2015年2月25日水曜日

明治38年(1905)4月1日~10日 「韓国通信機関委託に関する取極書」調印 上野公園竹の台で労働者観桜会 社会主義伝道行商(小田頼造、荒畑寒村) 「韓国保護権確立の件」閣議決定 海軍軍令部にバルチック艦隊の情報届く   

江戸城(皇居)梅林坂 2015-02-25
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明治38年(1905)
4月
・韓国、駐剳軍司令官、全州地区治安警察権掌握。
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・横浜正金銀行、奉天に出張所設置。
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・清国の科学補習所閉鎖により、武昌で知日会結成される。
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・芥川龍之介、東京府立第三中学校入学。
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・今村均、新発田歩兵連隊で陸軍士官候補生試験を受験。隣に佐渡中学を出た本間雅晴。12月、陸軍士官学校(第19期生)入学。
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・ベトナムのファン・ボイ・チャウら、横浜に到着。後、梁啓超の援助で「ベトナム亡国史」出版。
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・漱石(38)、「吾輩は猫である(第三回)」「幻影(まぼろし)の盾(たて)」(「ホトトギス」)

「ホトトギス」2月号掲載の「猫」第2回は、第1回よりも面白いと言われ、この月の「ホトトギス」はよく売れた。しかし、漱石が3月号に書かなかったので、そのせいか「ホトトギス」の売れ行きが落ちた。
虚子は漱石を督促して、4月号に第3回を書かせ、以後毎月連載してもらうことにした。

また、漱石は四月号に「幻影の盾」という小説を書いた。
「幻影の盾」は、中世イギリスの騎士物語を題材とした幻想的な小説。「アーサア王物語」にあるように、騎士が自分のあがめる貴婦人の名誉のために路上で逢う他の騎士に戦を挑む習慣のあった古い時代に、ウィリアム(ヰリアム)という若い勇士がいた。彼は白城の城主なるルーファスの部下であったが、そこから20マイルほど離れた夜鵜の城の城主の娘クララを愛していた。だが白城の城主と夜鴉城の城主とが争いを起し、彼は恋人の父の城を攻撃せざるを得なくなった。友人のシワルドは、ウィリアムにむかって、クララを連出して南の国へ逃れよとすすめるが、夜鵜の城が焔に包まれて崩れるのを見ると、彼は絶望におそわれた。そして森の中へ逃れ去るが、彼の持っている円形の楯の面の鏡のように光った部分を見つめていると、そこにクララが現われて来る。そしてやがてその楯の与える幻影の中で、彼はクララと南の国の生活を楽しむ、というのが、この作品の筋であった。

幻想的なロマンスに過ぎないが、漱石はこの美的な散文詩のような物語りを、口語文として可能な限り美化し、古いロマンチックな感じを漂わせて巧妙にまとめ上げた。
彼は、この一篇をによって、諷刺的な写実風の随筆小説も書けるし、美的幻想的な物語りも書ける人間であることを証明した。
全く違った二種類の傾向の作品を書きこなすこの英文学者の仕事は、この頃から次第にもっと広い範囲の人々の目を引くようになった。

■日露戦争の投影
「幻影の盾」では二つの城の間で戦争が起こる。
語り手はこの戦争の原因について、・・・

君の為め国の為めなる美しき名を藉(か)りて、毫釐(ごうり)の争に千里の恨を報ぜんとする心からである。正義と云ひ人道と云ふは朝嵐(あさあらし)に翻がへす旗にのみ染め出すべき文字で、繰り出す槍の穂先には瞋恚(しんい)の焔(ほむら)が焼け付いて居る。狼は如何にして鴉と戦ふべき口実を得たか知らぬ。鴉は何を叫んで狼を誣(し)ゆる積りか分らぬ。

という。
日露戦争は「君の為め国の為め」「正義」「人道」などの美名のもとに戦われているが、その実体は名利の争いであり報復のための「口実」に過ぎないと、漱石は指摘しているのかもしれない。

また、狼のルーファス軍が夜鴉の城壁を攻める情景は、・・・

壁の上よりは、ありとある弓を伏せて、蝟(い)の如く寄手の鼻頭(はなさき)に、鈎(かぎ)と曲る鏃(やじり)を集める。空を行く長き箭(や)の、一矢毎に鳴りを起せば数千の鳴りは一(ひ)と塊(かたまり)りとなって、地上に蠢(うごめ)く黒影の響に和して、時ならぬ物音に、沖の鴎を驚かす。

と描かれている。これは乃木希典率いる第3軍による旅順要塞攻撃の報道が投影しているようだ。
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・坪内逍遥(46)、以前から東儀鉄笛・土肥春曙らと開いていた「朗読研究会」が発展して「易風会」となる。9月、島村抱月が帰国、文芸革新運動を起す気運が高まる。
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・刻み煙草製造専売実施。
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・阪鶴鉄道舞鶴(京都府)~境(鳥取県)間航路開設。隔日運航。
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・西田天香、「一燈園」を滋賀県長浜に開設(1907年には京都市長浜に設立)。
托鉢、奉仕、懺悔の共同生活。
西田天香:
滋賀県長浜の紙問屋の子。明24年、兵役逃れを兼ねて開拓民として北海道に移住。小作紛争に苦悩し3年余で辞す。放浪生活の中で、明36年トルストイ「我が宗教」に啓示を受ける。
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・シャムで奴隷廃止法発布。自由民及び解放奴隷の販売が禁止される。3年後奴隷が全面的に禁止される。
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4月1日
・韓国、「韓国通信機関委託に関する取極書」調印。郵便・電信・電話事業を日本政府に委託。この名目で通信機関支配。4月28日公示。
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4月1日
・有栖川宮夫妻、ドイツ皇太子結婚式参列のため横浜港出港。
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4月1日
・刑の執行猶予制度制定。
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4月1日
・原敬(49)、古河鉱業副社長(~39年1月7日、約10ヶ月)。
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4月2日
・「東京朝日」「大阪朝日」の戦争継続論。
「東京朝日」社説「昨今の講和沙汰」:
アメリカ大統領の調停説をウソと断定、ロシアの弱り目に乗じてさらに躍進せよ、と主張。
20日、「大阪朝日」社説「激励の機会」、ロシアが旅順・奉天の大敗にもこりないなら、ハルビン・黒竜江・沿海州までも進撃するのみ、と主張。
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4月2日
・上野公園竹の台で労働者観桜会。
この日、社会主義伝道隊は午前9時に平民社を出発、赤旗をかかげ大太鼓をたたいて銀座、京橋、日本橋、今川橋、外神田を行進、檄文数千枚を撒布し正午に上野に到着。
午報を合図に待機していた百余名が赤色の小旗をかざし、社会主義万歳を呼号して集まると、これに巡査数十名が襲いかかる。結果、31人が検束される。
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4月2日
・『直言』第9号発行
社説「島田先生に呈す」(木下尚江):
「選挙権なき最大多数の貧民階級は戦争に際して啻(ただ)に血税を以て其の義務に殉ずるのみならず、租税負担の苦痛に於ても最大分量を賦課せらるるもの也」と論じ、木下が勤める毎日新聞社長・島田三郎が社説「選挙権と兵役」によって選挙権拡張反対の主張を抛棄したことを歓迎。
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4月2日
・(露暦3/20)ジュネーブ、革命派代表者会議、ガボン提唱。武装蜂起声明。
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4月3日
・蘇報事件でつかまっていた鄒容、上海で獄死。
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4月3日
・小田頼造(山口義三と共に東海~山陽道を伝道行商した)、単身で改めて門司より九州一円社会主義伝道行商。94日間に社会主義書類1,266冊販売。
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4月3日
・社会主義大演説会(YMCA)。
石川が前日の上野公園における警官隊の暴状を報告。抗議する山口孤剣を、危険な狂人と称して監禁しようとした事実を糾弾するや否や中止解散を命ぜられる。600人超の聴衆は官憲横暴を叫び、巡査と衝突し、騒然たる乱闘となる。
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4月4日
・清国の長沙に領事館設置。
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4月4日
・早稲田大学野球部選手団、米に向けて出発。野球チーム海外遠征の初め。7勝19敗。安部磯雄が率いる。この日、安部は平民社に堺利彦を訪問。
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4月4日
・パキスタンのラホールで大地震。1万人以上が死亡。
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4月5日
・韓国、安昌浩らが共立協会を結成。民族独立運動開始。
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4月5日
・荒畑寒村、東北地方伝道行商出発。
平民社発。この日市川泊。千葉泊。
8日東金泊。12日飯岡伯。18日成田(1週間で21冊販売)。20日佐倉。25日牛久(小川芋銭宅)。この日より尾行巡査。この1週間で76冊。
26日北相馬郡。28日根本村。5月1日江戸崎(1週間で59冊)3日土浦。4日石岡。7日西郷地村。転倒し車破損。8日水戸。この週、警察が先回りして干渉、販売29冊。
水戸で4日滞在して36冊。13日、車の破損・警察の干渉により、水戸より一旦帰京。39日間、278冊販売。
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4月5日
・ロシア・バルチック艦隊、マラッカ海峡進入開始。
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4月7日
・小学校教科書用図書翻刻発行規則改正告示。
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4月7日
・ロシア第2太平洋艦隊、シンガポール沖通過。
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4月7日
・ネボガトフ少将指揮ロシア第3艦隊、紅海最南端ジプチ港出港。
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4月8日
・閣議、「韓国保護権確立の件」決定。
10日、天皇裁可。外交権の完全な奪取→国際法上の独立否定。「和戦両略」で有利な終戦をはかるとの方針決定。
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4月8日
・海軍軍令部にバルチック艦隊の情報届く。在英の鏑木大佐、シンガポールの森大佐・田中郁吉領事、香港の野間政一領事より。艦隊はペナン近くで発見されマラッカ海峡を南下中との情報。
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4月8日
・参謀本部で陸海軍統帥部首脳会議。
陸軍:山縣参謀総長・長岡次長。海軍:伊東祐亨軍令部長・伊集院次長。海軍側は4月末の樺太作戦に反対。「8月以降」と主張。
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4月8日
・「東京経済雑誌」、「下級者」が兵役・間接税に苦しむ以上、「政治上に於て権利を拡張するの要求は必然の数なり」と、公民権所有者までの選挙権拡張を主張。
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4月9日
・この日付「直言」。戦費負担は「貧民と労働者」。
「・・・看よ、拒むべからざるの事実は是れ也、戦死の犠牲は是れ皆な貧民、労働者と其の子弟也、軍費の最後の負担者は是れ皆な貧民と労働者と也、--然れ共戦勝の鴻益に就て彼等は直接に何物の分配を享受せんと欲する乎、吾人は之を各国の歴史と近く之を日清戦役の実験とに徴して「生活難」の外殆ど何物も是れあらざるべきを悲痛せずんばあらざる也」。
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4月10日
・仏外相、本野公使に日本が領土及び償金を要求しなければ、露は講和を希望と言明。
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4月10日
・フィリピンのホロ島でバラの反乱(~11月20日)。
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