分

東京電力は、福島第一原子力発電所3号機で、爆発で損傷した機器をクレーンで撤去しようとしたところ、誤って使用済み燃料プールに落下させたと発表しました。周辺の放射線量に変化はないとしていますが、プールの中には現在も500体余りの核燃料が入っていて、東京電力で損傷がないか調べています。

東京電力によりますと、29日午後1時前、福島第一原発3号機の使用済み燃料プールで、爆発で損傷した機器を遠隔操作のクレーンで撤去しようとしたところ、誤ってプール内に落下させたということです。落下したのは使用済み燃料プールに核燃料を出し入れするための「操作卓」と呼ばれる機器で、大きさはおよそ1メートル四方、重さは400キロあるということです。

3号機の使用済み燃料プールには、現在もがれきと共に核燃料566体が残されていますが、東京電力は、プール周辺の放射線量に変化はないほか、モニタリングポストの数値にも異常はないとしています。また、作業は遠隔操作で行われていたため、近くに作業員はおらず、けが人もいないということです。

3号機では早ければ来年の前半にも使用済み燃料プールから核燃料の取り出しを始める計画で、東京電力は今回のトラブルによって核燃料が損傷していないか詳しく調べるとともに、計画への影響についても検討することにしています。




7月鉱工業指数上昇0.2%止まり 予想を大きく下回る / 完全失業率は悪化 ← 給与は上がらず、増税・物価上昇が国内市場の狭隘化を招いている。輸出も振るわないとなると、これは当然の帰結。「専門家」は「期待」を煽るな! 

『朝日新聞』25014-08-29夕刊

増税以降の経済記事リンクあり ↓
増税の影響を直視せよ (『朝日新聞』経済気象台2014-07-18) : 「まず消費が落ち込んでいる」 「投資も懸念材料だ」 「落ち込みはすでに「想定内」ではない」








「辺野古の海」写真展 詳細情報 - 写真展「辺野古の海」9/26-10/2 東京銀座




パプアニューギニアで火山が噴火、航空機は迂回 — AFPBB

2014年8月29日金曜日

『朝日新聞』論壇時評2014-08-28 「戦争と慰安婦 想像する 遠く及ばなくとも」(高橋源一郎)

『朝日新聞』論壇時評2014-08-28
「戦争と慰安婦 想像する 遠く及ばなくとも」(高橋源一郎)

①映画「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督、2006年)
 映画「父親たちの星条旗」の冒頭、「ほんとうに戦争を知っているものは、戦争について語らない」という意味合いのことばが流れる(①)。
深く知っているはずのないことについて、大声でしゃべるものには気をつけたい。
これは自戒としていうのだが。

②渡辺恒雄「「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』(文芸春秋9月号)
 読売新聞主筆・渡辺恒雄が文芸春秋に書いた文章のタイトルは「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」(②)。
それは、消えつつある「ほんとうに戦争を知っている」世代から、そうではない世代の指導者への遺言のように、思えた。

 渡辺は、「先の戦争」の責任について語り、その象徴として「靖国問題」を取り上げた。
宗教性を持たせぬようにしたため、対立を報じられることの殆どない、他国の追悼施設に対し、特異な宗教的施設である靖国を戦没者の追悼の場所とすることへの強い疑念を表明した渡辺は、さらに、「戦争体験者の最後の世代に属する」ものとして、自分が経験した軍隊生活の悲惨な実態についても語っている。
わたしは、渡辺とは多くの点で異なった考えを持つが、戦争を語るときの真摯さにはうたれる。
彼のことばには、「戦争について語りすぎるもの」への不信が覗くが、その不信は、大きな声ではなく、ただ呟くように、書かれている。

③本紙記事「慰安婦問題を考える(上)~『済州島で連行』証言」(8月5日付)
 「先の戦争」が残した、大きな傷痕の一つ「慰安婦問題」に、今月、大きな動きがあった。
朝日新聞が、「慰安婦強制連行」の証拠としてきた「吉田清治発言」を「虚偽だと判断し、記事を取り消」すと発表したのだ(③)。
「強制連行」があったかどうかは、もともと本質的な問題ではなかったはずだ。
なのに、この一連の記事によって、いつしかそれは「慰安婦問題」の中心的論点になってしまった。
そのことの責を新聞は負わなければならないだろう。
だが、わたしが取り上げたいのは、そのことではない。

④秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(1999年)
 たとえば、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は、この間題について、広範で精密な資料を提示する「代表的」な文献とされる(④)。
けれど、わたしは、この、「正確な事実」に基づいているとする本を読む度に、深い徒労感にとらわれる。

 秦は、慰安婦たちの「身の上話」を「雲をつかむようなものばかり」で、「親族、友人、近所の人など目撃者や関係者の裏付け証言がまったく取れていない」と書いた。
慰安婦たちのことばを裏付ける証言をするものなどおらず、彼女たちのことばは信ずるに足りない、と。ほんとうに、そうなのだろうか

■     ■

 先の戦争で、数百万の日本人兵士が戦場へ赴いた。
その中には、多くの小説家たちがいた。
生き残り、帰国した彼らは、戦場で見たものを小説に書き残した。
そこには、歴史家の「資料」としてではなく、同じ人間として生きる慰安婦たちの鮮やかな姿も混じっている。

⑤田村泰次郎「蝗」「裸女のいる隊列」
 田村泰次郎は、次々と半ば強制的に様々な部隊の兵士の「慰安」の相手をさせられながら過酷な列車の旅を続けてゆく女たちを描いた「蝗」や、全裸で兵士たちと共に行軍を強いられる女の姿を刻みつけた「裸女のいる隊列」を書いた(⑤)。

⑥古山高麗雄「白い田圃」(70年、『二十三の戦争短編小説』所収)
 強姦と殺戮が日常である世界を描いた田村と異なり、古山高麗雄の作品群には不思議な静けさが漂う。
主人公の兵士である「私」は、戦場で自分だけの戒律を作った。「民間人を殺さない」こと、そして「慰安所に行かない」ことだ。
それは「私」にとって「正気」でいるために必要な手段だった。
そんな「私」は、慰安婦たちに深い同情と共感を覚える。
なぜなら、「彼女たちは何千回となく、性交をやらされているわけだ。拉致されて、屈辱的なことをやらされている点では同じだ。(略)私たちが徴兵を拒むことができなかったように、彼女たちも徴用から逃げることはできなかったのだ」(⑥)。

⑦同「セミの追憶」(93年、同)
 戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた(⑦)。
「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。
それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。
そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。

 「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」

■     ■

 戦後70年近くたち、「先の戦争」の経験者たちの大半が退場して、いま、論議するのは、経験なきものたちばかりだ。

 紙の資料に頼りながら、そこで発される、「単なる売春婦」「殺されたといってもたかだか数千で、大虐殺とはいえない」といった種類のことばに、わたしは強い違和を感じてきた。
「資料」の中では単なる数に過ぎないが、一人一人がまったく異なった運命を持った個人である「当事者」が「そこ」にはいたのだ。

 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないのだろうか
性急に結論を出す前に、わたしは目を閉じ、静かに、遥か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。
それが仮に不可能なことだとしても。

(読み易さのため、改行を施した)


論壇委員が選ぶ今月の3点
小熊英二=思想・歴史
・和田春樹「慰安婦問題 現在の争点と打開への道」(世界9月号)
・ケント・カルダー「もはや、日本流『静かなる外交』は通用しない」(中央公論9月号)
・野家啓一「既視感(deja vu)の行方」(現代思想8月号)
酒井啓子=外交
・ウイリアム・サレタン「イスラエルよ、今こそ兵を引け」(ニューズウィーク8月12・19日合併号)
・マイケル・マザー「不満と反発が規定する世界」(フォーリン・アフェアーズ・リポート8月号)
・李鍾元・平井久志 対談「東アジアは合従・連衡の時代に入るのか」(世界9月号)
菅原琢=政治
・井戸まさえ「『秘境の村社会』地方議会は変われるか」(世界9月号)
・特集「ルポ 外国人労働」(週刊東洋経済8月2日号)
・高橋昌紀「戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1)」(毎日新聞http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html)
濱野智史=メディア
・篠田博之「『秋葉原事件』加藤智大被告が『黒子のバスケ』脅迫事件に見解表明!」(http://bylines.news/yahoo/co.jp/shinodahiroyuki/20140814-00038250/)
・ゼンショーホールディングス「『すき家』労働環境改善のための調査報告書受領について」(http://www.zensho.co.jp/jp/news/company/2014/07/20140731/html)
・ALS支援の「アイス・バケツ・チャレンジ」をめぐる一連のネット上の論争
平川秀幸=科学
・特集「科学者 科学技術のポリティカルエコノミー」(現代思想8月号)
・特集「科学報道はどう変わるべきか」(Journalism8月号)
・池内了「軍学共同の動きが急になってきた」(科学8月号)
森達也=社会
・鈴木静人「報道番組に喝!NEWS WATCHING」(GALAC9月号、テーマは「安倍総理記者会見に見る政治記者の腰砕け」)
・神保太郎「メディア批評」(世界9月号、テーマは「NHKが危ない!」「分断される中央紙、頑張る地方紙」)
・特集「『個人情報が一大事』でとかくに人の世は住みにくい!」(週刊新潮7月24日号)


担当記者が選ぶ注目の論点
終戦69年 大戦を振り返る

 終戦から69年の8月。保守寄りの論壇誌などに掲載された、先の大戦を振り返る論考が目を引いた。

 戸部良一「日本は何のために戦ったのか」(中央公論9月号)は「太平洋戦争の目的は東南アジアの石油をはじめとする重要な資源の獲得にあり、大東亜解放は、否定されていたわけではないが、戦争目的の優先順位としては、高くはなかった」と指摘。連合国側が「一部に偽善があったとしても」、民主主義の擁護を戦争の理念として掲げたのに対し、「理念を政治戦の武器としなかった日本は、理念を信じようとはしなかった」と論じた。

 一ノ瀬俊也「戦艦大和 戦後作られた最強神話」(文芸春秋9月号)は、当初は賛美の対象ではなかった戦艦大和が次第に、「かつて日本人が作り得た唯一の『世界最強』であり、プライドの拠り所として唯一無二の存在」へと祭り上げられていく過程を措いた。「戦後日本人の都合や欲望に応じ、人ないし神として変遷を遂げ続けた『大和』の姿は、私たちのなんとも奇妙な太平洋戦争観を表している」。
清水政彦「零戦は普通の戦闘機だった」(同)は「無敵伝説」と共に語られる機体の性能を各国のライバル機と比較分析。「一九三〇年代末の水準からみて、ごく普通の飛行機だと評価するのが妥当」とした。

 アジア各国からの見方も紹介された。中国の馬立誠は「中国と日本には、和解以外の道はない」 (世界9月号)で、対日戦争を率いた鄧小平が戦後、「中日関係を長期的な視点で考慮し……永遠に友好を続けていかなければならない。これは我々両国のすべての問題の重要性を越えるものだ」と発言したことを再考。「経済を先導役にして、戦争や争いを友好と平和に転じさせ、徐々に融和を目指していくことは可能だ」と訴えた。


二十三の戦争短編集 (文春文庫)
二十三の戦争短編集 (文春文庫)



ドイツの寿司が「ショクジ」でシースーな件。スーパーALDIで見かけたパック寿司。・・・SHISUとはなかなか粋なネーミングですね。

ガーディアン紙 Shinzo Abe honours war criminals as martyrs →アジア侵略で日本を滅亡の縁に追い込んだ戦犯達を国の礎だと讃えた首相を世界は蔑視。

消費や生産、消費増税後の回復鈍い:識者はこうみる (ロイター) : 弱い印象、アベノミクス効果は足踏み 7─9月期リバウンドは弱め 回復鈍く増税ハードル高まりやすい     

ロイター
消費や生産、消費増税後の回復鈍い:識者はこうみる
2014年 08月 29日 10:31 

[東京 29日 ロイター] - 総務省が29日発表した7月の全世帯消費支出は、前年比5.9%減と予想の3.0%減を大きく下回った。7月鉱工業生産も小幅な上昇にとどまり、一連の経済指標からは消費増税後の反動減からの回復力の鈍さがうかがえる。

一方、7月全国消費者物価指数は前年比3.3%の上昇となり、予想と一致した。

市場関係者の見方は以下の通り。

●弱い印象、アベノミクス効果は足踏み

<松井証券 シニアマーケットアナリスト 窪田朋一郎氏>

弱い印象だ。7月全世帯の実質消費支出が前年比5.9%減と落ち込んだほか、7月鉱工業生産も前月比0.2%上昇にとどまり、消費増税後の回復は鈍い。失業率も若干悪化しており、アベノミクス効果が足踏みしていることがうかがえる。CPIの上昇率は高水準だが、結果的には消費を抑える要因となっており、素直に喜べない。

景況感が悪化すれば日銀の追加緩和期待が強まるが、10年債利回りが0.5%割れとなるなか、根本的にこれ以上、国債の買い入れが可能かどうか疑問だ。ETFなどリスク資産買い入れの増額などは想定されるが、金融市場を押し上げるだけで、実体経済への波及は限られるとみている。

●7─9月期リバウンドは弱め

<大和証券・チーフエコノミスト 永井靖敏氏>

朝方に発表された一連の統計を見ると、7─9月のリバウンド力は想定よりも弱い可能性がある。ただ、リバウンドすることは間違いなく、いい方向に向いているとの表現は可能だろう。

消費者物価指数は7月全国、8月東京都区部とも、ほぼ予想の範囲。今後、伸び率が鈍化したとしても、日銀の想定通り。現行の日銀金融政策に影響を与えるものではないだろう。7月鉱工業生産は弱めの内容だ。予測指数は強めに出ているが、海外の不透明要因もあり、その数値通りに実現できるか疑問がある。

一連の統計の中で、家計調査の弱さはショッキングだ。時間の経過とともに、消費増税に伴う支払い負担増を消費者が実感し始めているのではないか。財布のひもが固くなっているとみるのが自然だろう。10%への消費税率引き上げ判断で、政府は苦渋の選択を迫られるのではないか。

●回復鈍く増税ハードル高まりやすい

<SMBC日興証券 シニア債券エコノミスト 嶋津洋樹氏>

天候要因の切り分けが難しいとはいえ、消費・生産は全体的に弱い。

消費増税後の反動減からの回復が、当初想定より下振れており、10%への次回増税に向けては、政府内で慎重な見方が強まる可能性が高い。仮に増税を実施するのであれば、前回以上の対策が必要との判断が強まりやすい。前回増税時の景気対策は全体で約5兆円、真水で約3兆円だった。同規模かそれ以上の景気対策を伴わなければ景気が持たないとの声が、政府内外で広がるだろう。

コアCPIはサービス面で上昇しており、過度な落ち込みは想定しにくい。ただ、足元でエネルギー価格が軟化し、対前年比での押し上げ効果がはく落していく姿が鮮明になってきている。秋口にも1%を割り込むとの見方が市場で強まれば、日銀による追加緩和の思惑も高まりやすい。仮に追加緩和を実施するなら、タイミングとしては、次の展望レポートのタイミングが自然だろう。

鉱工業生産は、市場予想を下回った。方向感として、底入れ・持ち直しに向かう姿は見えてきている。ただ、ここ数カ月は先行きの予測指数が強くても実績が追い付いてきていない。当初想定した姿に比べ、足元の生産動向が鈍いとの感はぬぐえない。

実質消費支出も、天候要因の影響がどれほどか判断しにくいが、数字自体は非常に弱く、消費増税後の反動からの盛り返しが7月になっても見えていない。8月も天候要因が残っているため、来月発表の数字でも消費増税のハードル自体は相当上がってくるのではないか。






7月全世帯の実質消費支出は前年比-5.9%、4カ月連続減=総務省 (ロイター)

ロイター
7月全世帯の実質消費支出は前年比-5.9%、4カ月連続減=総務省
2014年 08月 29日 08:54

[東京 29日 ロイター] - 総務省が29日発表した7月の家計調査によると、全世帯(単身世帯除く2人以上の世帯)の実質消費支出は前年比5.9%減となった。減少は4カ月連続。実額は28万0293円。ロイターが民間調査機関に行った聞き取り調査では、前年比3.0%減が予測中央値だった。

季節調整済み全世帯消費支出は前月比0.2%減、勤労者世帯の実収入は実質で前年比6.2%減だった。


「アイヌ民族いない」発言、自民会派が札幌市議に離脱勧告 — 朝日新聞

A級戦犯法要―聞きたい首相の歴史観 (朝日新聞 社説) : 「多大なる犠牲を生み出し、日本を破滅へと導いた戦争指導者が「祖国の礎」であるとは、いったいいかなる意味なのか。あの戦争の責任は、誰がどう取るべきだったと考えているのか。」

朝日新聞 社説
A級戦犯法要―聞きたい首相の歴史観
2014年8月29日(金)付

 「私人としてのメッセージ」で済む話ではないだろう。

 安倍首相が今年4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に、自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていた。

 「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉職者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」

 送付先は、高野山真言宗の奥の院(和歌山県)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。碑は、連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に20年前に建立された。名前を刻まれている人の中には、東条英機元首相らA級戦犯14人が含まれている。首相は昨年と04年の年次法要にも、自民党総裁、幹事長の役職名で書面を送付していた。

 菅官房長官は会見で、内閣総理大臣としてではなく、私人としての行為との認識を示した。その上で、「A級戦犯については、極東国際軍事裁判所(東京裁判)において、被告人が平和に対する罪を犯したとして有罪判決を受けたことは事実」「我が国はサンフランシスコ平和(講和)条約で同裁判所の裁判を受諾している」と述べた。

 戦後69年。このような端的な歴史的事実を、いまだに繰り返し国内外に向けて表明しなければならないとは情けない。

 日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた。

 連合国による裁判を「報復」と位置づけ、戦犯として処刑された全員を「昭和殉難者」とする法要にメッセージを送る首相の行為は、国際社会との約束をないがしろにしようとしていると受け取られても仕方ない。いや、何よりも、戦争指導者を「殉難者」とすることは、日本人として受け入れがたい。戦後日本が地道に積み上げてきたものを、いかに深く傷つけているか。自覚すべきである。

 首相の口からぜひ聞きたい。

 多大なる犠牲を生み出し、日本を破滅へと導いた戦争指導者が「祖国の礎」であるとは、いったいいかなる意味なのか。あの戦争の責任は、誰がどう取るべきだったと考えているのか。

 「英霊」「御霊」などの言葉遣いでものごとをあいまいにするのはやめ、「私人」といった使い分けを排して、「魂を賭して」堂々と、自らの歴史観を語ってほしい。

 首相には、その責任がある。



国分寺まつり毎年参加一転 9条の会出店拒否 「内容が政治的」 (東京新聞)


京都新聞8月28日朝刊一面。「日本の法令適用せず着工」周辺は国定公園や世界ジオパークに指定、環境省によると自然公園の開発規制地域に米軍基地が建つのは恐らく初めて。穴文殊洞窟上部岩石が削り取られ「ここまでとは知らなかった」と市担当者も。

たかの友梨氏がパワハラ?「あなた会社つぶすの」 録音データ公開 (withnews) : 「残業代といって改めて払わないけれども、頑張れば頑張った分というのがあるじゃん。そうやって払っている」と、支払いが適正ではない可能性を認めた。 ← 「ひどいな。ブラック企業大賞の有力企業かもな。」 渡辺美樹(ワタミ)とお友だちだったとは・・・!       




たかの友梨氏がパワハラ?「あなた会社つぶすの」 録音データ公開
withnews 8月28日(木)22時7分配信

2014年08月28日37532509
たかの友梨氏がパワハラ?「あなた会社つぶすの」 録音データ公開

(略)

未払いが問題になった残業代については「残業代といって改めて払わないけれども、頑張れば頑張った分というのがあるじゃん。そうやって払っている」と、支払いが適正ではない可能性を認めた。弁護団によると、月間77時間の残業に対して12万円が支払われるべきところ、3万5千円ほどしか支払われないケースがあり、こうした事例が横行している可能性があるという。

また、女性従業員が労働環境の改善を訴えてることについては「つぶれるよ、うち。それで困らない?この状況でこんだけ働けているのに、そういうふうにみんなに暴き出したりなんかして、あなた会社潰してもいいの」と迫った。

(略)

エステ・ユニオンが主張する「たかの友梨ビューティクリニック」の問題点

①1カ月あたり平均80時間に及ぶ残業

②休憩が取れず、昼食やトイレにも行けないことも

③定休日どおりに休めず、休日出勤への手当もない

④「誰も取っていない」などと説明され、有給休暇を取得できない

⑤残業代の未払い

⑥産休取得の妨害

⑦商品が売り上げ目標に届かないと、カードローンなどで自腹購入させられる

⑧研修費など会社が負担すべき経費が、給与から天引きされる

⑨配置転換をしない約束を無視するなどの不当な異動命令

⑩労使協定書の従業員側の署名・押印を、従業員本人に無断で作成


NAVERまとめ
たかの友梨「つぶれるよ、うち」。パワハラ時の録音データが公開
たかの友梨氏のパワハラ問題。パワハラ時と思われる録音データが公開されました。
更新日: 2014年08月29日






「たかの友梨」で横行するマタハラ・残業代未払い・数十万円の美容器材購入させる「自爆営業」、そして腐敗 (井上伸) / 「たかの友梨」はブラック企業なのか? (今野晴貴) / たかの友梨に対して声を上げた当事者たちが求めていること (上西充子)







フィナンシャルタイムズ強烈。「安倍首相の3本の矢は明らかに的をはずしている。…事態はさらに悪い方向に進みかねない。安倍氏は将来を見すえるよりも、過去を懐古する政治家だからだ。四番目の矢として軍国主義が復活しないことを願いたい」日経より



日経新聞
[FT]アベノミクス3本の矢、いまだ的中せず 
2014/8/28 14:35

 安倍晋三首相の「3本の矢」は明らかに的を外している。理由はそもそも矢が3本ないことで、あるのはたった1本、通貨の下落のみだ。

 これは過去には常に有効な公式だった。円安がかつては日本の電子製品や自動車の輸出を加速させたからだ。だが今日、もはやそうした効果はない。

■構造改革の約束を果たさない首相

 日本の製造業は生産拠点の多くを海外に移転させており、今後もその流れは続くだろう。国内の燃料費が福島第1原発事故が発生する以前から高騰しているためだ。円安が進むと、輸入燃料の代金はさらに上昇し続けるだろう。CLSAは今後2年で、アジアの他の諸国における自動車生産が日本の生産台数を上回る可能性があるとみている。

 さらに重要なのは、日本の製造業が優位性を失ったことだ。6月の鉱工業生産は前月比3.3%減となり、ピークだった1月を6.9%下回った。データを解析するとさらに厳しい現実が浮かび上がる。日銀の元職員であるJPモルガンの東京在勤チーフエコノミスト、菅野雅明氏によると、今年6月の情報・通信機器の生産は10年の平均値に比べて44%低下し、薄型テレビは97%、携帯電話は71%も減ったという。

 通貨安に頼ることの問題点は、メーカーに人工的で一時的な追い風をもたらすことだ。一方で、菅野氏が指摘するように、日本製品を好んでいた日本の消費者も(ついに!)魅力を感じなくなり始めている。

 加えて、安倍氏は抜本的な構造改革に取り組むという約束を果たさず、日本企業で働く労働者の賃金が上昇しないため、内需へのシフトは起きなかった。実際、現金給与総額は5月だけで3.8%下落した。

 アベノミクスの欠点が露呈するにつれ、この数カ月で日本株は、運用成績が最もすぐれた資産クラスの一つから、最も低迷する部類へと転落した。日銀の黒田東彦総裁は安倍氏のチアリーダーという立場から、白川方明前総裁にそっくりな印象に変わってきた。白川氏は金融政策だけでは力強い持続可能な成長を促進することはできないという見解だった。さらに日銀は、弱含みの輸出見通しを受け、15年3月期通期の成長見通しを1%に下方修正した(それでも菅野氏の予想する0.6%よりはずっと楽観的だが)。

■株式市場の買い材料が変化

 そのため、東京株式市場の買い材料も変化している。当初はアベノミクスとマクロ経済要因が日本株を支えていたが、その後、巨額の政府年金基金の動きを先読みし、日本国債の購入から(それは日銀が引き継いだ)国内株式へと資産配分の比重が移ってきた。

 直近ではコーポレートガバナンス(企業統治)の向上が正当化の説明に使われているようだ。法人減税案が打ち出され、自社株買い入れなど表面的な動きはあるものの、これもいずれは中身がないと判明するだろう。東証株価指数(TOPIX)を構成する日本企業の自己資本利益率(ROE)は約8.5%で、欧米企業に比べるとはるかに低い。

 現在の政策で確かに利益を得る者はいる。欧米の金融政策と同様、実体経済がほとんど成長しなくても、金融緩和のおかげで金融資産の価格は上昇し続け、日本の資産保有者や借入金を活用する積極的な投資家など一部の層がその恩恵にあずかっている。

 さらに、事態は悪い方向に進みかねない。安倍氏は、小泉純一郎元首相が少なくともそうあろうとした意味での「真の改革者」ではなかった。安倍氏は将来を見据えるよりも、回顧する政治家だからだ。

 どうか4番目の矢(数え方によっては2番目の矢)として軍国主義が復活しないように願いたい。安倍氏の本当の関心はそこにあるという兆候がしきりに見える。解決策を過去に求めるのは常に危険なことだ。世界の大半の国々は未来のことを考えているのだから。

By Henny Sender

(2014年8月28日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)



どこが正義のヒーローか!海猿が辺野古でやってること。 (日刊ゲンダイより)

石破茂氏が入閣に傾いているのは、党内での孤立が理由だ。安保相を固辞したのは首相と2人だけの会談内容。それがメディアに漏れた。石破側近が語ったからだ。首相の専権事項である人事について外部に情報を流し、「安倍VS石破」の構図を拡散した反発はあまりにも強かった。石破氏屈服の理由である。 — 有田芳生

日テレ「プロ野球名場面」炎上、トップ10すべて巨人で野球ファン激怒。

2014年8月28日木曜日

川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(76) 「三十八 田園に死す」 (その3終) 「農家の庭を見るに一家相寄り冬日を浴びつゝ稗を打てり、人間の幸福これに若くものなし」

南禅寺 2014-08-13
*

荷風は一人暮しだったのでよく自炊した。
米を炊く薪には困らなかった。
手龍をさげて散歩に出て、畑の畦道で枯枝を拾い集めればよかった。
農家の庭先で野菜を買い求めることもあった。

昭和21年5月28日
「余老来好んで菜蔬を食す、蠶豆、莢豌豆、獨活、慈姑の如きもの散策の際之を路傍の露店又は農家について購ふことを得、東京の人に比すれば遙に幸福なりと言はざるべからず」
"
荷風は戦争中の軍国主義を嫌っただけでなく、戦後の解放された社会にもまた嫌悪を隠さなかった。
戦後の「日乗」には戦前にもまして近隣のラジオの騒音への苛立ちが繰返されているが、”ラジオの騒音”こそ戦後社会の悪しき解放感そのものに思えたに違いない。
「明治の児」荷風は、急速にアメリカナイズされていく戦後社会への異和感を深めていく。

昭和22年5月3日、
「米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふ可し」。

昭和21年11月26日
田園のなかに出来た中山競馬場に嫌悪感を覚え、「俗悪なる競馬場の建築物いよいよ厭ふ可し」と書く。

戦後社会に距離を覚えれば覚えるほど、美しい田野とそこで黙々と働く人々は好ましく見えてくる。

昭和21年11月19日
「農家の庭を見るに一家相寄り冬日を浴びつゝ稗を打てり、人間の幸福これに若くものなし」

家庭を持たず老いていく荷風が、農家の庭先で一家相寄り稲を打っている姿に心動かされる。
誰よりも家庭を嫌った荷風が、距離を置いて家庭を見たときにそこに「人間の幸福」を見る。

「ついに人間を愛することのできなかった彼も、市中の景況--人間が住むことによって成立する陋巷のたたずまいは愛してやまなかった」(野口富士男『わが荷風』)という”見る人”荷風がここにもいる。
荷風にとっては他者との充分な距離が自分の幸福の条件である。
その意味では、市川は、東京から遠くも近くもなく絶好の距離を持った”隠れ家”だったということも出来る。
戦後の荷風というと必ず浅草通いが語られるが、浅草よりもむしろ市川の田園こそが荷風にとって大事だったのではないか。

荷風が市川の田園に惹かれたのは単に自然の美しさからだけではない。
荷風はそこにかつての東京の姿を見た。
荷風が愛した東京も実は、昔は静かな町だった。
とりわけ隅田川を越えた向島あたりにはまだ田舎が残っていた。

向島生まれの幸田文は、その地を「郊外の農村」(『木』新潮社、1992年)と呼んでいるほど。

市川に移り住んだ荷風はそこにまだかつての向島のような田舎が残っているのを知った。
市川のなかに失なわれた東京を見た。
市川での生活を綴った戦後の名随筆「葛飾土産」(昭和23年)のなかで荷風は市川が昔の向島に似ていると書いている。
「戦災の後、東京からさして遠くもない市川の町の附近に、むかしの向嶋を思出させるやうな好風景の残つてゐたのを知ったのは、全く思ひ掛けない仕合せであった」

期せずして、父露伴とともに戦後市川市菅野に移り住んだ幸田文もまた随筆「すがの」(中央公論社『荷風全集』第14巻月報、昭和25年)のなかで「土間の広い百姓家、井戸端に柿、貧しげな牧場、梨の棚。どこの村にもある似たりよったりな風景といえばそれまでだが、菅野と向島寺島村とは似ていると私にはおもえる」と書いているが、荷風もまた市川の田園に往時の向島、ひいてはまだ都市化が進んでいない”昔の東京”を見た。
「市川の町を歩いてゐる時、わたくしは折々四五十年前、電車も自動車も走ってゐなかつたころの東京の町を思出すことがある」

真間川沿いの野の風景が好きになり、子どものようにその下流にまで行こうという”冒険”も試みている。
さらに付近に案外古い神社や寺があるのも荷風を喜ばせる。真間の手古奈堂、弘法寺、菅野の白旗天神、中山の法華経寺、新田の春日神社、国府台の回向院など。葛飾八幡宮で毎年9月に開かれる農具市も気に入って二度はど出かけている。

昭和22年1月26日、
こうした散策の折り、偶然、葛飾駅(現・京成西船駅、昭和62年に改名)近くの村道の路傍に敬愛する江戸の文人大田南畝等の古碑を見つける。
老榎のそびえたつ路傍に古碑が建っている。古井戸があり、碑に「葛羅之井」とある。よく見ると広告の紙が幾枚も張られた下に「南畝」の字が見える。「大に驚き」井戸の水でハンカチを潤し張紙を洗ってみると、そこに、南畝が文化九年にこの井戸の由来を書いた文字が出てくる。偶然とはいえこの発見も、かつての砂町の元八幡の発見と同じように、荷風の散策好きと深い教養の結果である。

市川に来る前、荷風は昭和20年9月1日から昭和21年1月15日まで短期間、従兄弟の杵屋五叟を頼って熱海に仮寓した。頼りない流浪の身の荷風を慰めたのは、偶然にも熱海が、景仰する成島柳北ゆかりの地だったことだった。

市川に来てからは、偶然にも、かって「大田南畝年譜」(昭和8年)を作るほど敬愛した大田南畝(萄山人)の碑を見つけた。市川が南畝ゆかりの地であることを知った荷風がいよいよこの一農村に親近感を抱いた。
しかも、ついに会うことはなかったが、すぐ近くには、同時代の文学者として一目も二目も置いている露伴が移り住んできていることも知った。

種村季弘は期せずして市川で死去した二人の文人、露伴と荷風に触れて、市川のような「都の東郊」は旧幕臣の心情を持つ者にとっては親しい土地だったと次のように興味深い指摘をしている。

「そういえば露伴は谷中の後にも、京橋、向島、上総横田村と、概して都の東へ東へと居を移している。西から押し寄せる『江戸の破壊者』(『一国の首都』)の勢いを避けて、川と海のある東郊に逃れたかのよぅである。陸は文明開化の東京に占領されても、川と海は旧幕時代の面影をのこして江戸からの逃亡者を匿ってくれる。根岸党時代の青年客気、向島時代の釣り三昧の壮健はもはや昔話としても、露伴の市川住まいはその最後の帰結であったといえなくもない」「敗戦後のほぼ同時期に荷風も市川に仮寓した。都の東郊はもともと江戸人の寮(別荘)の多いところで、旧幕ゆかりの人の最後の隠棲地たるにふさわしい、戦中戦後の混乱のなかでみずから望んだ住まいではなかったとしても、土地柄としては露伴の終の栖であって一向にふしぎはなかった」(「シティボイス」NO1 2市川市、平成4年)

荷風が市川に来ていちだんと露伴に惹かれたのは、この、市川を「旧幕臣ゆかりの人の最後の隠棲地」と見る思いがあったからこそだろう。
露伴は昭和22年7月30日、80歳で長逝した。
「日乗」にはこの日「今暁露伴先生菅野の寓居に逝くと云」とある。

さらに8月2日、
「午後二時露伴先生告別式。小西小瀧の二氏と共に行く。但し余は禮服なきを以て式場に入らず門外に佇立してあたりの光景を看るのみ」

幸田文は随筆「すがの」で、告別式の日に荷風がすぐ家の近くまで来て黙礼して帰ったとあとで知り、その荷風の心づかいに、「向島とお雪さんが、疲れた私の感傷にからす瓜の蔓のようにからんだ」と書いている。

一般に晩年の荷風は不遇だったとか、作家としての生活は終えていたと否定的に見る人は多い。奇人変人ぶりも取沙汰された。しかし、市川の田園のなかに古き昔の東京を見ることが出来た荷風は、人が思っている以上に幸福だったのではないだろうか。


あとがき

「断腸亭日乗」を読んでいると、じっとしてはいられなくなる。
荷風とともに東京の下町を歩きたくなる。荷風が歩いた荒川放水路に出かけたくなる。堀切橋を見たくなる。「断腸亭日乗」にはそういう、人を町へと誘い込む魅力がある。

野口富士男は『わが荷風』のなかで「ついに人間を愛することのできなかった彼も、市中の景況-人間が住むことによって成立する陋巷のたたずまいは愛してやまなかった」と書いているが、荷風は終生、東京の小さな町を愛し続けた。

その徹底ぶりは生半可なものではなく「山の手の人間が傍観者として下町を眺める」という紋切型の批判を厳として寄せつけない深さ、緊張があった。
荷風の陋巷へのこだわりは、あの時代に生きることの断念、張りつめた諦念から生まれた本質的に孤独なものだったと思う。
深川の堀割、砂町の新開地、荒川放水路の茫漠荒涼とした川べり、あるいは玉の井の路地。
荷風はそれまで誰にも語られなかったすがれた風景のなかに、寂しい美しさを見ていった。
その意味で荷風は「風景の発見者」ではあったが、決して、表立って「発見者」になろうとはせず、むしろ、風景のなかに自分を溶けこませていくこと、消していくことのほうを望んだ。

荷風に惹かれるのはこの消滅願望のためである。

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