2014年12月29日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(113) 「第17章 因果応報-資本主義が引き起こしたイラクの惨状-」(その2) : 外国勢力が関与するイラクでの事業のあらゆる局面に、「民間にできることは民間に任せる」というブッシュお得意のモットーが浸透した

シソンロウバイ 2014-12-24 江戸城(皇居)東御苑
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新通貨の導入
 ホワイトハウスは輝かしい新生イラク経済の誕生を印象づけようと躍起になるあまり、占領の初期段階で新通貨の導入を早々に決定した。
これには大規模な輸送業務が伴った。紙幣の印刷はイギリスのデ・ラ・ルー社が行ない、新通貨は航空貨物機でイラクへ運び込まれたのち装甲車やトラックに積み込まれて国内各地へと送り届けられた。
いまだ国民の半分が飲み水にも事欠き、信号機は壊れたままで、犯罪も頻発するなか、新通貨をイラク全土へ配送するために少なくとも一〇〇〇回の走行指令が下された。

「自由世界でも有数の賢明かつ魅力ある税法および投資法」が誕生した
 「プレマーの抜本的な改革によって自由世界でも有数の賢明かつ魅力ある税法および投資法が誕生した」(ラムズフェルド国防長官)
ラムズフェルド国防長官は上院の委員会で、プレマーの「抜本的な改革」によって「自由世界でも有数の賢明かつ魅力ある税法および投資法」が誕生したと証言した。

 当初は投資家たちもこうした動きを評価していた様子で、数ヵ月も経たないうちに、バグダッドの繁華街にマクドナルド ー イラクのグローバル経済参入の究極のシンポル ー が開店する噂が取り沙汰され、大型ホテルチェーン、スターウッド社は高級ホテルの建設資金をほぼ調達し、GMは自動車工場の建設を計画した。
金融面では、ロンドンに本社を置く国際銀行HSBCがイラク全土に支店を開設する契約を取りつけ、シティ・グループはイラクの将来の石油の売り上げを担保にして多額の融資を行なう計画を発表した。
また、イラクに乗り込む日は近いと確信したシェル、BP、エクソン・モービル、シェブロン、ロシアのルクオイルなどの石油メジャーは、イラク人公務員に最新の抽出技術や経営モデルについての研修を行なう契約を結び、準備態勢を整えた。

イラクでの実験は新たな領域へ突入
 侵攻、占領、復興を完全に民営事業化したエキサイティングな新市場へと転換することで、イラクでの実験は新たな領域へと突入することになった。
アメリカ国内のセキュリティー産業複合体と同じく、この市場も巨額の公的資金を投入することによって創出された。復興事業だけでも、米議会はブームに火をつけるための資金として三八〇億ドルの予算を計上し、その他諸外国から一五〇億ドル、イラクの石油収益からも二〇〇億ドルが拠出された。

イラク復興事業、マーシャル・プランと並び称される
 ブッシュがイラク復興事業を「経済支援策としてはマーシャル・プラン以降最大の貢献」と呼んだ・・・。さらに占領初期の時点で行なったテレビ演説でも、ブッシュはこう述べた。「わが国は以前にもこれに類する貢献を行なった。第二次大戦後、アメリカは敗戦国の日本とドイツの復興に手を貸し、民主主義政権の成立後もこれらの国を支持したのです」

実際はマーシャル・プランと正反対
 しかし、イラク復興資金として拠出された巨額の金がいったいどこへ行ったかについては、ブッシュが引き合いに出した歴史との共通点はいっさいない。
マーシャル・プランの時代にもアメリカ企業はヨーロッパ向けの機器や食料の輸出で利益を得たが、そこには戦争で疲弊した経済を回復させて自立した市場を生み出し、地元の雇用を創出して社会福祉制度を支える税制を確立させるという明確な目的があった。

 これに対してブッシュ政権がやろうとしたのは、実際のところ、考えうる限りはほすべての面でマーシャル・プランとは正反対のことだった。
疲弊したイラクの工業部門をさらに弱体化させ、失業率を急増させる結果を招くことは、初めから折り込みずみだった。
外国企業が敗戦国に投資することを禁じ、弱みに乗じるような印象を与えるのを回避しようとしたマーシャル・プランに対し、ブッシュ政権はアメリカ企業を誘い込むためにありとあらゆる手を尽くした(有志連合」に加わった国の企業にもいくらかのおこぼれは与えたが)。

イラク国民は蚊帳の外
 イラクの復興資金を当のイラク人から取り上げ、それを - 単に「腐敗」や「非効率性」といった一般的なマイナスイメージにとどまらず - アメリカは優れ、イラクは劣っているという頭からの人種差別的思い込みによって正当化していたのだから、ブッシュ構想の破綻は初めから決まっていたも同然だった。

 工場の操業を再開して持続可能な経済の基盤を作り、国内雇用を創出して社会保障費を確保できるように、復興資金がイラクの工場に投じられることもなかった。
イラク国民は事実上、計画の蚊帳の外に置かれていた。イラク人に金を渡す代わりに米政府はヴァージニア州やテキサス州の民間企業にイラク再建の設計を発注し(ほとんどは米国際開発庁(USAID)による)、あとは現地で組み立てるだけ、という形にした。占領当局がくり返し強調したように、それは「アメリカ人からイラク人への贈り物」であり、イラク人は渡されたプレゼントの包みを開けるだけでいいというわけだった。

 取り付け作業には、現地の低賃金労働者すら必要とされなかった。というのも、契約を受注したハリバートン、ベクテル、カリフォルニアに本社を置く巨大エンジニアリング企業パーソンズなどは、自分たちの管理しやすい外国人労働者を使うほうを好んだ。

完全なアウトソーシングによる政府の空洞化構想をイラク復興事業を利用して実施
 人口二五〇〇万人のイラクを統治するプレマー以下CPAスタッフは、たった一五〇〇人だった。これに対し、ハリバートンは五万人の社員をイラクへ送り込んでいたが、そのなかには長年政府に勤めながら高給につられて転職した元公務員が少なからず含まれていた。

 イラクには、政府機能の・・・聖域も存存せず、その契約は選挙戦中に共和党に大口献金を寄せたり、右派キリスト教徒を選挙運動員として動員したりした企業に優先的に回されることになる。こうして外国勢力が関与するイラクでの事業のあらゆる局面に、「民間にできることは民間に任せる」というブッシュお得意のモットーが浸透した。

 経済政策を立案し、運営したのは民間の会計監査法人だった(大手国際監査法人KPMGの子会社べリングポイントは、二億四〇〇〇万ドルでイラクにおける「市場主導型システム」の構築を受注した。一〇七ページにわたる契約書には「民営化」という言葉が五一回も使われているが、元講契約書の大半はべリングポイント社が作成した)。

複数のシンクタンクにも「考える」仕事が発注され(イラク国営企業の民営化促進事業を委託されたイギリスのアダム・スミス研究所など)、民間のセキュリティー会社や防衛企業は、イラクで新たに編成される軍や警察の訓練を委託された(ダインコープ、ヴィンネル、カーライル・グル-プ傘下のUSISなど)。

さらに、教育関連企業には新生イラクの教育カリキュラムや教科書の作成が発注された(ワシントンDCに本社を置く教育経営コンサルタント会社クリエイティブ・アソシエイツは一億ドルを超える大型契約を得た)。

ハリバートンの運営する一大都市国家が出現
 チェイニーの発案によりハリバートンがバルカン半島で確立した手法、つまり米軍基地を”ミニ・ハリバートン・シティー”に変貌させるという手法は、今回さらに大規模な形で適用された。イラク各地の米軍基地の建設と運営はもちろんのこと、グリーンゾーンが設置された時点から、同社は道路の維持管理から害虫駆除、映画館やディスコ・ナイトの実施まであらゆることを一手に引き受け、さながらハリバートンの運営する一大都市国家が出現した。

 請負業者をくまなく監視する(業務)さえも外注に回しても差し支えない周辺業務とみなした。コロラドに本社を置くエンジニアリング建設会社CH2Mヒルはパーソンズ社との合弁事業という形で、大手四社の契約事業の監督を二八五〇万ドルで受注。

それのみならずイラクに「民主主義を根づかせる」任務さえ民営化され、ノースカロライナ州に本社を置くリサーチ・トライアングル・インスティチュート(RTI)に四億六六〇〇万ドル相当の契約金で委託された。・・・同社のイラク事業部のトップは有力なモルモン教従が占めていたが、その一人ジェームズ・メイフィールドは・・・モルモン教の教えは預言者ムハンマドの教えと相通じるものであることをイスラム教徒に説得するつもりだ、と豪語した。また彼は家族宛てのEメールで、イラク人が「民主主義の父」として自分の銅像を建てるだろうとまで言っている。
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