2014年12月25日木曜日

1786年(天明6年)1月~5月 モーツアルト、一幕の音楽付き喜劇「劇場支配人」(K486) ピアノ協奏曲第23番(K488)・24番(K491) オペラ「フィガロの結婚」(K492)完成 『おれたちの時代にゃ、喋っちゃいけないことは歌えばいいさ。』 【モーツアルト30歳】

江戸城(皇居)東御苑 2014-12-24
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1786年(天明6年)
1月4日
・モーゼス・メンデルスゾーン(56)、没。作曲家フェリックス・メンデルスゾーン祖父。
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1月10日
・モーツアルト(30)、クラヴィーアのためのロンドニ長調(K.485)作曲。
ヨーゼフ2世からオランダ総督アルバート公の来訪を祝してオペラ「劇場支配人」(K.486)の作曲を依頼される。
18日、作曲着手。
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1月14日
・ヨーゼフ2世、ウィーンの8つのフリーメーソンのロッジ(支部)を3つに再編成、その中に新しく「冠された希望に」というロッジを作る(このとき、多くの会員が退会、ハイドンもその一人)。
モーツァルト、新しいロッジを讃えるために、結社員のための合唱曲、K.483 「今日こそ、狂気し歓喜の歌を歌おう」(変ロ長調)、K.484 「汝はわれらが新しき指導者」(ト長調)演奏。
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1月16日
・ヴァージニア、信教自由法が制定。
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2月
・マニュファクチュア。
「往古は、百姓農業の片手間、女の方娘等蚕飼いたし、糸にとり織物渡世仕り候処、近年次第に繁昌仕り候に随ひ、蚕飼等は相止め、近辺は申すに及ばす、他国よりも糸買入、糸問屋多分出来致し、機屋共は銘々機織女並糸繰・紋引等大勢召抱へ渡世仕り、尚又、追々他国の者共数多入込、(中略)唯々商ひ糸機等の渡世のみ専一に心懸候」(「桐生織物史」)。
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2月3日
・モーツアルト、一幕の音楽付き喜劇「劇場支配人」(K486)(序曲と1幕4曲) 完成。ゴットリープ・シュテファニー台本。オランダ総督(ザクセン・テッシェン大公アルベルト夫妻)がウィーンへ来るので、ヨーゼフ2世は祝典を催すことになり、その余興としてモーツァルトとサリエリの競演が企画された。モーツアルトは『フィガロ』作曲を中断してこの作品にかかる。
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2月7日
・シェーンブルン宮殿のオランジェリー(果樹園、大温室で芝居・音楽会の会場ともなった)でオランダ総督を迎えた演奏会。モーツアルト「劇場支配人」(K.486)とアントニオ・サリエリのオペラ・ブッファ「まずは音楽、お次がせりふ」が初演。
「支配人」にはアロイージア・ランゲ、カヴァリエーリ、アーダムベルガーらが出演。しかし、サリエリの作品の台本は非常に機知に富んで面白く、「支配人」に人気は集まらなかった。謝礼はモーツアルト50グルデン、サリエリ100グルデン。
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2月11日
・~3月4日、モーツアルト父レオポルト、ミュンヘンのマルシャンのもとに滞在。
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2月19日
・モーツアルト、宮廷の仮面舞踏会にインド人の哲学者に扮して出て、自作の8つの謎と14の「ゾロアスター断章」が書かれたビラを配る。
モーツァルトの自由なコスモポリタンぶりは貴族たちに警戒心を抱かせ、うとましい人物として見なされる(?)。それに乗じてサリエリがうまく自分を売り込む(?)。
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2月24日
・コーンウォリス、インド総督に任命。
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2月26日
・フランス、天文学者・物理学者アラゴー、誕生。
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3月2日
・モーツアルト、ピアノ・コンチェルト イ長調 (第23番) (K488)完成。
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3月3日
・北米、ニューオハイオ会社設立。西部の土地購入目的。
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3月3日
・モーツアルト父レオポルト(67)、ハインリヒ・マルシャンと共にミュンヘン発。4日、ザルツブルク着。
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3月8日
・ウィーン公営質屋の経営状態をみるため、皇帝フランツ・ヨーゼフ2世、お忍びで質屋に入り自分の帽子を質入れしようとする
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3月10日
・モーツアルト、1781年ミュンヘン初演のオペラ「イドメネオ」が3月13日にウィーンでアマチュア貴族たちによって、アウエルスベルク侯爵邸で演じられることになり、技量に合わせて書き直し、シェーナとロンド「もう言わないで、すっかりわかりました/おそれないで、愛する人よ」 (K490)、二重唱「私には言葉では言えません」(K.489)作曲。
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3月11日
・画家の宋紫石(72)、没。
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3月中旬
・ザルツブルクからドゥシェク夫妻がウィーンを訪れ、ブルク劇場でコンサートを開く。ピアノ伴奏モーツァルト。夫妻は4月12日帰郷、後、別荘ベルトラムカのあるプラハに向う。 *
3月24日
・モーツアルト、ピアノ・コンチェルト ハ短調 (第24番) (K491)完成。モーツアルトのピアノコンチェルトの頂点をなす傑作
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3月29日
・イギリス、小ピット首相、減債基金制度を議会で可決。
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4月7日
・ブルク劇場で大音楽会開催。モーツァルト、クラヴィーア協奏曲(第24番)ハ短調(K.491)を演奏。
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4月29日
・モーツアルト、オペラ・ブッファ「フィガロの結婚」(K492)完成。
'85/10/末より作曲開始。ピエール・オーギュスタン・ド・ポーマルシェ原作、ロレンツォ・ダ・ポンテ台本(原作ボーマルシェの喜劇はパリを始めヨーロッパ各地で人気があるが、ウィーンでは上演禁止。 ダ・ポンテは原作から政治色を除きオーストリア皇帝から上演許可を貰う)。
『全自作品目録』に、序曲冒頭の楽譜とともに「フィガロの結婚。オペラ・ブッファ。四幕。曲数三十四。役者。女性はストレース、ラスキ、マンディーニ、ブッサーニ、それにナンニーナ・ゴットリープ、 - 男性はベヌッチ、マンディーニ、オケリー それにブッサーニ」と書き入れた。

レオポルトのナンネルル宛て手紙(モーツァルトは『フィガロ』初演を4月28日と伝えていたようだ)
「今日二十八日、お前の弟のオペラ『フィガロの結婚』が初めて舞台にかけられる。もし成功したらたいしたものだ。だって、あの子はびっくりするほど激しい陰謀に直面しなければならないからだ。サリエーリとその一党が死にものぐるいであらゆる努力をすることだろう。ドゥーシェク夫妻が私に話してくれたことだが、お前の弟は特別の才能と技価で大いに注目を集めているだけに、とてもたくさんの陰謀に立ち向かわなければならないとね。」
(レオボルトは幼いモーツァルトが巻き込まれた『ラ・フィンタ・センプリチェ』の事件を思い起こしたようだ)
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5月
・幕府、勘定方役人を派遣。手賀沼・印幡沼開墾工事督励。
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5月1日
・モーツアルト歌劇「フィガロの結婚」、ブルク劇場で初演。モーツアルトの指揮。9回で打切り

5月3日に再演されたこのオペラに対し、モーツァルトは450フロリーンの報酬を受けた、台本作者ダ・ボンテは200フロリーンを得た。彼はこのシーズンに上演された他の二つのオペラに対しても同額ずつの台本料を得ている。
上演に立ち会ったツィンツェンドルフの日誌には「晩の七時に、オペラ『フィガロの結婚』に行く。台本はダ・ボンテ、音楽はモーツハルト(ママ)。・・・オペラは退屈であった・・・」とある。
初演歌手の一人マイケル・ケリー(またはオケリー、バジーリオとドン・クルーツィオ役)の回想では、劇場は観衆でいっぱいとなり、アンコールされるアリアが多く、拍手もしばしば鳴りやまず、そのため上演に要する時間はものすごく長くなった、という。
事実、ヨーゼフ2世は、長官オルシーニ・ローゼンベルク伯爵に対して、上演時間の制限を指示している(5月9日付)

7月11日付『ヴィーナー・レアールツァイトゥング』紙は、この初演の成功を伝えている。
「5月1日月曜日、皇王室国立宮廷劇場において(初めて)フィガロの結婚が上演された。四幕のイタリア語ジングシュピールである。音楽は楽長モーツァルト氏のものである。『おれたちの時代にゃ、喋っちゃいけないことは歌えばいいさ。』 フィガロに倣ってこう言うことができよう。パリでは禁止されたこの作品は、当地では翻訳の良し悪しにかかわらず芝居としては上演を許されていなかったものであるが、ついにオペラとして上演されるのを観る幸運をえた。われわれがフランス人よりもこの点で恵まれているのがお分かりいただけよう。モーツアルト氏の音楽ははやくも初演のさいに識者によってひろく讃嘆をえたものであったが、私はただ、自愛心ならびに尊大さが自らの作品ではないものを佳しと認めぬ人たちはこれに加えないのである。一般の観客は確かに(これは彼らにしばしばみられることであるが)初日にはその真価を捉えることができなかった。党派に属さぬ識者たちの数々のブラヴォーが聞こえたが、しかし、上階の粗野な若者たちは声をかぎりに大声でがなりたて、彼らのウーッ!という声で歌手たちや聴衆たちの耳を聾したものであり、したがって作品が終るとともに、意見は二分したのであった。加えるに、曲がまことにむずかしかったため、初演は最良の出来ではなかったので、これも当然のことであった。しかしながら上演がくりかえされた現在、モーツァルト氏の音楽がこの芸術の傑作であるとするより以外の意見を主張しようとすれば、陰謀に加担しているか、それとも無趣味であるかを公言することになろう。この音楽は、生来の才能の源泉からのみ汲むことのできる無数の美ならびにまことに豊かな楽想を含んでいるのである。」

ピエール・オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェ(1732~99)の劇作『フィガロの結婚または狂おしい一日』は、1784年、紆余曲折ののちパリで上演された。成功を博したが、社会風刺・貴族批判の内容のため、その後上演が禁止された。
翌1785年、ウィーンでシカネーダー=クンプフ一座が、これをドイツ語で舞台にかけようとした際にもヨーゼフ二世がこれを禁止した。
台本作家ダ・ボンテは、これをオペラのかたちに変え内容を柔らげて、皇帝の承認をを得た。
『ヴィーナー・レアールツァイトゥング』の記事は、オペラにつきものの陰謀もモーツァルトの音楽に勝つことができないことを認めている。
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5月21日
・スウェーデン、化学者カール・シェーレ(44)、没。
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5月31日
・フランス、 「首飾り事件」最終判決。ド・ロアン枢機卿無罪となる。
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